アタシは、花に抱かれて、死ぬのー そう言った、何処までも続くその夜の色の瞳は、そう言った。 私にも夜は似合ったが、人間で、あんなにも似合う者にはついぞ逢ったことがない。 凛とした瞳に、私は少々の嘲りをもって返したように思う。 -酔狂な娘だな、およそ姿似ることのない別種に抱かれたいともうすのか- 少女は別段気にもせず、反論したようだった。 -美しいものに抱かれたいと願うのは、酔狂か?あたしは思わない。あたしと言う肉体が死という醜き理、比喩すれば思念とでも申そうか。 それを無垢な者達がもの言わず断ち切られ、あたしの腐敗する全てを覆うのだから- 少女は人であった。 やがて朽ちて逝く肉体を持つ、人であった。 そしてそれがそう遠くない事も、薄々感づいていた。 きらびやかな昨今とは違い、衛生状態が劣悪なのが常であったその時代は、疫病にいつかかってもおかしくはなかったから。 -アタシの身体はもう蔓延する疫病に侵されている。きっとそうなる日も、遠くないだろう…- そう言って見上げる彼女の眼の、なんと哀しげな様を私は月光の中で見やっていたのである。 そして、その時は矛盾なく訪れる。 その晩に少女を訪れると、彼女は薄汚い路地に崩れ落ちていた。 息はか細く、顔色はもはや死者のそれーまるで私のような、青白く生気のないー ああ、と思った。 傍らに立つと、彼女はすぐ私に気が付いたようであった。 ーすまない…ー 何故すまないのか、分からなかった。 ー…逝くのか…ー ーも…その…ようだー 彼女の胸が一度、痙攣するように震える。 ー…私を…置いて逝くのかー 痛い。 見えない何処か、分からない場所が悲鳴をあげている。 何故だ 。 ー貴方…も…分かっていただろ…アタシはヒト…限りある生を…醜い死で締めくくる… そして…貴方は…その人の…血を飲んで…生きる…人ならざる…者…時間が…違っていたのだと…ー ーああ、ああ、分かっていたとも。 ーならば…見届けて…私を…花の中に抱かせて…ー ー私を置いて逝くな! ーダメだ…… そう言って、呼吸が止まった。 ー逝かないでくれ!私を置いて逝かないでくれ! 私は彼女の傍らに崩れ落ちた。 ああ、ああ。 この痛みは、ー絶望。 お前を亡くす、絶望なのだと。 涙を流せない、私は悪魔だから。 だから、だから。 この胸に抱いたのは、絶望であったのだ。 私はー 「そして…幾年…この地もまた変わった。私は一向に変わりはすまいが。」 車のクラクションが鳴り響くオフィス街を、私は月光の中彼女と眺めている。 変わらない習慣はまるであの日のようで。 傍らで座る彼女を端に入れ、私は問い掛ける。 「まだ私と、月を見てくれるのか」 彼女は視線を月光に向けたままに、呟く。 「貴方が約束を破った。その代償は、ずっと支払って貰わねばならないから。」 「許せぬか。お前を花ではなく、月光に抱かせた事を」 「さぁ。」 「あいまいな返事だな」 「どうとでも判断して。」 ひょこんと跳ねて立ち上がった彼女を、私は事も無げにーその思いは深かったがー言った。 「許せ…は聞き飽きたな…では、」 立ち上がった彼女の背中に放つ。 「私が…お前の花になろう。お前を美しく輝かせる。醜さを一切に覆い尽くして、いつもお前に美しい笑顔を咲かせてやる 」 彼女は、無言だった。 やがて大きな吐息。たまらずに私は彼女を腕(カイナ)に抱く。 彼女が彼女らしくあった頃に、1度こうすれば良かった、と思った。 今は、愛しさがこの体温を少しばかり上昇させる。 「馬鹿な人…どうして…」 ため息のような言葉は、嗚咽により埋め尽されて。 私はただ無言で、彼女が泣きやむのを待った。 やがて終る、涙の音。 「出会わなければ良かったのだ…」 そう言って、今は真紅の瞳をあげて。 血の涙に濡れた頬は、それを吸ってしめっていた。 「そうすれば、憎む事も可能だった…」 「そうだな…出会うべきではなかった…」 ーお前の夜の瞳が好きだった。 凛として、汚れを知らぬその魂が眩しかった。 だから私は、お前の側に居たのやも知れぬ。私の持ち得ぬ物を持った、お前自身が、お前と出会ったあの瞬間からこの身は欲しがったのやも知れぬ… ー…夜を持った為に、夜の悪魔に魅入られたか…私は… 月光が、この日ばかりは嫌に眩しかった。 |