魔女。Witch、Hexe。(ウィッチ・へクセ)

語源はWicca Hexen(ウィッカ・ヘクセン)「賢い女性」からきている。魔女狩りの前半期メルヒェンの魔女によく見られるように、異端とされ多くが火刑に処されたのは森の中や村はずれで孤独に住む年寄りの醜い女、宗教に反する異端の者だった。それはまた民衆の慕う医師であり、『異界からの道』と考えられた女性の産道を通って生まれる赤子を、民衆の知り得ない医術でもって取り上げる産婆だったのだ。


「ここまでは前回のおさらいだね。では、何故魔女狩りはステレオタイプの老婆から若者、特に女性に移行していったのか」


ヴィオはオフィスのホワイトボードにあらかたの概略を書いた後、振り返ってチェアに腰掛ける三人を見返した。ルナはコーヒーの入ったマグを持ち、カインはテーブル前のチェアに足を組んで腰掛けている。そこにもう一人招かざる客―ソファに腰掛け、紅茶のカルチェラタンを優雅に飲み込む一人の長身の女性―己の先祖の敵、ベナンダンディのアンナ=ロッサだった。
どうやらルナの上司のあのおっさんが事件の早期解決という名目の元、彼女を一般アドバイザーとして就任させたらしい。まったく食えない爺さんだ。


「ねえ魔女さん、それにちょっと付け足して良いかしら」


「何」

相変わらずの優雅な手つきでティーカップを持ち上げて、長い脚を組んだアンナはソファに座ったまま紅茶を口に含んで飲み込んだ。そしてゆっくりと口を開く。


「魔女の語源「Hexen」は昔から使われていた訳ではないわ。魔女のもともとの観念?というのかしら。Hexe,Hexenと呼ばれる前の人々の観念を知っている?」


「というと?」


ルナが聞くと、アンナはティーカップを置いた後、傍にあったクッキーを一つまみし、カップから立ち上る湯気を手で仰ぎ、存分に紅茶の香を楽しんでから話しだした。


「魔女の観念ってもともと信仰、伝承から来るファンタジックな観念なのね。もともと民衆には魔女の言語Hexenという言葉より、Druden(トルーデン)として通用していたの。
Hexenという名称は旧古世紀世俗裁判所の刑事訴訟に現れ、その後公会議で公式用語になっている。その後Hexenが占めて行ったの。
話を戻すわね。Drudenは元がDrudeといい、それは夢魔(アルプトロイメ)の一つであるの。この夢魔は動物や人間の姿をした圧迫霊と考えられていた。眠っている人間の胸に座って呼吸を苦しくさせたり、胸苦しさを覚えさせたりね。この夢魔っていうのはまあ、エロティックな夢と結びついていたものなのよ。魔女がサバトに行って宴会の後悪魔と交わるっていうエロティックなイメージもこうして生まれた、といわれている。兎に角、夢魔信仰と魔女信仰はこうして合わさっていった。この観念は古代のヘカテの襲撃とも考えられていたから、ヘカテも魔女信仰と合わせやすかった訳。」


「ヘカテ・・・女神・・・大地母神信仰か・・!」


ぱん!と両手を叩いて、ルナの隣のデスクチェアに腰掛けていたカインが身を乗り出す。

ヘカテ・・・女神・・?

アンナはふふ、と謎めいた笑みを刻んだまま、ティーカップを口に当てた。


「ヘカテはある時代以降、彼女の従姉妹のアルテミスやまたセレ―ネ―、ディアナと同一視され、混合してしまった。月の女神は豊穣・出産の神でもあったのよ。生と死は表裏一体。カードの表と裏。月の女神は生命の象徴であるとともに、魔女たちからは死の女神、冥界の主人として崇拝されたの・・・・」


「・・・女神アルテミスは森の、狩猟の女神でもあり、ヘカテは山野の女神だ。両方豊穣を意味するものをつかさどる。魔女信仰の起源をそれこそ追求すれば、古代エジプトの豊穣の巫女まで辿れるからね」


ぽつりと、付け足す様に口を挟んだヴィオ。というよりはその通りでそれ以上は言えないという雰囲気を受けた。ヴィオの言葉もさらっと受け流して、アンナが口元に少しの笑みを湛えながら言葉を続ける。


「豊穣をつかさどる女神と、三位一体をメインとし、母は処女でなければならないとした教誨信仰。ねえ、豊穣とはなんだと思う?豊穣は作物が沢山採れる事よ。後は何?人間の繁栄ね。人間が繁栄するためには交わるしかないわ、つまりセックスね。それがー曲がりに曲がってサバトで踊り狂った後に悪魔とセックスをするという猥らなだけのものになった・・なぜ人々を潤す豊穣がそこまで狂ったのかしら?・・・その背景にあるのは、やはり教誨信仰なのよね」


「教誨はやはり・・・自らの神を貫こうとした、と?」


ルナがそう問いかけるとアンナはそうねぇ、と何とも言えない返し方をする。ルナは何気なく手に持ち口に付けていたマグカップを外すと、そのままサイドテーブルに置いた。中の黒い液体がたぷん、と拍子に揺れる。


「今の主な信仰の前から存在していた大地母神信仰は、今の教誨側からすれば邪魔者でしかなかった。当時、教誨宗教を広めたい者が大地母神信仰が盛んな土地に在留した時、その者は徹底的に女神を追い出そうとした記述があるくらいだもの。これから見る様に、教誨側からすれば異教は邪魔者でしかないの。だから人々に邪教として伝道して行った。」


「ごめんなさいミス・アンナ。ちょっと話をずらしてもいいかしら」


「うん?」


そろそろと手を挙げて彼女を見上げる。不思議そうな表情でアンナがこちらを見つめ返してきて、なんだか話の腰を折る事にためらってしまうが、構わず口を開いた。


「・・・・魔女のステレオタイプである森の奥に住む老婆は、だから真っ先に目を付けられた、という事?異教ではないけれど、ただ「異なって」いたから?」


おそるおそる尋ねるルナに、アンナは眉を寄せ、顎に人さし指を当ててしばし唸ってから返事を返す。


「んー・・・そうね、それはあるわね。・・・・産婆としての役割も果たしていた彼女たちは、今でいう医者代わりだったのは聞いた?その後、医療と言うものが明確に姿を現してきたのだけど、やはりー男尊女卑、とでもいうのかな、男性の権力が強かったの。男性にしてみれば、技術をもった賢女、月に一度血を流す女性は、うっとおしい存在だったのね。彼女たちが魔女として目を付けられたのは、そういう事も一因としてあるのよね。後、本来宗教で禁忌とされた堕胎を行っていた彼女らは、容易に死体や嬰児を手に入れやすかった事から、嬰児殺し=魔女と結びつけられた。・・・色々言ったけれど、様は一文よ。ただ、「女」であったから」

「もともとこの世界に浸透している宗教は女性嫌いの気があるからな。」


「でも・・何故それが魔女の公開処刑、という残忍な方法で、しかも無差別に行われたのかしら・・?」


訝しげに首を傾げるルナを、今度はヴィオがニッコリと笑って答えた。


「魔女狩りは地域差があるんだけれど、都市部より、どっちかっていうと都市から外れた地域の方が多かったと言われているんだ。どうしてだと思う?」


「・・・・・・・貧富の差、とか」


考えた後、ルナがおそるおそる口にする。ヴィオは満足そうにそう、そうだね、と頷いた。

「魔女狩りってさ、結局の所お金がかかる訳だよね。当時は人件費が主だったと言われている。聴罪司、裁判官、執行人、等々・・・そのお金が一体どこから出たと思う?先ずは地方のお金だ。その地域のお金。だが一件の魔女裁判をやったら膨大な金が消費される、それもいずれは尽きようさ。さあ、後は何処から出そう?」


「・・・・・・分からないわ」


「罪人だ」


サラッと答えを口にしてしまったカインに、ヴィオの痛い視線が投げかけられる。それをしれっと無視してカインは腕を組み、目を閉じたまま口を開く。


「裁判で有罪になった者がその費用を負担した。被告が火あぶりになると財産は没収され、その費用に充てられる。無罪になれば国がその費用を負担したんだ。裁判をやりたくないという国側と、全ての悪災を生贄に押しつけ裁判をしたい住民がせめぎ合っていた。裁判というのはエグいイメージがあるだろうが、拷問は聖なる儀式、自白は告白、教誨で言うところの告解(バイヒト)だった。まあざっくり言いなおせば・・・公開処刑は暗黒の時代の唯一のエンターティメントさ。理由をつければいくらでも付けられたんだ。」


「・・・・・自分たちにとばっちりがこないように、あるいはその相手が金持だったからというその理由だけで・・・魔女狩りは起こったと・・・・?!」


何という事だろう。冤罪にしても酷い。それとも、その時代を生きるにはなにがしらの生贄が必要だったのだろうか。社会的な生贄。


「狂ってる・・・」


思わずついて出たその言葉を聞きとって、カインがそうだな、と口角を上げ自嘲気味に笑い返した。


「だがそれが事実だ。その一部にはその金を使い飲み食いに明け暮れた者もいるという記述もある」


しばらくその場に重苦しい空気が流れた。
血と狂気にまみれた時代、そして狂気と集団ヒステリ―の時代。それを行っていたのが同じ人間だという。ゾクリ、先程から寒気が止まらない。宗教とはなんだ。教誨とは。今の話を聞いて、はたしてどちらが悪魔だと言えるだろう。


「犯人は・・・この残酷さを残したかったのかしら。忘れるな、と。」


「どうかな・・・・ところで、被害者の共通点などは見つかったのか?」


カインがふと思い出したように頭を上げてこちらを見た。ルナはPCの資料をそれぞれ引き出し、見比べられるように揃えて宙に浮かべた。それぞれの事件の被害者の詳細だ。


「色々見たけれど今の所見つからない・・・家族構成、年齢、恋人の有無、生年月日から学校、友人関係などなどすべて見たんだけど、類似点はありこそすれ完全一致はないの・・・」


その場の全員が画面の資料に釘付けになり、皆そこで一旦黙ってしまう。仕方ないので自分ももう一度見直してみる事にした。
しばらくして、あら、と思いついたような顔をしたアンナが指を唇に当てて言った。


「昔、どこかで見た顔ねぇ・・・街の住民かしら、診療所時代の患者かしら・・・」


身体を前に倒し、肘を組んだ腿の上につくと、彼女はそのままうーんと資料を見たまま唸ってしまった。溜まりかねてルナはそれを聞いて見る事にした。


「ねえ、ミス・ロッサ。見た事のある顔って、そんな何十年も何百年も前の事なの?」


アンナはそうねぇ、とまだ悩みながら顎に当てていた右手を離した。


「・・・・・ここ最近では見た記憶ないのよ。だから昔―街に居た時のご近所とか、診療所の時の患者とか今思い出しているんだけど・・・」


「全員なのか?」


「そう。全員。不思議ね、こんな青臭いのに出逢った事すらないのに」


彼女がピン、と画像を弾くと、一瞬だけ粒子が崩れ、画像が乱れる。思い出せないのが少しもどかしそうだった。ルナは自身の手元を覗き込み、少しマグの底に残ったコーヒーを飲み干して、舌に残った苦みを昇華した。1人増えたこの空間に今はコーヒーと紅茶の匂いが入り混じって、それはまるで今の自分の心の様だと思った。













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