誰かの姿が見える。髪の長い女の人。泣いている。慟哭している。
そこは質素な邸宅だ。小さな暖炉、小さなテーブル、ロッキングチェア。ゆらゆら揺れて、うとうとしている。彼女は貧しいながらも幸せだった。
嗚呼、誰かが入ってくる。大勢の人、そして真ん中には大柄な男の人。その顔は険しく、まるで悪鬼のそれだった。
止めて!彼女は何もしていない!無理やり連れていかれる彼女は恐ろしい眼差しで男を睨む。男は何も感じていない。罵詈雑言を吐く彼女を氷のまなざしで見つめている。
ああああああその先は見たくない見たくない見たくない見たくない見たくない!!!彼女は・・・彼女は・・・・
―苦悶の果てに、死ぬ。―
ハ・・・・ッ・・・
静かな朝に自分の吐息が一つ響いて、ぎょっとした。
手元のグラスはいつの間にか床に落ちて破片と化している。しまった、落としていたなんて。
慌ててその場にしゃがみ込み、大きな破片だけをつまみあげていく。後で細かい物は掃き取らないと。カシャ・・・とキッチンテーブルに積み上げた破片に、ため息をつく。ブラシはどこに閉まっていたっけ。考えていると、脇からスッとブラシとチリトリを持った白い手が出てきて床を掃き出した。その人物―同居人の一人を見上げて、ルナはゴメンなさい、と謝った。
「カイン」
長いまつ毛がゆっくりと持ち上げられて、大きな紫電の瞳がこちらを見下ろした。耳までの、ウェーブのかかった黒の髪の毛がさあん、と揺れ、白い顔を縁取る。唇がゆるやかなカーブを描くと、カインは謝らなくていい、と一言呟いた。
「怪我など、しなかっただろうな」
「ええ」
うなずいたこちらを見つめた瞳がキッチンテーブルに積み上がっている透明な破片を横目で映すと、彼は少し顔をゆがめてから言った。
「気をつけなくては。この家にはヴァンパイアが二人もいるからな。俺はいいが、もう一匹は厄介だ」
「誰が厄介だって?」
タイミングを計ったように、カインの声とは違う、澄んだアルトが別の方から聞こえた。ルナが振り向くと、ダイニングの戸口に身体を預けるようにして立っている。出逢った頃はボブに近かったバーントアンバーの髪の毛は今、ショートくらいに伸びている。アーモンド形の瞳からのぞく灰青色―ホークスアイはじれったそうにこちらを見つめていた。リネンのYシャツ、リラックスパンツは最近の彼のルームウェアになっている。ルナ、と呼びかけてやってきたもう一人の同居人―ヴィオ=クエイルードは、キッチンテーブルに積み上がっていたグラスの破片を持っていた古紙に包み、ゴミ箱に捨てた。
「厄介なのはそっちだろ、カイン=ノアール。俺は少なくとも半分は人間なんだから、見境なく襲ったりしねえ」
「どうだかな。半分そうなら大して変わらぬよ」
ジロリ、ギロリ、睨みあう事はもう日常茶飯事になっていた。まあ、仲良しね。
ふ、と息をつけば、二人がそろってそんなんじゃない!とこちらを睨みかえしてくる。
まあまあ、と彼らをなだめて、ルナはもう一度自分の手のひらを見つめた。
一体何を見たのだったけ。眠っていないのに誰かのヴィジョンを見るなんてごくごく稀だっだから、記憶をとどめておく暇もない。というか今の自分にはそんな能力はなかったから、出来ないのだけれど。でも凄く嫌な感じがした。ぞくりとするおぞましさ。
何事もなければいい・・・もう一つのグラスを取り出しながら、冷蔵庫からジュースを取りだしていると、カインが電話が来ている、と呼びに来てくれた。その場にグラスとジュースを置き、ダイニングの電話のボタンを押すと、3Dビューアーが立ち上がり、端正な中年の顔が浮かび上がった。ルナは眉をひそめ、画面を見つめた。
「おはようございます、オギ。このような時間にお電話なんてお珍しいですね」
「社交辞令はいいルナ。事件だ」
にっこりと品よく笑った後、落ちてきたグレイの髪の毛をそっと後ろに撫でつけて、セピア色の瞳をじっとこちらに向けた後、上司―オギは口を開いた。
「・・・・厄介な物ですか」
「そうだ、場所はそちらの携帯データに送る。すまないね、一人前に行かせたんだが、発狂してしまってね。若い者には厳しすぎたようだ。ああ、カイン、お前もまた捜査に加わればいい」
「・・・・・・・・一応、どのようなものか伺っても?」
しばらく口を閉じていたオギはゆっくりと瞳を上げると、唇から細い息を漏らす。そしてただ一言、口にした。
「火あぶりだ」
そこにはまだ肉の焦げる匂いがくすぶっていた。それだけではない、肉と、樹木、枯葉の焼け焦げた匂い。すん、と鼻を鳴らし、ルナは現場となった廃工場の庭を眺めた。あまり匂いをかがない方がいいかもしれない。
何もかもがボロボロになった工場は、立っているのも不思議なくらいの有様だった。その建物の前、茶色の土が露出した土地、そこあったのは、樹木をクロスさせて縄で縛りつけ、そこに人間―人間だったモノの塊に近いものが残っている。傍には白い防菌マスクをつけたカインと、さらに1距離を置いて、ぐったりと膝を折ってうなだれているヴィオがいる。まあ、置いておけばいいか。本来ならただの護衛だけを請け負ったヴィオだし、カインは前回に引き続き、刑期を減らす為に捜査の手伝いをする事になった。慣れもあるだろうが、漂う匂いには多少顔をしかめているだけだった。マスク越しにしかめ面のまま口を動かす。
「・・・・・・・・・男、か」
「・・・・・・・・・分かるの?」
見上げた人間だったモノ―骨すら残っているのが不思議なほどだ―を見てルナは目を見張る。あいかわらず匂いは鼻を捻じ曲げそうなので、たまらずに持っていた抗菌マスクをかける。手を防御し、近くに寄るとボロボロになった人間だった処に向かって手をかざした。結構釣り上げられた所が高いので、これ以上は触れられないのが痛いが・・・・
最期の思考がゆっくりと侵入してくる・・・・
・・・・・・・・・ああああ何だコレナンダコレ何で縛られてるんだ痛い痛いいたイ高い火が!熱い!熱いああああああぁぁぁ俺は何もしていないのにただ職がない・・・・なのに何であああアツイアツイアツイぃいぃぃぃいぃ!・・・・・・・・・・・じじじじっ・・・画面が切り替わる・・・帰ろうとしていた・・そこから意識がない・・・記憶がない・・・・ジジッ!・・・・切り替わる・・・・あああああああああああああなんでナンデ何でこんな目にいいいいアツイアツイ熱いぃぃぃぃ・・・・・・・じ・・煙の中から・・・長いローブ・・・・フード・・・かぶって・・・人・・!・・・たす・・て・・・・・
彼の者、痛みを知れ
ハ・・・・・・・ッ・・・・
じっとり、汗が粘ついて身体を覆っていた。それなのに手足が凄く冷たい。ハ、ハ、ハ・・・・息を整え、離れてから地面に膝をつく。かなり酷い。前の捜査官が発狂してしまうのも分かる程に、それは脳内で鮮明にリフレインされた。カインがいつの間にか傍で樹木に手を触れ目を閉じている。こちらの気配に気がついたのか、やああって閉じていた瞳が開かれると、大丈夫か、と方膝を折って手を差し伸べてくれた。
「何とか。生きたまま焼かれる、なんて・・・何も考えられないわよね」
「まあ、テクノロジーが発達した今の時代に火あぶりなんて誰もやらないな・・しかし」
くん、と顔を上げて片目で現場から距離を取っているヴィオを見やってため息をつく。
「あいつは一体何をやっているんだ。役立たずめ」
「仕方がないわ・・・・彼は慣れてないもの。ヴィオ」
リフレインされる映像を何とか振り払って、うつむいているヴィオの方へ近づく。自分が来ると、彼はゆっくりとこちらを向き、ルナ、と呟いた。マスク越しの顔がいつも以上に青白い。
「大丈夫?」
ヴィオはああ、と答えると、現場の方に視線を向け、そしてやっぱり・・・と声を漏らした。
「・・何か知っているの?」
ヴィオはくるりとこちらを向くと、はあ、とつかれたようなため息をこぼし、その唇を開く。
「魔女の処刑方法だよ。1600年代を中心に約300年続いた狂気の魔女狩り。最終的に魔女、魔男―魔術師とでも言えばいいのかなーと認定された者は皆主にこの方法で処刑された」
そういえば、彼は片親が7番目に生まれた、魔女の家系だと言っていたっけ。それでこの現場を見て真っ先に具合が悪くなってしまったのか。
「魔術師ではない。魔女というのは女、男、両方に言える単語だ。ただ魔女と言う名の通り―女がほとんどを占めていた、というだけだ」
「カイン」
無理向けばあいかわらずしかめ面が治らないカインが近づいて隣でけほ、と軽くむせた。まるで人間みたい、と思ったけれど、言わないでおく事にしよう。今はそれどころではない。
現場近くに配置している現場捜査官を捕まえ、指示を出す。
「現場の写真はあらかた取ったわね?じゃあそれデータ化して私のオフィスに送って。ああ、肉の塊・・・いや遺体は安置所に送っておくのよ?後身元確認を早急に。ここでは身元もクソもない、全部焼けちゃってるから。この数日・・・1週間でいいわ、近辺の消息不明の人物を洗って。そう多い訳ないからすぐに出るわ」
「どんな人なの?」
ヴィオが虚ろな目で聞いてくる。
「読んだ中で彼は・・職がないと。あと帰ろうとしていて意識がないと言っていた。それくらいよ。後は・・・彼は人影を見ていた。人影が言った。彼の者、痛みを知れ≠ニ。」
「犯人・・か」
カインが腕を組み、唸る様に声をくぐもらせる。
「身元が分かれば後はこちらで洗いざらい全部洗ってみるわ。それこそケツの穴までかっぽじってやる。とりあえずオフィスへ行きましょう。」
「はは、あいかわらず手厳しいな、我らが姫」
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