それまで俺達には負けるものなんてなかった。
月灯りがうっすらと夜の空を染め上げ、街灯が道を照らしていても視界をなんとか留めていた。俺達は薄暗い通路の影で密かな会話をする。ヒソヒソ、コソコソ、まるで甘い秘め事の様に。やがて向こうの方から一人の女の影が見えてくる。俺達は会話を止め、その影に視線を這わせた。

コツン。

「おねーさん」

女の影がこちらを振り向く。

「ちょっと道教えてくんない?」

その瞳の中に現れた怯えの色に、俺達は密かにほくそ笑んだ。



           月とノアールの調べanother
-彼女の為の狂った狗-



俺達は一つで二つ、二人で一つの存在だったから、様は人より余計なモノがあったお陰で俺らは捕まる事なんか心配もなかった。人より余計なモノがあったお陰で苦労もあるけれど、そんなものは力に反しては微々たるものだった。欠けた物は他人の物で補える。苦労よりは断然、得る物の方が多かった。
うすら寒いボロホテルの一室で、俺らはそこらで評判の女を丁度喰って≠「た所だった。どこでそんな情報を手に入れたのかは定かではなかったが、唐突に部屋に踏み込んで真っ先に俺らに銃を突き付けた、そこそこにイイ女のその黒の瞳が放つ瞳の強さにまず惹かれた。
それまで女を組み敷いていたベッドから身体を持ち上げて、ハンズアップの状態でその女に向き直る。紺色のスーツを着こなし、緩やかに波打つ茶色の髪に黒曜石のごとき瞳。その瞳が片時もこちらを離すまいと睨みあげてこちらを見つめている。カチリ、と拳銃を持ち替えたらしい音がする。金色に染め上げた髪を掻き上げ、じっとりとした嫌悪の念を込めて視線を送る。だが女はそんなの全く構いやしない、と言った風に吐息をこぼして言った。

「…貴方、どうして二人いるの?」

「は?」

女が不思議な事を聞いてきた。二人?一瞬考えて、ああと思い当たるが胸くその悪さだけは変わらなかった。

「…お前…誰だよ。折角イイ気分でいたのによぉ。ああマジ最悪」

ジャキン。ガウウウウン!

瞬間に顔の横に熱を持った塊がものすごい勢いで過ぎていった。直前を思い出してそれの正体が分かった途端サーっと血の気が引いた。思わず女に向かって情けない声を上げてしまう。

「うおおおっとお! お前なんで最初から殺る気マンマンなんだよ!」

なんと悪態付いた瞬間に突き付けられていた銃のセーフティをばっちり外されてぶっぱなされてしまったのだ。あっぶねぇ! ホントあっぶねぇ!女がしれっと言い放つ。

「とりあえず一発撃っておこうと思って」

「どうしようもねえな!」

一瞬ブワッと噴き出た汗が一瞬にして冷えていった。今のでおまけに肝も冷えた気がするのは気のせいではないだろう。女の方と言えば穴の空いたベッドを見てどうしようかしらと呟いていた。

(そっちの心配かよ!?) 

ベッドにいた女はと言えばその爆音でも軽く身じろぎをしただけだ。

「よっぽどお腹いっぱい食べたのね…今の音でも目を覚まさない」

女が呆れた、といった表情でベッドの女を見ながら言った。

「…お前ぇ…何モンだよ。俺らの食糧の事知ってるなんざ…」

「私は人より特殊な人種に関わる事が多いの。人の精気≠吸う異種なんてざらにいるわ。まあ…ここまで不思議な異種は初めてだけども」

カツ、ヒールの音を響かせた女が、今度こそ真正面から拳銃を突き付ける。あれ、今度こそピンチ。女の声が部屋の中に凛と響き渡る。

「答えなさい。このまま私に大人しく捕まるか、それとも私にこのまま殺されるか」

はぁん。何となく素性が読めたな。女に向き直り、ニヤリと唇を歪めた。

「…お前ぇ、サツじゃねえな。最初はそうだと思ったが、…きな臭い匂いしかしねぇ」

「……」

女は拳銃を両手で構えたまま、無表情でこちらを見つめる。やがて狭い部屋の中に、女の深いため息が静かに零れた。片手で銃を持ち、もう片方の右手で前髪を掻き上げ、うなだれたまま小さく呻く。

「…ホントに色々と勘繰り深い男ね。お陰でやりづらい」

「…はっ。当たらずとも遠からずってか。おもしれえ」

ジャギン。

こんどこそ眼前に女の拳銃が突き付けられた。あらま、気の短いこって。見れば女はその視線でこちらを殺せそうな程激しくこちらを睨みつけている。
おおっと。これはもう俺じゃあ手に負えないかな。瞳を閉じて、意識を集中させて俺は直ぐさま意識を手放した。
次の瞬間にはその瞳がダークブルーに染まり上がっている。先程は明るめのグレイの瞳がこちらを見つめていたはずなのに。驚いた彼女が皿の様に目を丸くした後に手に持っていた銃を取り落としそうになっているのを見て、何故だかそれが滑稽に思えて思わず笑みが零れた。
そんなこちらの様子を見たか、驚愕の表情を浮かべていた彼女は次の瞬間我に返った様になり、キッと目をつりあげた。

「…貴方…誰?」

僕は、ゆっくりと唇を開いた。

「…誰? …可笑しな事を言うんだね。僕は僕だよ…?ここ連日、街で評判の女を喰っていた、連続喰い荒し事件の犯人さ」

「嘘よ! 分かるもの! 私には…」

途中まで言いかけた彼女は気まずそうに顔をそらした。何か隠しているのはその顔から否でも読めてしまった。

「……私、には?」

右手の人差し指を口角に当て、優雅に微笑むその隻眼の青年はその美貌も相まってまるでこの世の物とは思えぬ雰囲気を醸し出していた。彼女の喉が一回、上下に動いたかと思うとその顔が凛然と持ち上がる。汗で濡れた喉の方に目が行ってしまうのは、男の性、なのだろうね。言葉に詰まってしまった彼女が次に口を開くまで、上からじっくりと眺める事が出来た。

「……言ってご覧? 僕は何もしない。ね、何が言いたかったの?」

ニッコリと微笑みうなだれた彼女に向かって、まるで赤子を癒すかのようにまろやかな声音で語りかける。まあ、言われずとも僕らには彼女の言いたい事があらかた分かっているのだけれどね。

「………人の思いが読み取れる?」

「!!!」

あまりにも分かりやすいその反応が本当におかしくて、笑いをこらえるのにやっとだった。なんで捕まえる人間がそんなに分かりやすいのさ。でも…

(…僕らの事を見抜いたのは、久々だったな…)

「ねえ…」

カツ。一歩こちらが歩みを進めたら、銃を構えた彼女がびくりと身体を震わせる。顔を上げてよ、と言っても上げてくれなかったので己の手を頤に当て、そっと持ち上げた。黒い闇をぎゅ、と詰め込んで濃縮させたような真っ暗な瞳。その中にはミステリアスな神秘が宿っている。僕らは同時にニヤリ、と唇に笑みを刻んだ。

「契約を、しないかい?」

「けい、やく」

「そ、契約。失う物なんて微々たるものだ。でも最後は双方の為になる、きっとね」

どう? と尋ねると、彼女は己の手に顎を持ち上げられたままこちらを見つめーそれでも必死に頭の中では考え事をしていたーやがてその唇をゆっくりと開いた。

「…言いなさい」





ソファにゆったりと身を沈めた隻眼の青年は閉じていた瞳をうっすらと開けた。どうやら眠ってしまっていたらしい。ふと、自分の奥の方でもう一人の自分が囁く。

(…おいトロア。何を考えている)

「ン…少し昔の夢を見ていただけさ。懐かしい夢をね」

そう言って髪の毛を掻き上げ、ふ、と唇に笑みをたたえる。

「…ああ懐かしく愛しき時間。あの日の出会いを覚えているかいドゥ。あの日に僕らが彼女と出逢っていなければ、今の様な狂った関係が生まれなかった」

彼が語り、そしてもう一人の彼が表に出て来て語り出す。

「…ああ。あの時の彼女は事件の糧になるものであるなら何でも探していた。その為なら悪魔とでも手を結ぶつもりだった。クッ…まあ俺達もさして悪魔と変わらないがな」

「そうだね…僕らは彼女の…たった二人の狗だ」

ソファに身を沈めた身体で、二人の笑みが同時にその顔に刻みこまれた。





『彼女の為の、狂った狗だ』








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