いつの間にか、見知らぬ路地裏に迷い込んでしまった。私はただ家を目指し歩いていただけだったのに何故?真っ暗な道筋、頭上を見上げれば輝くは砂粒の様なお星さまと妖しく光る三日月。それがやっと地上を照らしていた。ぞくり、と背筋に悪寒が走る。仕方ない、もうこの季節は夜になると肌に染み入るように寒い。しかし本来の道は一体どこなんだろう。辺りを見渡してもここがどこなのかすらわからない。私はそのまま歩みを止め、道なき道を見つめる。しばらくすると、はるか向こうの方に丸い灯りがぽつんと浮かび上がった。あ、と上げそうになった声を抑え、あそこまで歩いていって道をおしえてもらおう、と思い直した。見た所そんなに遠い距離ではない。私はその光に向かって歩き出した。
だんだん大きくなる光が徐々に姿を現し、そして一つの建物の形を作った。定規で線を引いた様な四角い建物の一番下の階が、ライトイエローの光に照らされて一つの扉を浮かび上がらせている。どうやらBarの様だ。折角だから、道を聞くついでに飲んでいこうかしら。思い直して、その扉を開いた。 中はミディアムヴァイオレットレッドとパープルのライトが交互に交錯し、独特の雰囲気を醸し出している。BGMはハードロック。身体にずんずんとくるベースが心地いい。奥の方にはダンスフロアもあり、その最奥にはもう一つ小さなカウンターがある。そこは二つのライトがうまい具合に当たらず、真っ暗だった。 ダンスフロアにはさまざまな人々が踊り叫んでいる。 とりあえず近くのカウンターに座り、酒を頼む。すぐにやってきたグラスに口をつける。じん、と舌を刺す。アルコールが心地よい。飲みながらダンスフロアに目を向けると、踊っている人はなにやら仮装をしている人が多い。オオカミ男、魔女、ヴァンパイア・・・色んな仮装をしている。そうか、今日はハロウィンだ。バーテンダーに視線を向けると、その通りだと言わんばかりに右側に眼帯をした彼は頷いた。 「奥の、カウンターは使ってるの?」 すると彼はマスター、と一言呟いた。今、あっちに座っている。 もう一度向けると奥の真っ暗なカウンターには先ほどになかった人影がある。よくは見えないが二つのバイオレッドの瞳が煌々と輝いていた。 「マスター・・・ね」 くい、とグラスを傾ける。 「マスター」 右を向くと、私はその眼を皿の様に丸くした。さっきまで見ていた彼がいつの間にかこちらをじっと見下ろしていたのだ。どうやって?そう思う間もなく彼は隣に腰掛け、私と同じ視線になった。 「・・・どうやってここにきた?」 「え?・・・・家に帰ろうとしたら道に迷ってしまったんです・・そしてこちらにたどり着いて・・」 しどろもどろになりながら答え、彼をじっと見る。ゆるく波打ったサドルブラウンの髪、バイオレッドの瞳。肌は染みの無い陶器を思わせる白さだ。その手ではウイスキーグラスを持ち、真っ赤な液体がゆらゆらと揺れている。こちらを見つめたままグラスをくい、と煽り、今日・・・と舌打ちが聞こえた。 「・・・今日はハロウィンだから、客が多い。すまないな」 「いいえ、逆にお邪魔をしてしまったようね・・・ごめんなさい」 ニッコリと、その美貌に笑みを浮かべた彼は世界の全てを魅了するような色香を醸し出していた。 「今日は逆に外に居ると危険だ。日が変わってから外に出るといい」 「ええ、分かったわ」 「いい子だ」 艶のある笑みにカッと顔が熱くなる。お酒のせいだ、と言い聞かせ、もう一口飲み、笑う。 身体の中の何かがじん、と熱を持ったようだ。彼に見つめられると何かぼんやりとしてくる。 もう一口おごろう、と笑う彼が酒をバーテンに手を上げる。右眼帯の彼が寡黙に頭を下げ、手を動かし始めた。 「運命か・・・今日という日にここにたどり着くとは」 「今日は・・何があるの・・?」 彼はアルコールでとろん、とした瞳をこちらを見つめて言った。 「知らないか?今日はハロウィン・・・老いも若きも皆集いて踊り明かす。それは人外でも同じ」 「人外、人、ならざるもの・・・ここ・・?」 「そう、聡いな、ここは」 ―人外が集うBarだ。 にったりと三日月の笑みが作られる。酒の力もあってか、不思議と怖くはなかった。 「貴方は・・さしずめ・・人外のますたーなのね」 くい、とグラスを傾け、液体を喉に流し込んだ彼がこちらを見つめた。波打つサドルブラウンは肩に落ち、室内光を含んで薄暗い室内で緩い光を放った。白い肌は視界に痛い程入ってまぶしかった。 何より、あの二つの双眸がこびり付いて離れない。 ヴァイオレット。 彼の薄い唇が開いた。 「夢を、見たくはないか?」 「ゆめ?」 「そう、夢さ。楽しい、甘美な夢。見せてあげよう」 ひらり、とテーブルについた左の掌を天井に向け、にやり、と笑う彼は私を見つめたまま言った。 そのままゆっくりとそれを元に戻すと、人差し指を顔面の前に持ってくる。 お前がこちらの世界にくればいい この世界は地獄のようで混沌に満ちている しかし怖がるな、俺に身を任せろ すべてゆだね、溶けてしまえ さあ、この罪を齧ってごらん∞ いつの間にか見つめていたヴァイオレットが変わってきている。それは赤、血の様な赤。 クリムゾン。ねっとりとまとわりつき、私を捉えた・・・・ ぺろり、と真っ赤な長い舌が口角についたそれを舐めとった。 サドルブラウンの髪がさらり、と揺れ、白い肌にかかった。彼は指に残ったそれを見て、にんまりと笑った。あぁ、甘い、と思った。久々の甘さは、人間の世界のアルコールよりも身体の全てを痺れさせてくれる。彼は横たわったそれを見て、愛おしそうに目を細めた。眼帯のバーテンに視線を戻すと、彼は黙ってその場から姿を消した。 「ようこそ、我が世界へ」 |