月夜の中で建物が死者の様に立ち並ぶ中、ビルの上で月灯りを浴びて立ち尽くす二つの影がある。
その二つの影はしばらくの沈黙を守った後、一方が両手を伸ばして伸びをしてからため息を吐く。

「あー…つっかれた」

「お前何にもしてないだろ」

「貴方っていう扱いづらい奴が相棒だと疲れるのよ悟れ莫迦」

「莫迦って言うか!? そこ莫迦って言うか!?」


その声は若い男女の声だった。夜の街には二人の声だけが響き、ビルの下には車が行き交いイルミネーションが瞬いている。
彼らの声は下の喧騒に紛れて決して聞こえる事は無い。
彼らの目の前には白い砂の山がまるで彼らを取り囲む様に囲んでいた。
それは一陣の風が吹くと、皆揃ってさらさらと流れ、やがて消えた。
そして彼らはそれを見届けると背中を向けて歩き出し、その場所から文字通り、音も無く姿を消した。




『鬼飼い弐―吸血タイプ―』





いつもの高校、いつもの教室。
今日も賑わう其の空間で、短めの髪の毛を無造作に跳ねさせた青年―紅(くれない)が静かに端末を動かしていた。
人間とは思えぬ白い肌に赤銅色の瞳を持つその美丈夫の視線は今、携帯画面のニュースの文字を真剣に追っていた。
PCをそのまま小さくした携帯はPCサイトも覗けるからありがたい。そこには今時のニュースにあるまじきテロップが流れている。


『現代の怪―連続殺人、死体からは血が一滴も残っていなかったと…』

「……」

じい、とそのテロップをきっかり5秒間見つめた後、青年―紅(くれない)はその細い指を滑らせ何かの文字を打った。
少し待つと検索結果がずらりと現れる。そこにある適当な項目を更にタップすると、あるサイトが開いた。
それは最近起こった事件事故の検証サイトだった。
そう言う系統は今でこそなくなったけれど稀に物好きが―酷く稀な話だ―本当に物好きな奴がこのサイトを開いている。

秘密の会員制、あと多少の事にはゲロを吐かない精神力が必要とされる。まあその多少は一般的ではないと付け足しておく。

さっそくそのサイトの最新項目に先程のニュースのチャットのスレッドが出来上がっていた。
開くと一番目に憎たらしい文面が真っ先に飛び込んでくる。

『おい、早速見たかニュース。情報持ってたら晒してけよ餓鬼ども』


「ちっ…」

そのサイトの主のモノ好き―熨斗目(のしめ)が早速その場を仕切っていた。
彼は鬼飼いや自分達の様な飼い鬼の専用のサイトの表上の主であり、相棒と共によくこのサイトに出現する。
軽く舌打ちをして、それを見やる。全く教えて欲しいのはこっちも同じだってのに。
いい根性してやがるぜ、と呟きながら続けざま文字を打ち込んだ。


『俺も見たばかりだ。そっちの方がはええんだろ。絞りかすで良いから寄越せコラ』

よっと、完了を押して少し待つと、直ぐに返信が咬みついてきた。


『あ″ん? てめえさてはKだな。もう少し頼み方ってもんがあるだろうが抜かせボケ』

『喧嘩売りにきたんじゃねえよさっさと寄越せ物好き』

『ほっっんと口の聞き方知らねえ餓鬼だな。お前のお姫様に会わせろよそれで教えてやんよ』

『だ・れ・が! お前の様な女好き変態には会わせてやんねぇ! 教えろ!』 


最後には見えない画面越しの相手と向きになってダダダダダ、と力というか殺意を込めた打ち合いをしていると、
間にお止めなさい、と至極冷静な単語が割り込んで来た。ああ、これもいつも通りだ。紅は深くため息をついて己を取り戻した。
彼の相棒、桝花(ますはな)の口調で文字が書き込まれる。


『君たちの愚鈍な争いは結構ですから、さっさと互いに持ってる情報を晒しなさいクズ共』

うっ…。
きっとそれまで自分と戦っていた相手も同じように言葉に詰まっているのだろう…それ程にその主の言葉には棘があった。
ましてや向こうは毎日その毒を吐かれている。

それまでわいわいと画面を埋め尽くしていた二つのユーザーがだんまりと音沙汰無くなると、
その主―桝花はさて、と一つ打ちこんで話を再開した。


『さ、まずは貴方ですよ物好きクズ』

『くっ…事件発生は7日前。ある飲食店で四角のあるテーブルで突如男性客が崩れ落ちた。
周りにいた客が店員に知らせ、店員が様子を見に行って彼の背中に触れた瞬間彼は崩れ落ちた。彼は青ざめた表情で死んでいた。
そのまま辺りは騒然となりあっという間に事件は公になった。
その後警察が駆けつけて調べた所彼の首筋には2つの傷痕があり、彼の身体からは血液という血液が抜けていた。残らずだ。
それ以外には外傷も何もない』

『まるで全てを見て来たかのような情報を持ってるじゃないですか。さすが物好き』


まあ彼はその情報ツールが幾重にもあるからなあ、と心の中で思ってから自分もそれを当てにしていた事を思い出してちょっとむかっときたのは黙っておこう。

『それで、もう一方のクズはどうなんです』

プチン、と頭の血管の一つが切れた様な音が聞こえた気がしたが、
コイツに逆らうと後が怖いので必死に抑え込んでから青年―紅(くれない)はそっと文字を打った。

『…俺はたった今ケータイで確認したんだよ。それから確認の為に此処に来た。丁度その日は満月だって事くらいしか分からん』

『満月…そんなもんですね。まあ僕もそんな感じです。
それでk、丁度事件の起きた地区は貴方の管轄でしたね。なので今回の担当は貴方達って事になります。いいですね。
貴方のお姫様と一緒にその事件を解決なさい』

『…分かっている。だからそちらも知っている限りの情報を寄越せ。担当以外はそれが義務だろ。特にお前と傍観してる物好きは』

『ハッ…情報も何も…すべてその物好きが晒したじゃないですか。お前も大概莫迦ですね』


にべもなくそう返されたので、紅は思わずカッとなって画面を割り砕かんばかりの勢いで連打した。


『…何が言いたい』

『遺体の首筋から2つの傷痕、そして身体中から血液という血液が抜かれていた。
それらがどういう事を意味するか。鬼に決まっているでしょう、それも特殊な鬼』

『吸血タイプ…』


某有名小説を発端として瞬く間に世界にその名を知られた鬼の有名な名を持つ『鬼』。
若い女の血を欲し、残虐に人を襲いその喉を引き裂く。それを妨害する者は残酷に排除する。


しかし小説はあくまで小説であって、自分達が追っている鬼―「邪鬼」とはまた違う。


「邪鬼」は最初実体を持たない存在である。


そこに人間の負の思いを嗅ぎ取ると、彼らはそれを吸収し、実体となる。そして終いには人間を食い荒らすのだ。
様は、鬼達は意思を持った生体に関係したモノを媒介としてこの世に生を得るという事だ。
しかしその中でも人間を喰わない、別のイレギュラーなタイプも存在する。
それは自分達、鬼を飼い慣らす事が出来る力ある人間と契約し、それ以上の力と実体を得る『飼い鬼』である。


その他に、今回は自分達の様に人は喰わないがその血を求めるタイプであると画面の向こうの相手は沈黙を通して伝えていた。
しかしその力は未知数。その存在はあくまでアンノウン。だからこそ皆担当になる事を極力拒むと言う。
そこまで思い出して紅はギリィ…と音を立てて歯を噛みしめた。


『……謀ったなこの野郎』

『気がつかない方がいけないんです。モノ好きでは役不足ですし、貴方にはとても力強いクイーンが居るでしょう。
今更怖気づくとか仰らないで下さいね』

「………チッ!」


思いっきり舌打ちして、紅は渋々その返事を打ってからログアウトして携帯を持ったまま机に身を投げた。


「あーちくしょー…どーやって真紅に説明すんだよーめんどくせー」

「何が面倒くさいって?」


リィン、と鈴が鳴る様な軽やかな声がうつぶせになった紅の上から振ってきた。
あーあ、と心の中で呟いて、紅は上半身を持ち上げてその声の主を見上げた。


「真紅(しんく)」


栗色の長い髪の毛がサラリと流れ、彼女の肩に落ちる。
紫混じりの黒瞳がまるで何かの鉱石の様な輝きをもってこちらを見下ろしていた。いつもその美しさにドキリとさせられる。
紅はそう思って苦笑いの様に彼女を見返した。

実体のない『鬼』は力のある人間と契約する事で『飼い鬼』となる。
その自分を『飼い鬼』とした『鬼飼い』―力強いクイーンと称される我が主は、む、とした表情のまま紅の前の椅子にストン、と腰かけた。


「まーたサイトでいつもの喧嘩?」


そう言ってくしゃりと破顔すると、紅のおでこをぴん、と弾き飛ばした。いってぇ!と声を上げる紅を見て真紅は笑い声を上げた。


「あの人には弱いもんね、アンタも、アイツも」

「るっせ―黙れ」

「それで。この事件なんでしょ、何か掴んでたの?」


そう言いながら、真紅は自分の携帯の画面をコツン、ともう一方の手で小突きながら突き付けた。
そこには先程の吸血事件のテロップが表示されている。


「どうせあの人の事、この地区は私たちの担当だから何とかしなさい、って言ったんじゃない。
やあね、こんな未確認の鬼、相手にしたくないのに」

「押しつけられたんだよ、吸血タイプだとよ。あーもーめんどくせー」


紅はだるそうに言って、また机にうつぶせになった。真紅は少しため息をついて紅の黒髪に手を伸ばして撫ぜた。


「あの人から言われたんでしょ、ならやるしかないわ。仕方ない」

「………お前がそう言うならやるよ」


自分の頭を撫でているその手を取って、紅は顔を上げる。その赤銅色の瞳に、一瞬だけ真紅の色が混じるのを真紅は見逃さなかった。


「お前の為にやってやる」


それはけっして揺るぎなく己の耳朶を揺らし、脳髄を駆け上がっていく。それを感じ取って意図せず心臓がどきり、と跳ね上がった。


(…落ち着け)

この心臓の跳ね上がりは、幻だ。
強いて言うなら心理カウンセラーが患者に好意を抱かれてしまうような。
鬼飼いは決して飼い鬼に好意を抱かない。何故なら力関係が逆転してしまうからだ。
力関係が逆転してしまえば、鬼飼いは鬼飼いではなくなってしまう。だからこそ、心を許してはならない。
目の前の美麗な鬼を見つめながらじっくり沈黙を保った後、真紅は言葉少なめに口を開いた。


「……じゃあやって頂戴。私の為に」


しばらくの沈黙が効いたのか否か、紅はパア、と瞳を輝かせたのを見るとどうやら喜んで真紅の言葉を受け取ったらしかった。


「じゃ、帰ったらまた情報集めしましょ。時間が経てば何かしら新しい情報も入ってくるんじゃないかな。
ネットで聞いてみて、その後現場に行ってみればいいかなと思う」

「そうだな。俺はアイツと口論争するのは面倒くさいから、今度はお前がいてくれた方がありがたい」



そう言う紅の表情はどことなくぐったりとして疲れきっていた。





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