糸を針に通す様な地味に耐えがたい苦痛の小一時間の点滴が終わり、重い身体を引きずって何とか異種研のドアをくぐると、人口光の点滅した薄暗い廊下の壁にカインが寄りかかっていた。長身の彼は暗い空間に立つとまるで夜の森に立つ大樹のようだ。顔を遮っていたゆるりと波打つ黒髪が立ち上がるとその顔が青白く現れる。アメシストの瞳がキロリ、とこちらを向いた。口元が哀しげに歪み、左手を持ち上げるとルナの背中を引き寄せる。


「・・・・・すまない・・・無理をさせていたんだな」



切なげに囁くその声にいつも逆らえないでいる。抱きしめられ、髪の毛の中に手が差し込まれ、耳元で真摯に語りかけるカインに身体中の細胞が反応する。ヴィオが加わり、3人の生活になってからというもの、彼と関係を持ち、血をあげたのは一度だけだ。3人になった、あの日。それから大分経っているのにも関わらず、彼の血は自分の中で反響しているようだ。そろそろと両手を伸ばし、彼を抱きしめ返す。


「・・・・あの人は帰ったの・・」


「ああ」



「あの人は・・・カインを良く知っていた・・・同棲、してたから」


「半年だけだ。ルナ」


急にぐい、と両腕を掴まれて持ち上げられ、必然的に視線がカインへと持ちあがると、彼はその紫の瞳を真っ直ぐに向けて真剣な表情で言った。


「アイツとはもう終わったことだ」


「嘘」


「嘘じゃない」


「だって!」


思わず声を荒げてしまった自分にびっくりしてしまった。感情をこんなにもコントロールできないのはどうしてだ。声を荒げてしまうなんて何十年ぶりだろう。涙が目尻にたまる。やっと分かった。これは嫉妬だ。カインがもう何でもないと言うのは、昔は何でもあったから。良い大人が半年も一緒に暮らして何でもない訳ないんだ。
あの人は綺麗だ。すらっとして、細面の美しい顔、何よりあふれた自信。自分には持ち合わせていない何かを持つベナンダンディ。ああ、これは嫉妬だ。


「ルナ」


カインの両腕が腰に伸びて身体を攫い、また引き寄せると、泣きそうに顔を歪めるカインの姿が一瞬視界を掠めた。


「ルナを離したくない。俺の月。愛している。それは分かってくれ。俺を信じなくてもいい、それだけは事実だから、分かってくれ」


途端に彼の感情、といっても言葉ではない、形的なモノがドッと押し寄せてくる。哀切だ。ただ哀しいという感情が溢れていた。そして愛しているんだ、という言葉がその次に多く占めていた。それに感化されるように自分の心も染まっていく。奥底の自分の感情がまだ信じてもいいの?と聞いている。まだ信じられるの?染まっていく心が抗いたいと叫んだ。でも結局彼の感情に負けてしまう。今はただ分かった、と蚊の鳴くような声で答えるしかできなかった。


「帰ろう、ルナ」


頭を優しく撫でられ、カインの香りが落ちてくる。いつもならその一つ一つで安堵してしまうけれど、何故か今は心がざわめくのを抑えきれなかった。













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