人がえらく少ない晩だ、と氷月は思った。
それも、今宵の天候のせいだろうか。妖しく彩る極悪色の空。今にも雨が降ってきそうだった。辺りに響かぬようにため息をついて、彼は窓枠から離れた。


「氷月」


艶やかな低トーンボイスがこちらを呼んだ。見上げると、輝く銀の糸のような髪の彼がこちらを手招きしている。
一呼吸置いて、氷月は足早に彼へと近づくと、彼――ルシオ=クロッスフォードは何故か申し訳なさそうな顔をしていた。


「オーナー?」

「申し訳ないが氷月」


彼はポン、と氷月の肩に手を置く。片方は何かの紙を持っていた。


「本日はディーラーの登竜門、VIPのお相手だ」

「はあ?!」

「いや〜お前の人気も徐々に上がってきてるんだなぁ」


くそう、ほのぼのと語ってくれやがる・・と氷月は笑みを絶やさないままにルシオを見つめるのだった。


「まあ、お前のお相手がアヤ=ヒムロだけじゃなくなったってことだなあ。」

「彼女は別にっ・・」

そう、本来はVIP扱いの有夜は当初それをあまり受けたがらなかったが、氷月の介入が彼女を変えた。お陰でいいPRにもなる、とルシオは喜んで酒をかっくらっていたのだっけ。氷月はルシオを見つめ返して、滑るように言葉をのせた。


「お相手はどなたですか」

「ハーベット=イヴンヘイズ」

急にマジメになったルシオの顔をぎっつと睨むように見返す。
「あの方のお相手は・・・父の筈でしょう」

「さぁねぇ。突然お前の指名してきたんだよ。まあお坊ちゃんの気まぐれってコトにしといてくれないか」

そうじゃない。あの方は・・・アイツはそんな気まぐれなどしない。それは対面した自分がよく分かっている。


分かっている。
戦線布告なのだ。


「承知しました・・・」
「深夜11:00にご来店の予定だ。分かっているだろうが氷月、下手な問題を起こしてくれるなよ。彼はVIpだ。失えば、このカジノが地に落ちる」

「分かっていますよオーナー。貴方を苦しめるような事は致しません」

今度はニコリとその美しい顔に笑みを浮かべながら、氷月はその場を後にした。




***********************



黒のリムジンが静かにその場に滑り込む。
礼服の運転手がすらりとドアを開けて出てくると、すぐさま後部のドアに手をかける。


カッツ・・・


白のエナメルシューズが目に映る。
ベロアの黒のジャケットに、色彩を合わせて着こなされた黒のストレートパンツ。白のシャツは襟(エリ)が立てたれ、ダークブラウンの髪が軽くそれに触れて映える。
ジャケットのポケットには真っ赤に咲いた薔薇が一輪添えられている。


「ようこそお越しくださいました、ミスター」

顔が見えたと同時に、氷月は恭しく頭(こうべ)を垂れた。
バタンとドアの閉まる音がして、車が騒音を立てて去っていくのが分かる。それを感じて、彼はようやく頭を上げた。
彼のオレンジ色の瞳が、外灯の光を含み、煌々と光を放った。
彼――ハーベットはこちらを捕らえると、ゆっくりと笑みを刻んだ。


「僕の気まぐれに付き合ってくれてありがとう、ヒヅキ。急な話で申し訳なかったね」


「いえ、かまいませんミスター。お客様の要望を聞くことも我々の務めですから」


あくまで目立たないように微笑を浮かべ、氷月は促すように手を扉へと向けて言った。
ホテルのロビーを歩きながら、前方でハーベットが緩やかに言った。


「ヒヅキはカードしかやらないの?」

「そんな事ありませんミスター。我々は一通りのゲームに対する知識を学んでいます。ルーレットも出来れば、スロットにもお付き合いできますよ。他のカードゲームもまた同じです」

「そう」


彼の一言で、カジノのドアの前に着いたのを確認し、氷月は即座に前に出て扉を押し開いた。

「いらっしゃいませ、ミスター」






********************


彼は個室を希望した、とオーナーから聞いていたので、氷月はシャンパンをトレイに載せて扉を開けた。
何だかんだで彼はカードが好きらしい。頭を使うのはこれに限る、とハーベットは微笑んでいた。その点には深く共感できた。


「最初は何に致しますか」

「そうだな・・取りあえずポーカーからいこうか」

「かしこまりました。」

カードを手にし、勢いよくシャッフルを開始する。


シュシュシュシュ・・


カードを配る。本来はディーラーは親―カードを持つ役目だが、人数が居ないので自分も相手になっている。有夜もそうだった。


「カード、交換しますか」

「一枚お願いしようか」

「かしこまりました」


カードを一枚差し出す。そんな動作を続けるだけで、沈黙が続いた。
しばらくして、沈黙を破ったのはハーベットの方だった。


「有夜のことをどう思っている」

突然振られた事に氷月は言葉を詰まらせた。それでも、カードを進める手は互いにやめてはいない。ぴりぴりとした圧力感が肌に触れている。

<スゴイな・・・ブラフもやってのけるのか・・>



ブラフとは、こうして他人に心理的圧力・恐怖を与えるものだ。加えてこの深いオレンジの瞳は全てを飲み込みそうな勢いですらある。おそらく、自分が慣れていなければとっくにその心の内をさらけ出すことだろう。


「君の心のままに答えろ。有夜をどう思っているのか」


カードを見つめながら、氷月はやああって答えを出した。


「好きですよ」


再び沈黙があり、そしてハーベットがカードを交換しながら答えた。


「ディーラーになるよりは、一般として接するべきだったね。」


「とおっしゃいますと?」


「君はディーラー以上にはなれない」

「そうでしょうか」

氷月が返したきり、ハーベットは再び黙ってしまう。
いけない。我を忘れかけていた。
心の中で自分を律し、カードの方に集中する事に勤める。


「彼女は賭事師だ」

カードに目をやりながら、ハーベットが再び喋りだす。


「ギャンブルをすることで彼女は輝く。勝負を勝ち進むからこそ、彼女は彼女であれる。君は強い。やがて彼女が負ける事もあるだろう。その時彼女は生きる目的を失うんだ。俺はそんな事はさせない。アヤをギャンブラーで居させながら、彼女をさらう事が出来る」

「その時が来たら」

交換をしたカードを手にとって、氷月は強く言い放った。

「彼女に、俺の傍にいるという新しい生きる目的をあげますよ」

「そうか」

シュッ・・・



「「コール」」


「ストレート、か・・」

オープンされたカードを見て、ハーベットがポツリと呟いた。

両者とも、ストレート。


「勝負はつかせたくない、ということかな。カジノの魔物は」

「魔物は気まぐれですからね」

昔から人々は口ずさんだ。カジノには、魔物が住まうと。
今もこの勝負を見ているのだろうか。彼は思った。
「互いに一歩も引くつもりはないということだね」

「ええ」

「こちらも同じだ」


カードを戻しながら、彼はぺろりと上唇を舐め、指を組んだ。
「アヤを愛している。その思いは変わる事は無い。」


「俺も彼女を愛しています。負ける事はない。ずっと想ってきたから」

ハーベットの胸の薔薇が、音もなく一枚の花弁を落とした。







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