ある日ふと、あの人の名前を見つけた。
蘇るのはあの日の苦みを噛みしめるような、それでいて胸を締め付けるような切なさだった。私はそして目を閉じた。 「結婚なんて、墓場だよ」 私は思わず机から顔をあげていた。 きっとね。目の前の彼はどうやら、恋バナらしきものをしていたように思う。 ああ、同じだ。 そう思った。 世の中には「永遠」なんて言葉が存在するけれど、私はどこかうすら寒いような、この世のものではない単語を聴いているようだった。それは今も同じだけれど。 何で人は結婚なんてもので自分たちを縛り上げるんだろう。 永遠なんて言葉で縛り上げて、結婚なんて法律で縛り上げて。神がそれを望んだというのなら、なんと滑稽だ。 結婚とか墓場だなあ。そう思うのなんか自分くらいだと思っていた。 それを考えていた人が、目の前にいた。 何ということだろう。 同じような人間が、同じ様な考え方をする人が、この世界にいたのだなんて。同胞を見つけたような、細胞がぞわりとさざ波を立てたような、そんな。 ただ分かったからといって何かをしようとは思わなかった。何を言うとも思わなかった。その当時の私はおとなしいクラスメイトの一員であって、恋愛のれの字も知らない人間であって、明るく話しかける事を知らない人であった。 だがしかしそれが恋だというのか。そうではなかったような気がする。 同じ考えを持つ人間を見つけたから恋だというのか。 そうではない、そうではない。 私は彼を違う世界の人間として捉えていた。 だから私は声をかける事もしなかった。その時の私はただ、醜くて弱くて幼かった。 でもどこか気にはなっていたし、時折目で追ってしまった事も確かだった。 そんな彼と最後にようやく交わしたのは、皮肉にも挨拶だけだった。 バイバイ あれから幾年が過ぎた。 そうして彼の名前を見つけたのは本当に偶然だった。 あの頃の切なさ、苦みを、まるで蜂蜜が浸透するようなとろりとしたなめらかさでこの心を包んだのだった。 もう嫌だった結婚もしているだろう。 私と似たような考えを持った彼の事だ。墓場だと言っておきながら、そのくせ人を求めたがるだろう。矛盾した考えだと自分で分かりながら、寂しさに耐えるのだけは出来そうにないから、きっと。 彼はそうして進んでいるのだと。 私はまだ、ここにいる。 まだ恋愛はできそうにない。擬似的な人間には惹かれはするが、生身の人間は未だに怖い。 傷つくのは嫌いだ。それなら最初から無い方がいい。そう思ってしまう。 人間というものが嫌いなわけではない。ふれあいをしたいと思わないでもない。 ただ、傷つきたくない。 人間で傷つくのはもう嫌なのだ。 私は本当に人の巡り合わせが悪いから、へんな大人に傷つけられていてばかりいたから。 人触れ合うのは同時に傷つく事。 だからこそ、だからこそ。 もう、傷つくのは嫌なのだ・・・ それでも私はいつか進めるだろうか。 そうして私は、今も目を閉じる。 |