夜の闇を全て照らさんばかりに満月が輝いている。
その月灯りの下、大きなビルが乱立する細い裏路地の間で二つの人影が影を落としていた。
1人は立ち、もう一人は両手を足の間の地面についてまるで猫の様にしゃがみ込んでいる。
その時横凪ぎに一陣の風がそっと流れ、一人のセミロングの髪の毛を流した。
月灯りにそれは透ける様に輝いた。
やがて風が止み、顔に流れるその髪の毛を片手で抑えていたその人間はゆっくりとその唇を開く。


「……済んだわね」


その問いかけはしゃがんでいるもう一人の人影に向けられていたようだった。
声を掛けられてそれは時間をかけて声をかけた方を見つめると、ニタリと妖しく笑った。

「…当然だろ。こんなん楽勝だ」


そして二人は目の前の地面を今ひとたび見つめた。そこには真っ白な灰の山が積もっている。
やがてそれは再び流れて来た風に流され、少しずつ流れていった。完全に流れて消えた後、二人は顔を見合わせて無言の意思疎通を交わした。


「行くわよ」

「…りょーかい、ご主人様」














1.


休み時間の高校の教室はなんとも平和なものだ。

ガヤガヤと賑やかな教室の中で、私は堪えていた眠気を発散する様に一つあくびを漏らした。
賑やかなこの時間帯はうたた寝には丁度良いだろう。
まどろむ私を誘う様に机が目の前にある。
このまま突っ伏そう…そう思った時、自分の耳に数人の噂好きの女子たちの会話が飛び込んできた。


「…ねえ知ってる? 最近の連続殺人事件の話」

「…ああ、深夜に殺されて、おまけに遺体は獣に食べられたみたいにぐちゃぐちゃだって…気持ち悪いね」

「ねー…」

「警察も犯人がまるで分からないって言うらしいじゃん。何なんだろうね…」


(連続殺人…)


会話はその後も続いていたが、私の頭にはその言葉だけがぐるぐると回っていた。
遺体は獣に喰われた様にぐちゃぐちゃ…犯人は不確定…
しかしとうとう耐えきれない眠気に机に突っ伏した。自らの腕を枕に、ぼおとする頭を必死に動かして思考を巡らせる。


(…もしかして……)


だんだんとまどろみが深くなってきて、瞳を閉じようとした瞬間に突如頭上からドン! という鈍痛と重力が降りかかってきてそのままぐりぐりと重力を押しつけられた。
耐え切れなくなって私はとうとうがばりと身体を持ち上げた。


「紅(くれない)っ…この! いい加減にしなさいよこの莫迦!」

「莫迦はそっちだろカース」


身体と共に振りかぶった左拳を受け止めたのは自分にとって見覚えのある青年の姿だった。
細いアーモンド形の瞳を縁取る長いまつ毛に、毛先が少し跳ねた短髪の黒髪が眩しい。
赤銅色の静かな雰囲気を宿した瞳がこちらを見下ろしていた。
その瞳ををより一層細めて、彼―紅はどこか面倒くさそうに口を開いた。

「…全くお前いつも何かしらにかこつけて寝てるよな。成績も中の中なんだからしっかり学べよ」

「そっちこそいつも屋上でさぼってんじゃないわよ青年。偉い人は大志を抱けって言ってんじゃない」

「俺は学ぶ事はもう学んだんで結構なんだ」

「時代は常に流れているものよ」

「常日頃寝てる奴が言うな」

「何よこのジジィ」

「…誰がジジィだこのアホ女。その口いつか縫ってやんぞ」


一通りの口げんかが終わった所で力尽きたので、再びため息をついて机に突っ伏した。あーもー疲れるわ。
青年―紅は隣の席のイスを引っ張って来て馬乗りに腰掛け、その背に肘を乗せ、更に掌に顎を乗せて彼女を見る。
栗色のセミロングの長髪は、真っ白な制服のYシャツにはらはらと零れている。
だるそうに閉じられた瞳の奥には紫がかった黒―紫黒(しこく)の色があるのを紅は良く―知り過ぎるほどに知っていた。

じぃ、と一時見つめた後に顎を乗せていた腕を動かし、そっと彼女の髪の毛に触れ、持ち上げた。
癖のないストレートの栗色は日の光に当たると綺麗に輝く。
紅はその美しさが好きだった。
少し持ち上げて、重力に任せるまま落とす。その動作を繰り返しながら、紅は真面目な口調で眠っている筈の彼女に話しかけた。


「…真紅(しんく)」


彼女を呼んでみるが反応はない。しかし紅はそれでも構わない、とそのまま突っ伏したままの彼女に話を続ける。

「さっきの話聞いてただろ。ここ最近の連続殺人事件の話。俺は新聞とネットで見てみたが、まああながち違いはねえな。
どれも深夜の時間帯、もしくは夜の一人歩きを襲われたと見られ、遺体は獣の咬み痕みたいのが残されている。
掲示板とかじゃホントぐちゃぐちゃで見る影も無いらしい、って話だ。まあ当然っちゃ当然、かもな」


「…ええ」

寝ていたらしい、とは見た目だけで、案の定彼女―真紅は声だけで反応を返してくれた。
紅はふん、と鼻から息を漏らすと、いじくり回していた彼女の髪の毛から手を離す。
すると彼女はゆっくりと顔を持ち上げ、視線だけをこちらに向けた。

「…今回の連続殺人事件。恐らくは」
「右に同じ考え。私もそうだと思う。考えたくもないけどね」

ホントに、と言って真紅はまた顔を埋める。
どうやら本気で眠いらしいが、紅はそんな真紅を馬鹿正直に寝かしつける性格では無かった。
その指でつんつんと真紅の頭を小突きながら話を続ける。


「でよ、その遺体が発見されんのが2週間に一回。日付を確認したら、案の定皆共通点があったぜ」

「…………満月でしょ」
「そ。満月の日」


分かってんじゃん、と紅は笑って言いながら、今度は拳で頭を小突き始める。
この野郎…イライラしながら真紅はそれでもその拳を何とか無視して彼の言葉を聞き流していた。
そうこうしている間にも貴重な睡眠時間は刻々と削られていく。
しばらく堪えて目を閉じていると、ざわめきは心地良い眠りをまた誘ってくる。しかしここには無情な奴がいるのだった。

「…でさーナマケモノな真紅ちゃん、それが明日な訳よ。真紅? なら犯人が動くとしたら明日だよねー」

紅の話を半ば聞き流していたら、ゴツン、と今までより強く小突かれた後に今度は耳元で紅の囁く声がそっと入りこんだ。

『お・仕・事・だ・ぜ、真紅』

「……っ!!」

その途端ゾワッ! と背中から駆け上がって来て思わず真紅はガバッと身体を起こさざるを得なかった。
彼の声はあまりに妖艶で、おまけに人を惑わす程の低音美声なものだから囁かれたらたまったもんじゃない。
むずむずする首元を右手で摩りながら、真紅は目の前の彼をギィ! と睨みあげた。
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「…いつも言ってんでしょ! それ止めてよね!」

「ケケッ、だからやってるんだろ。お前が耳弱いって知ってるからなー楽しいなー」

「紅!」


怒りが頂点に達した真紅はとうとう立ちあがって紅の後を追いかけようとした時、次の時間を告げるチャイムが無情にも真紅の耳に届いた。


嗚呼、睡眠時間が…力尽きて真紅は、その場でうなだれるしかなかった。





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