「まずは貴方の迷いを思い出すことが第一の関門だ・・目の前を見ていてごらん・・」 言葉どおりに顔を上げると、冗漫していた霧が一点に集まってきているのが伺えた。 それは四角く固形化し、一種のスクリーンと化す。 「始めよう・・私は貴方の記憶を語る・・誤りがあれば訂正をしてくれたまえレディ」 頷くと、声-シェークは静かに言葉を紡ぎ始めた。 「貴方はごく普通の女子学生だった・・日々の偶然が重なり必然となり、君はある時麗しの君と出遭ったわけだ・・」 スクリーンにある人物かアップになる。 「カズキ・・・」 あの日の彼と同じだろうか。まだあどけなさの残るその顔は、先に起こる未来など気にも留めまいという風に輝いている。少し脱色しかけたその茶色い髪。もう少ししたら染め直すと言っていたっけ。 「君は当然のように彼に恋に落ちた・・そして彼もまた・・二人は幸ある日々を送っていたわけだね・・」 二人で過ごした日々が次々に映し出され、アカネの脳裏でこんこんと繰られていく。 やがてシェークの声は湿り気を帯びたように突如、落ち込んだ。 「しかし日々の中にも落とし穴は潜む・・ある時二人は些細なことで口論となり、そして彼は店を飛び出し・・・・バイクで車に衝突して・・亡くなった」 「そうよ・・あの時私が止めていれば彼は死ななくてすんだのに・・ちゃんと謝っていれば・・だから、わたしは・・」 「自責の念に駆られ、彷徨っていた訳だ。ああ、レディ。どうか涙を拭いておくれ・・美しい女性の涙は見るに耐え難い。さあ、前に進みたまえ・・」 霧はいつの間にか晴れ、目の前に新たな道が現れていた・・ 「もう涙は止められたかねミスアカネ?」 「ええ…」 言葉少なに答えを返したが、それでも彼は満足したようだった。 「良きかな。レディは涙を流した後は微笑まなくてはね。さあ、次の関門はそう遠くない。気をしっかりと持つのだよ…」 その言葉通りに、まもなく先程のような濃い紫煙の霧が立ちこめ始めてきた。 周囲が見えぬ霧の中、シェークの声だけがあちこちに反響を繰り返し、水滴の落ちた水面のように広がる。 「さぁミスアカネ…君は彼に逢いたいかね…?」 もう1杯の茶を勧めるような気軽さでシェークは彼女に問うた。 「彼は死んでる」 アカネはふてくされた様にぽつりと呟く。何を言うんだ、突然。 だがそんな懐疑的な様子のアカネとは裏腹に、シェークの声はどこか笑みを含んでいさえいるようだ。ゆっくりと吐き出されたのは思わぬ衝撃発言だった。 「逢えるよ」 「えっ!?…」 突然の言葉に、彼女は思わず声を失った。 「まぁ、多少の制約はあるがね…」 「ホント…?」 ようやく、それだけを絞りだすような声で呟く。シェークはどこか諭すような柔らかさで、アカネに語りかける。 「逢えるよ。だが彼は幽体…本来ならもう君たちは相容れぬ者同士、会話は許されないが…それでもいいというのなら…君のゴールへの導きの欠片として、その一時を君へあげよう…」 シェークの含み笑いを交えた声が静かに鼓膜を震わせる。 「どうするね…?」 しばらく、紫煙の霧に静寂の波紋が広がった。 そして― 「彼に逢わせて」 彼は、満足したようだった。 「よろしい…しっかりと前を見据えてしたまえ…」 パチンと音が鳴ると、霧は静かに人型を形成し始めていく。 「カズキ・・・」 懐かしい顔が、目の前にあった。 いつも向けてくれた笑顔のまま、彼は確かにそこにいた。 少し困ったように口を曲げて笑う。 変わらないその癖。 「ごめんね・・・」 アカネはぽつりと、消え入りそうな声で言った。 するとーーー 彼は軽く、首を横に振ったのだ。この声が聞こえたんだろうか。 上でシェークが慌てた声で亡霊に呼びかけている。 「ミスター、話せないと言ったろう。何?・・契約違反だ。・・消える時間が早まるぞ・・・」 やがてシェークの方が押し黙り、気配が消える。 アカネが再び前を見やると、カズキは何かを言いかけていた。 「な・・に・・?」 口をパクパクさせて、伝わらないと分かると、彼は手を伸ばしてきた。 「カズキ?何が言いたいの?・・・わかんないよ・・」 伝わらない。通じない。口にしたい彼の思いを読み取りたくても出来ない悔しさが涙となって溢れ、視界がぼやけた。 「カズキ・・」 もう、伝わらないの・・・? 彼は困ったようにアカネをじっと見つめているだけだった。 「時間だミスター」 突如シェークの平坦な声が響く。カズキは慌てるように上を見上げた。 「もうこれ以上は冥界の門番は待たせられない。」 「カズキ!!!」 彼の姿が徐々に薄れていく。もう涙が止まらなかった。 「カズキ!!カズキ!!」 彼が悲しそうに微笑んだ後、アカネの脳に最後の言葉が響いた。 <アリガトウ・・・ドウカ・・イキテ・・・シアワセニナッテ・・・・> 慌てて涙を振り払い、彼女は彼を、見送った。 顔に自分の精一杯の、笑顔を浮かべて。 「カズキ・・・ありがとう・・」 貴方が好きです。今も好きです。 貴方の事は忘れない。忘れたりなんかしない。 だから私は、前に進みます・・・・ 見ていて下さい・・・ 紫煙の闇に浮かびながら、彼は優雅にその一時を楽しんでいた。 先ほどまでその場所にいた少女に思いを馳せつつ、自然と言葉が零れる。 「美しいレディのなんと麗しき想いよ・・願わくばこの二人に大いなる幸あれ・・良い気分だ。っておやロストル。浮かない顔だね」 下方からひょこひょこと宙を歩いてくる白い影に、彼はついと視線を向ける。 「・・・ううこのあほ主人。ホント女に甘いんだから。おかげでこっちは冥界門番にこっぴどく絞られたのに。」 しゅんと尻尾を垂れて、ロストルは呻く様につぶやいた。 それを面白そうに見やって、シェークはクルンとステッキを回転させて笑った。 「まあ良いじゃないか。美しきレディの幸ほど良いものはない。そうなる手助けは紳士として当然のことだろう?」 「はいはい、そーしときますよ」 ロストルはうんざりとため息をついた。 「こーゆーのはいつものことだしね。でもさあシェーク、何故あの男は喋っちゃったんだろうね。ありえないでしょ普通。生と死はすれ違う事はあっても交わってはいけない。あの男、冥界では少々の罰を受けるよ。そうまでしてあの子に何を言いたかったのかな」 猫の問いに、シェークはその口角を耳元まで上げて、ニンマリと笑う。 「さぁてね・・・でもきっと彼女には伝わったさ。あの最後の美しい顔を見れば分かる・・」 「ふぅん・・僕にはまだ人間て分からないなあ。無謀で愚かで、いつだって見ていられないもの。心臓に悪い」 「そう悲観するほどでもないさ。だからこそ人は、時に美しい・・・」 「ふぅん・・・・そうかなぁ?」 「そうさ・・・」 そう言いながら、やがて2人の――1人と1匹の影は紫煙の闇へと溶けていく・・・・ BACKHOME |