「ミスタ―ツチシロ?」 鮮やかに彩られた夜の光と人々の中、不意に呼ばれて彼はついと振り返った。 見れば中年さながらのシワを刻んだディ―ラ―服の女性が自分の姿を見つけて驚いたようにこちらにやって来ている。 「やっぱり!キョウセイじゃない!久しぶりねぇ!」 彼女は瞳を輝かせて泉青を迎えた。 「久しぶりエリサ」 そう言って笑みを返すと、彼は今一度周りを見渡した。 ホテル・レムスの中にあるカジノ・クルーズ。 規模はそこそこで、夜になればそれなりの賑わいを見せる。 それは自分がしばらく休業していても何の変わりも無かった。 皆が賭け事に興じ、チップを積み上げ、結果に狂喜し、時に落胆する。 常に変化するこの世界。でも変わらないこの世界。 そんなこの世界が好きだからこそ、自分はこの世界に戻ってこれるのだった。 彼―――土城泉青は満足げに一つ息をつくと、上半身をひねって後ろを向いた。 そんな様子にエリサがあらと声をあげる。 「後ろに居るのもしかして・・・?」 泉青は一旦こっちを向いてアハハと笑うと、再び身体を向けて自分にしがみつく影を揺らした。 「そう、息子。ホラ氷月。挨拶は?」 彼にうながされ、ようやく彼の後ろの影がおずおずと姿を見せた。 筋肉の付ききらない華奢な身体つき。色素の薄い肌。 幼いながらも端正な顔立ちと、朝方に生まれる霞のような灰色の大きな瞳は、隣に居る父親とそっくりだった。 彼はその大きな瞳でエリサを捕らえると、小さな声でコンバンハ、と言った。 エリサは苦笑する父に頭をなでられる少年ににっこりと微笑むと、驚嘆を混じらせて大きなため息をつく。 「パパにそっくりねぇ。びっくりしちゃった。きっと将来いい男になるわね」 「あ、やっぱそう思う?」 言って泉青はうれしそうに笑う。 ―かなりの親バカっぷりね。 エリサはそう一人ごちて苦笑した。 彼女が間違っていなければ彼――――土城泉青はまだ25のはずだ。 これが知る人ぞ知る若き天才ディ―ラ―だとは誰が思うだろう。 弱冠15才でカジノデビュ―し、19才で結婚。 その年息子が誕生したものの、彼が21才の時に妻と死別した。 その後息子の世話のために長期休業に入っていた。 「氷月ちゃんはいくつになるの?」 今一度少年に問いかけると、彼は先程より大きな声で6才、と答えた。 そう、と頷いてエリサはふと泉青を見上げた。 「あら?でもキョウセイ仕事今日からだった?」 「いや、ホントは明後日。でもこんな仕事だからね、氷月預かってくれるトコ見付かんないし、一人にして置くのも可哀想だし、いい経験かなって思って。何だったら今日からスタートてもいいしさ。」 さわやかな笑みを浮かべる。 この人はこうだ――――あまり休みたがらない。 ディ―ラ―が本当に好きなのだ。 若き天才ディ―ラ―に成り得る理由はそこにあるかも知れないと彼女は思った。 「そう。オーナーは分かってるの?」 「うん。さっき話してきた。あんまうろちょろしなきゃいいってさ」 そう言って氷月の頭をなでる。 「これで興味持ってくれりゃあめっけもんだしね♪」 「それが目的ね。・・・まあいいけど。ああ、そういえばね、今日は丁度VIPが来てるのよ」 「VIP?誰?」 彼女は形の良い唇の前に人差し指を立て、声を潜めた。 「なんと。あのヒムロマサキよ」 「緋室真崎ぃ〜!?あの賭事師のぉ〜!?あのむっさい中年だろ〜?いつブランメージュに戻ってきたんだよ?!」 「しっ!めったなこと言わないの!ホラあそこ」 彼女はもう片方の人差し指で一際際立つ人の群れをを指さした。 大小の見物人の間から、肉付きの良い体にアンダーフレームのサングラスをかけた男がどっかりと椅子に座っていた。 そしてその男よりやや前―――プレーヤーの席に座っているのは、まだ幼さの残るショートヘアーが印象的な一人の少女だった。 彼女が座っているのはポ―カ―席らしく幾人か人が存在していたらしいのだが、彼らはその少女に圧倒されているのか、皆席を立ち、遠くから食い入る様に少女を見つめていた。 「ヒムロがこのブランメージュにやって来たのは丁度1ヵ月くらいだったかしらね。それから1人で毎日のようにここに来てるわ」 「あれ手前の・・・娘?もしかして今日お披露目?」 彼は切れ長の眉を吊り上げながら聞いた。 「そう。娘の緋室有夜。確か氷月ちゃんより下・・・5才だって聞いたわ・・・悪くは言いたくないけど・・早すぎよね・・・」 「・・・・確かに5才にしちゃ出来すぎたポーカーフェイス出来すぎだよね。どんな教育してきたのやら・・・」 ――――ギャンブルには大きく分けて2つの種類のゲームが存在する。 1つは専ら自分の運、不運に賭けるもの、もう1つは運だけでなくプレーヤー自身の技術や勘、知識を要するものだ。 スロットマシンやルーレットなどが前者に当たり、ポーカーやブラックジャックなどが後者にあたる。 その後者にあたるポーカーをまだ5才であるというあの少女がやっているとは正直信じ難かった。 おおまけにあのポーカーフェイス。 人間は誰しもカードの良し悪しに関わらず微妙な表情や仕草がそれなりに表れるものだ。 だがあの少女には全くそれがない。 いくらカードが回っても、少女の瞳、仕草、全てに何の変化も無い。 《まるでマリオネットだな・・》 父親という糸の操り師。それに抗わない意思を持たない黒い硝子の瞳を持つマリオネット。 「でもあの子明らかにやらされてるわよね。チップ積んでるのは父親だし、ゲーム終っても何の表情も見せないし、さっきから勝つ度にご満悦なのは父親だもの」 自分と同じ意見を、エリサは眉を寄せながら声を潜めて呟いた。 「う――ん・・・・」 意味も無く胸元のネックレスを弄いながら、泉青はけだるそうに呟く。 「・・・・・・・・パパ」 突然幼い声と共に、彼の服の裾が思い切り引っ張られる。 泉青は咄嗟のことに対応出来ず後ろにひっくり返りそうになるが、そこは何とか踏み止まりその幼い声にくるりとはち切れんばかりの笑顔で向き直った。 「何だぁ〜ひづきぃ〜」 ここまで来るともう重症ね。 エリサはため息をつかずにはおれない。 「あの子・・・おにんぎょさん?」 彼は苦笑い、やんわりと氷月に答えてやる。 「あの子は人間だよ氷月。アヤちゃんっていうの。」 「かわいいけど・・哀しそうだね」 「あれが一番良い顔なんだけどね。ちょっと楽しそうじゃないね」 「さっき見たオジサンたちはポーカーでスリーカードで負けちゃってたけど、その後は負けちゃったねって笑ってたよ」 「氷月・・・!?」 二人が驚愕に目を見開く。氷月はカジノは初めてのはずだ―――――― 「パパのお仕事は人を楽しませるんでしょ?でもあの子は楽しくないのかな」 じいと人形のような少女を見て、泉青の目が怪しく光る。 「じゃあ、氷月があの子を楽しませてあげればいい♪」 「僕が?」 幼い目がまん丸に見開かれる。 「パパとおんなじお仕事をすれば、氷月ならあの子を楽しませてあげられるかもしれないよ?」 氷月は再び少女をじいと見つめ、そして父を見つめた。 「氷月はあの子を楽しませてあげたくない?」 「・・・・」 「もしかしたら仲良くなれるかもしれないし」 遠くの少女を見やりながらしばらく黙り込んだ後、氷月はぱあっと明るい声を上げた。 「うん!僕あの子を楽しませてあげるよ!ここが楽しみ所だって教えてあげる。僕もパパとおんなじお仕事する!」 この若い父親が狂喜したのは言うまでもなく。 エリサはこの若い父の思惑を確かに確信していた。 ―――――15年前のことである。 |