いつまでも耳に残る残響の様に。
あの夢の中で一つの声が響いている。
『月とノアールの調べanother〜The name of the noble Goddess〜』
「・・・・貴方は最近出てきた化け物ね。ヴァンパイア」
俺の助けた女はその場所に崩れ落ちたまま開口一番そう言って、助けてくれてありがとう、と礼を言った。
俺はその言葉にひどく驚いて、目を丸くしてその女を見つめた。
どうやら彼女には人とそうではない者の雰囲気が分かるようだった。
その表情を見た女がこちらの言いたい事が分かったという顔で、こちらを見つめた。顔に散っていた髪を指でどけて、ゆっくりと立ち上がる。
その瞬間青白い月が彼女を背後から照らしだして、その瞳の輝きを一層強めた。
蒼い蒼い瞳。
俺が自然界で見る事が出来なくなったその色が、俺を見つめている。強い眼差しだった。その立ち姿はまるで人間ではないような存在に見させた。
「―・・・空気が違うの」
やがて彼女はそう言って笑った。
「・・・・怖く、ないのか」
俺が。
彼女は続かなかったその言葉をくみ取って、唇をゆらりと動かした。
―怖くは、ないわ。
「でも嫌いよ。化け物。貴方の種は嫌い」
それが俺と彼女―アルテミスの出会いだった。
「なれば何故俺と毎夜会っているのだ」
このような場所で、とほざいてみるそこは幽玄な雰囲気を残した昔の貴族の館。都合が良いので勝手にそこを使用している其処に、あれから俺を訪ねて毎夜の様にやってくるのだ。何故だかは分からない。ちょっと前に狼に噛まれて変化した人間に襲われている所を助けてやったらこの様だ。本人の言い分によれば、襲われたのは自分のアパルトメントのまえだから、夜に帰るのは怖いらしい。なら引っ越しをしろというのに、金がないから無理という。全くこの女はよく分からない・・・
「さてね、化け物のくせにそれも分からないの?だめね」
「お前人間のくせにここを読ませないからな」
トン、と己の心臓を指示す。彼女の心は何故か読めなかった。それは彼女自身も良く分かっていないらしかった。おそらく無意識にブロックをかけているのだろうが・・・
「ホントに、お前はわからない」
―そんな日々が、少し楽しいと思ってしまったのがいけなかった。
同時期、俺の腐れ縁ともいうべきアイツが俺の所に姿を見せ始めていた。何の事はない、ただ俺をからかって遊んで、満足したら帰っていく。まるで子供の様なふるまいをみせるのがアイツだった。エメラルドグリーンの瞳を悪戯っぽく輝かせて夜を歩けば、数人の娼婦が彼を取り囲んだ。
その頃は、アイツも俺と大して変わらない見た目だったから。
「今日も来たのか」
いつものように屋敷を訪れたアイツと軽く眼を合わせると、アイツはヒクヒクと鼻を動かして眉を細めた。
「カイン、人間なんか泊めてるの?最近妙に人間くさい。程々にしとかないと目立つよ」
「泊めてるんじゃない、勝手に通ってるんだ」
「なお悪いじゃ・・」
「カイン!」
全く今日もか・・・俺の呆れる声が聞こえたのか否か、彼女は今日も顔を見せた。
アイツの瞳が真っ直ぐに彼女に吸い寄せられていた。
赤ワインを片手に今日はやって来たらしい。酒盛りか。
アイツはその時何を思ったのか。何かしゃべったと思ったが、良く聞き取れなかった。
「・・・カイン、この人は?」
「ただの腐れ縁だ」
「はじめまして、お姫様。お会い出来て光栄です」
「貴方もカインと同じ種ね。よろしく」
「・・・僕、言ったっけ」
きょとん、としているアイツに俺はさらりと言った。
「分かるんだそうだ」
「・・・へえ、・・おもしろい」
「綺麗なグリーンの瞳ね」
思えばアイツに会わせてしまった時、運命が狂いだしてしまったのだろう。
アイツの瞳の奥には、当時から計り知れない狂の色が潜んでいたのを、自分は少なからず知っていたはずなのに。
すべて俺のせいだったのだ。
そして歯車は更に音を立てて軋みだしていく。
彼女と出会って、9か月めの穏やかな夜だった。
「今日は、さよならを言いにきたの」
いつかは来ると思っていた、別れの言葉だった。
―好きな人が、出来たの。
―その人と、結婚するわ。
―とても素敵な、優しい人よ。
「そうか」
俺が出来る事は、別れを、告げてやる事。
所詮、俺たちは交わることの許されない種。
人間、ヴァンパイア。
「ならば、もうここに来てはならないぞ」
「・・・分かってるわ」
「・・・・・俺の事も、忘れろ」
「・・・・ええ」
帰り際に、彼女はあの日と同じような強い眼差しでこちらを見つめて、言った。
「嫌いよ化け物。貴方の種は嫌い」
唇が、ゆっくりとその言葉を紡いだ。
『サヨウナラ。』
何回も言われて、言われ慣れていたはずなのに。
―ずくん、と。
止まっていたはずの何かが動いた気がした。
ああ。俺は―
「ねえ、カイン。あの子を何故食べちゃわないの?」
あどけない声で言われた、誘惑。
―それが、俺たちの本質。
それが俺たちの理であり、狂気であり、狂愛(きょうき)である。
でも俺には出来なかった。
アイツに会って、早9ヶ月。
そんな感情が芽生えた事がないのに気がついた。
今更、だと思った。
もう、会わない―
「食べちゃわないなら、僕に頂戴?」
「アイツには婚約者がいる。もう来るなと言っておいた。だからもう構うな」
「ふぅん・・君はあの子が好きなのかと思っていたけど」
「あれは、人だ。特別な感情なぞ持つまい」
「そう・・・・じゃあ、僕貰っちゃうね」
「お前・・・!」
ビシィ!!!
感情を爆発させたアイツが窓ガラスにヒビを入れた。
「だって俺はあの子が欲しいんだ!なら力で手に入れる、それが俺たちの理だろ!?
俺はあの子が好きだ、あの子を生涯傍に置いておきたい。ならやる事はしれている。お前だって分かっているくせに、なんでやらない!お前はそんな俺にもあきらめろという。何でだ!!!!!」
アイツがワイングラスを投げ捨てるように叩きつけた。パリーン!!と激しい音が響き渡り、シャリィン、と破片が舞い、落ちた。
ワインが赤いカーペットにどす黒い染みを作っていく。
見上げた時にはもうアイツの姿はなく、俺は夜空の月を見上げた。月は銀色の光をこちらに静寂を持って届けてくる。
どんな時だって。それが俺達の心をいつだって狂わせていくのだ。
―歯車、が。
狂いだしていく。
カタカタ、カタカタと・・・。
ザアーッ・・・・・・
その日は、酷い雨降りの日だった。
彼女と別れてから数日が過ぎた。アイツの来ない日がこんなににも俺を無防備にし、まるで抜け殻のようにさせていく。
心が乾いていく。
それはアイツと出会う前の様な心地ではあったものの、前とは何かが違っていた。
俺は屋敷の中からその雨を見つめていた。今夜が山だろう。
川が決壊しなければよいが…
「・・・?・・・あれは!」
不意に視界に飛び込んだ影を見て、俺はエントランスホールへと駆け下りた。
「・・・・・カイン」
雨の中びしょぬれで屋敷に歩いてきた彼女を見て、嫌な悪寒が駆け抜けた。
「馬鹿っ!来るなとあれほど言っただろうがっ!!」
「あの人が・・あの人が・・!」
「っ!」
胸の中に飛び込んできた彼女の頬には、雨と混じった涙が伝っていた。
しっとりとした肌の感触。冷たくなった肌から一層よく伝わる血の温もり。
感情の爆発した彼女から読んだ感情が、アイツの言葉が蘇る。
―あの人が、死んだ・・・ヴァンパイアに襲われて、死んだ・・・この目の前と、同じ種のモノに。私はどうしてここに来たんだろう?
―僕が、貰っちゃうね。
「・・・・」
「何で!何で貴方達の種は人間を襲うの!なんであの人なの!?ねえ、どぉして!どうしてよ!!」
崩れ落ちそうな彼女を支え、抱え込む。
「・・・すまない」
「カイン!!アイツでしょ!アイツが・・・」
「アルテミス。決して復讐なぞ誓ってはならない。お前が危険になる。俺に任せてくれ」
彼女の肩を掴み、自分の目線を下げ、視線を合わせる。
涙に濡れた頬が雨と混じり、ひんやりとしていた。腰までのウエーブがかかった茶髪が濡れた服に絡みついている。
涙で濡れた蒼い瞳が赤く滲んで、こちらを憎しみを持って睨みあげていた。
「化け物の言う事なんか信用できない!」
「信用してくれ!」
「どうやって!!」
ドンドン、と無我夢中に胸をたたかれる痛みに、痛みが加速する。
必死になってそれを止めさせようと、彼女を抱き込んだ。
「離して!・・・離してったら!・・・はなっ・・ん」
―気がつけば、彼女の唇を押さえつける様にむさぼっていた。
呼吸すらさせないほどに酸素を吸いつくして、
骨を軋ませる様にその背中をかき抱いた。
しばらくして唇を引きはがす様にして離すと、彼女の荒い息が静けさの空間に響き渡る。
彼女の顔はもう涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「お前を・・・死なせたくはないんだ・・・!」
その時の俺はどんな顔をしていたのだろう。
アルテミスが目を大きく見開いたまま、こちらを見つめているのが分かった。
蒼の世界に俺がいる。
その時だけは、彼女の世界に、俺だけが存在していた。
「何で!!!」
「・・・すきなんだ・・・」
「カイ・・・ン・・?」
「好きなんだ・・」
「なに・・って・・・」
「お前が・・・好きなんだっ・・・・・!!」
堰を切った様にあふれだした感情は止まらずに、彼女に吐き出していた。
その時の彼女の表情を、忘れた事など一度もない。
絶望に満ち溢れた、この世の終わりの様な顔をしていたから。
どうして。
どうしてと。
彼女の顔が言っていた。
「っ・・・!」
「まて、アルテミス!」
彼女は俺の腕を振り切って、闇の中へ消えていった。
俺は何故あの時、追いかけなかったのだろうか。
今もたまに夢に見る。
闇の中に消えていく、彼女の後姿を。
追いかける勇気などなかった。
この感情は俺のただの押しつけだから。
まして、彼女はニンゲン。
―愛して、なんて。
愛していた人間を、殺された人に。
言ってしまった俺は、なんて残酷なんだろうと。
まして、殺した相手と同じ種に。
残酷すぎた。
「アルテ・・・ミス・・」
頬に触れた自分の手のひらが、真っ赤な色で濡れていた。
それから、1日が過ぎた。
俺は近所の人間の会話から、アルテミスの動向を探っていた。
今更どういう顔をして会えばいいか分からない。でもアイツの言葉が離れなくて、嫌な予感は拭えなくて、臆病者の様にコソコソと彼女を探していた。
―最近、若い女が次々に襲われて・・・
―血を抜かれた状態で・・
―おお怖い、そういえば
『アルテミスも最近姿を見ないね』
「っ!・・・・」
まさか。
まさかまさかまさか。
陽に焼かれる痛みも忘れて、外に飛び出した。
「かいん・・・」
「すまない・・・遅すぎた・・・」
彼女を見つけたのは、誰も立ち入らないひっそりとした路地裏だった。
彼女の首筋には2つの牙痕。
青白い顔で、血がない事がわかる。アイツの匂いがする。
一年間。俺が絶対にやらなかった禁忌を、アイツは1カ月でやってしまった。
アルテミスがゆっくりと微笑んだ。
「お願い、かいん・・ころして・・私が・・化け物になるまえに・・」
「っ!!俺にそれをやれというのか!」
「あ、・・なたしか・・いないじゃない!私を見つけた・・・貴方しか!」
幽鬼のように微笑んだ彼女が、噛みつかんばかりに声をはる。
ギリ・・・
拳を握りしめた。爪が皮膚に突き刺さる。
「・・・俺の気持ちを知って・・それでも?」
彼女の腹から血がにじんでいた。彼女が握りしめていたのは果物ナイフ。原因の一つはそれだと、知る。眠らないようにしていたのだろうか。それとも・・・
「魂は・・・今でもアイツのモノか」
「そうよ・・この身体をあげても・・・魂はあの人のモノ・・・貴方に、ましてやアイツに渡すわけないじゃない・・・貴方が少し良い化け物だから・・・私の身体をあげようって・・ゆってるの」
「アルテミス・・・」
ひゅう、と風の様な音を立てて息を吸い込んだ彼女がそれにもう、と笑う。
「・・・・耐えられ、ないんじゃない?・・・この匂いに」
ブチィ!
犬歯が唇を破いた音がする。チリと痛み、唇に血の味が流れ込んでくる。
ばれている。
「早く・・・私が・・眠る前に・・・」
「やめて・・・くれ・・」
「お願い・・」
「・・・・アルテミス・・・」
「カイン!!」
必死に繋ぎとめていた理性が、切れた。
ガアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
―獣が、咆哮した。
「嫌いよ・・化け物。・・・好きと言えなくてごめんなさい・・・臆病でいてごめんなさい・・・でも・・・・」
『貴方に会えて、良かったわ』
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