気になっていたのは匂いだけではなかった。オフィスに戻ってからカインたちを無理矢理隣の部屋に押し込み、ルナはまたネットの海と書籍の森を彷徨っていた。時折読んだ記憶を引き起こして照らし合わせて、という作業が続いている。

(匂いが・・・薄かったというのもある)

香水と聞いてつければプンプン匂いを撒き散らしてそこら辺の男の嗅覚をブッ飛ばしているもんだと思っていた。どうも香水と言うのは濃度があるらしい。
香水の濃度をヒエラルキーのようにピラミッドの図に置いて見る。
まず第一、一番てっぺんに『香水』がくる。これはフレグランスの頂点に立つ。名香と言われた香水は全てこれに該当するらしい。ソフトな製品であり、揮発成分(温度により気体となって蒸発する性質を持つ)が少ない。故に肌に残る成分が残りやすく、柔らかい香りが長持ちする。その成分の約50パーセントは二十四時間程残る。
第二、その下にくる『オールドパルファン』は90度のエチルアルコールに7〜14パーセント溶かした液体。清涼感がある過ぎる為に保留性に欠ける。
第三、さらにその下にくる『オードトワレ』は、調香師たちが何百年も前に編み出した香りの織物が由来である。身体を清め、主にリフレッシュして香り付けする目的で造られた。なのでこれは香りの持続性はなく、4時間程で消えてしまう。
第四は『オーデコロン』。これには二つのタイプがある。
典型的なオーデコロンは香水濃度は2〜4パーセント。もう一つのタイプは『オー・フレッシュ』といい、香水濃度は3〜7パーセント。オーデコロンに似ているが、香りが長持ちする。「オーデ・〜」という製品が多い。

とどのつまりは、香水にはこれだけのランク、というか分類がある、と言う事だ。
ならば、先の香りは犯人が付けていたか、死者に手向けるものかどちらかではないか。
多分メインは死者の手向けではないだろうか。これだけの惨たらしい死者を出し、おまけに魔女の復讐を模している。何の為に?自分の哀れなグレートヒェンの為に?
分からない・・・

ビー!ビー!ビー!

突如室内に鳴り響いた音にルナはびっくりして身体をヒッ、と飛び上がらせた。自分の個人用携帯からと分かり慌ててそれを取り出すと、ブン、と自然に画像が現れる。

「フォリ・・・!・・その眼はトロアね・・・」

そこには大分疲弊した青い瞳の青年がいた。チェアに縋りつくように腰掛け、どうやらそうしているだけでもやっとの様だ。何があったの、と聞くと、ぜぇ・・・と一つ呼吸をしながら、その震える唇が僅かに開く。

「・・・ドゥ・・が、・・・読み≠フ最中に・・・やられた」

「なん・・・ですって・・・!」

ぜぇ・・ぜぇ・・・変わらず苦しそうに呼吸をするトロアの沈黙の間をじっくりと見守りながら、その言葉を待つ。

「・・・ルナ・・・ドゥは・・・戻ってこれるか分からない・・片方を失った僕でさえこんな状態さ。・・・いいか、よく聞け」

ゴクリ、とトロアのつばを飲み込む音が聞こえる。

「・・・・・犯人は、魔術を使いながら。・・・香りも同時に操る。・・・犯人は己の女性を失った悲しみを暴発させている。・・・畜生、駄目だ。これ以上は・・・」

「・・・・魔術?」

こくりとその首が縦に落ちる。
「良いわ、それ以上は。今ヴィネに連絡して、私もそっちに行く・・」

「・・・いいよ、ルナ。半身を探さなきゃ・・僕の半身は・・悲しみの闇にいるから・・・僕が行かなきゃ・・・」

「トロア!呑まれちゃ駄目!今行くから待ってて!!命令よ!」

「ル・・・な・・・」

ブツリ。

その声を最後に電話が切れ、途端にぞわっ!と身体中に悪寒が走った。これは、これはこれは駄目だ、いけないいけないイケナイ。早く、早く、トロアを!
落ちつけ、と何度も自分に言い聞かせ、せっつくように電話をかけてヴィネを呼び出す。事情を離せば、彼は車を拾っていく、とさも冷静に言い放った。

「ルナ、彼らはアンノウンだ。故にこちらでは術をしようがないよ。あのトロアが己の力で闇色の海から上ってこなければならない。まあ、君が行く事でなにかしら反応があると良いが」

「ヴィネ、お願いですヴィネ。せめてトロアだけでも救わなければ、私はっ・・・」

震えるルナの声を察したか、冷静になりなさい、と諌めるように言われてしまった。

「・・・ともかく身の安全だけは護ってやらねば。君を拾っていく、君のオフィスから離れた喫茶店で待っていなさい」

「・・はい・・」

静かにそのまま電話を切ると、今度は隣からルナ?とあせった様にこちらを呼ぶ声がする。
カイン。
そのまま荷物をひっかけ、コートを取り、扉を通り抜けると案の定カインが心配そうにこちらを見ていた。

「何があった」

「・・・ちょっと出かけてくるわ」

「いい加減吐いちゃえよルナ、俺らはもう分かってる。あのカテゴリーアンノウン、死にかけてんの?」

その後ろからそっけなくヴィオが言い放った。もう隠しても意味がない。ため息をついて右手で髪を掻きあげ、唇を開く。

「・・・黙ってたのは謝る。でも大事なビジネスパートナーだから」

「・・・・・・・・・妬いちゃうな」

不貞腐れたようにヴィオが吐き捨てた。カインが射殺す様な勢いでヴィオを睨み付ける。
そのまま首だけを動かしてカインが戸口を促した。

「・・・・・俺達はいけない・・・・見てられないからな。これだけは言っておく」

近づいてきたその手がゆっくりと頭を撫でる。しっかりとした重量と、生温かい手の感触。この自分を幾度も護ってくれるその手。

「・・・無理だけはしないでくれ、と約束してくれ」

「・・・・努力するように努めるわ、私は元々そうだって、貴方も知っているでしょう」

「・・・・そうだな。悪い。でも心配だから」

「ありがとう」

私は罪にまみれた人間だ。この優しい吸血鬼を何処まで傷つければ気が済むんだろう。傷つける事でしか愛を示せないのなら、その愛に一体何の意味がある?
―止めよう。
ニッコリとその場で精一杯微笑んで、ルナはオフィスの扉を急ぎ通り抜けた。









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