「レディ・有夜?」

氷月が心配そうにこちらを見つめてきている。
あの日からまる1ヶ月。ステミエールからカジノ謹慎を解かれるのは思った以上に長いものだった。彼は変わらずに接してくれている。
その優しさが嬉しくも、何も応えられない申し訳なさで一杯だった。
その瞳を見上げる。
彼は苦しそうな顔でこちらを見、大丈夫ですかと言った。

「有夜?ご気分が悪いのでしたら少し休みましょうか。飲み物をお持ちしますよ」


「あ・・・そうね・・お願いするわ・・・」

「お待ちいただけますか?今お持ちしますから」


と笑みをにじませた顔で言って、氷月は姿を消した。
それを見届け、有夜は再びふぅと小さなため息をついた。
あれから全てが空回りしている気がする。
気がまぎれて仕方が無い。

《私も・・まだ人間だったのね・・こんな・・・気を乱されるなんて・・・》
人間の姿の、人形。

「お待たせしました」


すると氷月が盤に二つ分のグラスを載せて、ゆっくりとこちらにやって来た。
1つを手に取り、そっとこちらに差し出し、もう1つを自分が手にとって盤を置く。

「ペリエで構いませんでした?」

「ええ・・ありがとう・・」

言って軽く喉に流し込む。弾ける感触が心地よく通り抜けて落ちた。


「ホントは自分、いけないんだけど」

そう笑って氷月もペリエに口をつける。その姿に有夜はくすっと笑みをこぼした。

「やっと笑った」

氷月が自分を見てほうっとため息を漏らした。

「え・・?」

コトンとグラスをテーブルに置くと彼は困ったように苦笑した。
「今日ずっと笑ってなかったから。どうしたんだろうと思って」


「・・・・・・・」

「もしかして・・・この間のこと・・気にしてますか。」


ずばり付かれ、思わず彼から顔をそむける。

「そうなんですね」

切なそうな声が、胸を突く。瞳がじっとこちらを見ているのが雰囲気で分かった。

「困らせるつもりは・・・なかったのだけれど・・・」

「いえっ・・・」

「え?」

「今まで・・・そういう感情を知らなかったから・・・」

「レディ・有夜・・・」



沈黙が立ち込めた。苦しいくらい張り詰めた沈黙。

その沈黙に押され、声が出せなかった。
それは氷月も同じようで、彼もまた一言も喋らなかった。

「・・・1つ、聞いてもいいですか」

そうしてそのまま互いに沈黙を作った後、氷月はふうと溜め息をついて真正面からこちらを見据えて言った。

「何で1月もいらっしゃらなかったのです?」

「主が・・・・ステミエールから謹慎を言い渡されていたんです。負け続けた賭事師が・・カジノの魔力にはまるのは目に見えていますから」


彼はふっと表情を緩めた。まるで何かの呪縛から解かれたようなゆるやかな笑みだった。

「ではもう1つだけ」


瞳を伏せ、やああってまたそれを上げてこちらを見つめる。彼のクセだと気づいたのはここ最近のことだった。


「この数ヶ月・・・俺と僅かな時間を過ごしていますよね・・・その時間の間・・・貴女が感じたことでいい。正直に言ってください」

氷月のまっすぐな瞳はこちらを見つめ、揺るぎもしない。
その瞳は有夜を心から引き付け、外すことを許さない。



「俺のこと・・・・嫌になりましたか」



心臓がいつも以上に脈打っている。
訳も無くまた重苦しい沈黙が続いた。
しばらくして、有夜はその唇を動かした。


「・・・嫌には・・・なってないです・・」



自然にそれが口をついた。
嘘ではなかった。
見つめ合い、視線を絡ませたまま、時が止まる。
不意に彼の顔が近づき、唇に温もりが触れた。
優しく、やわらかな温もりが通り過ぎていく。
あまりに突然で一瞬の出来事に有夜は身動きが取れない。
やがて再び彼の顔が合うと、氷月はぽつりと言った。


「これでも・・・ですか?」



灰褐色の瞳は色濃く濁り、切なく揺れた。その一瞬一瞬が美しく儚く、残像として瞳に残った。




「・・・・・・・・・・・・・ええ」



嘘では、なかった。



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