最初に切ったのは、中学の頃だった。
常に私を苛む病魔に、私は堪えられなかったのだ。
やがて病魔の侵食は止まり、私はリスカを止めた。
それなりの高校生活が始まった。それなりに生きた。だけど――神サマは非常なものだった。
母が大事な妹を亡くした事で精神を病み、毎日のように彼女は泣き叫んでいた。父は必死になだめていたが、その父も強い方ではなかったから、いつ壊れるかは定かではなかった。
私は母が泣き叫ぶ度当たられる度手首を切り刻んだ。何が癒される訳でもないのに。
母は病と同時に過保護になった。学校でも毎日携帯にTellが掛かってくるほどだった。
重かった。その歪んだ愛情が。
そして気付いた。
私は両親の安定剤なのだという事に。
副作用の強い安定剤。
だから私は私を守る度に彼らの言い付けに従順になった。時に従順に。時に反抗的に。
私はいつしか自分で生きる事を止め、自分らしく生きる事が分からなくなっていた…





RED OF

CHAOS









…わああぁぁ…

〈…またか…〉

彼女は一人ごち、部屋の隅でうずくまった。ボロイ家はちょっと叫べば結構響く。
〈…あたしなんてっ…方がいい…のよぉっ!… 〉
〈…よくないっ!…ちつけ…たのむから…落ち着いて…れ…〉
傍の引き出しからカッタ―を引っ張りだし、青白い血管が浮き出る箇所に当てた。
…わああぁぁっ!…
声と共にゆっくりと引いた。
あっという間に血が溢れだしていく。かまわずもう一回、今度はずらして引いた。

ポタッ…ポタッポタッ…

机に赤い花が咲く。

タッ…ポタタッ…ポタ…
じっとそれを見つめた。ごちゃごちゃと混乱していた心が意外なほど冷めていく。
〈もう…これでしか自分を保てない…〉
いけない事だとは思えなくなっていた。
毎日飲まなくてはいけないならない薬の様に、自分の中に溶け込んでしまっている。
分かっている。
分かっているのに。
この手は赤を造り、染めることしかできない。
血の花はやがて小さな水溜まりへと変化する。
しばらくぼんやりと見つめ、ティッシュぺ―パ―で机を拭き、手首を押さえ付ける。
こんなことが毎日のように繰り返している。
〈苦しい…〉
繰り返す痛み。
流し続けても仕方のない赤。
折り返される矛盾が、心に苦しみを募らせる。
涙が溢れて仕方ない。
うずくまった膝に涙が落ちる。
懸命に声を殺して、泣いた。
〈…ここから連れてって…誰か…誰か…〉
何処かにいる誰かに向かって、彼女―サヤは無音の叫びを発していた…



<た…また逃げるの…嫌なの…!!私が…>
<…行ってくる>
<あなたぁ…!>
スゥと目を開き、目を覚ました。
起き上がって、辺りを見渡す。どうやら泣きながらそのまま眠ってしまったらしい。
ぼうっとした頭で着替えをする。
下に降りていく。母はいつものようにテーブルに突っ伏して泣き崩れていた。
気付かれないよう軽くため息を吐いて、そっと声をかける。
「ママ…」
反応はない。
「ママ…」
突如彼女はガバッと立ち上がり、薬のある棚に向っていく。サヤは急いで母を止めに入る。
「止めて!ダメだよ、薬飲んだって落ち着かないよっ!」
「離してぇっ!嫌なの…嫌なのぉ!」
「薬なくても落ち着ける…ねっ?…」
必死に母を宥める。彼女は肩で息をしつつ、呼吸を整えていく。
「サヤァ…サヤぁ…」
自分を抱き留めたまま泣き崩れる。
「ママ…私学校行くから…ね…」
「嫌…嫌ぁ…一人にしないでぇ…」
子供のようにわめく母を押さえながら家を出る。毎日の、日課とも言えるようなコト。


「何だぁ、こんな問題も解けんのか」
「すみません・・」
教師が黒板に向き直りながら呟く。
「しっかりしろよー」


「サヤ・・サヤ・・」
「止めなさい・・勉強の邪魔になるよ」
扉の向こうで父の制する声が響く。
「何よ・・貴方なんかちっとも私の事聞いてくれないじゃない・・もうサヤしかいない
・・ミサキが居なくなっちゃった私にはもうサヤしかいないのよおっ!!」
ーミサキというのは母の妹のことで、母は心底ミサキおばさんを可愛がっていたという。
「ミサキだけは私を理解してくれたの!なのにあの子はしょうも無い事故で死んだ!
もう支えがないわ・・サヤだけ・・サヤだけが最後の支えなのよ!サヤ・・サヤ」
「だからといってあの子の道を阻むことはお前にだってしてはいけないよ。勉強だってその一部になる・・さあ行こう」
「嫌・・嫌ああ!!サヤ・・ザヤああ!」

タッ・・タタッ・・
冷めていく心。流れていく赤。
こぼれ伝う、塩辛い涙。

「サヤ、勉強はちゃんとやっているのか?
成績が下がり気味だぞ。母さんがああだからといって、甘えていてはだめだぞ。」
甘えてんのは、てめーだろうが。


流れ出る赤だけが心の柱を支えている。
<・・このまま・・おかしくなるんじゃないだろうか・・>
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、口を開けた手首を見つめる。

  でももう、折れそうだ。
  この心は、折れそうだ。







私は、私として生きてはいけないのだろうか。
神サマはとことん私が嫌いならしい。
運命とやらはとことん私を突き落とすらしい。
もう私には望むものさえ存在しない。
闇だけはじわじわと私を侵食し、ただ静かに私は、闇へと溺れていく。


必要なものだけをトランクに詰め込む。
本当に必要なものだけを。
サヤはただ必死に荷物を引っ張り出してはこんな日のために買っておいたトランクに詰め込んでいく。
全て終わって、机から紙切れを取り出し、走り書きで一言残す。
紙を引っつかんでトランクを抱え、忍び足で下へと降りていく。
ひんやりとしたリビングのテーブルにそっとその紙を置いて、忍び足のまま玄関に向かう。
「誰かいるの・・?」
その言葉とともにサヤは扉のノブに手をかけ、一目散に駆け出した。
「サヤ・・?サヤ!!どこへ・・サヤああ!!」
後ろの方で母の絶叫と扉の閉まる音が混じり合って、消えた。
重いトランクを引きずるように足早に駆け出す。
はるか向こうに、街のネオンが輝いているのが見えた。




もう、どうだっていい。
何もかも、どうだっていい。
だから、出で行こう。




あのネオンの下で、死に逝こう。




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