通路を歩いて行くと、よく目にする光景がある。頭が人間の鳥、上半身が女性、下半身が魚の尾―それは二つあるーの生き物。 歌う人魚。歌う人魚。 それらを歩きながら視線で見送っていると、シャトラールがそれを見て気が付きましたか、と微笑みかける。 「頭が人間の鳥。あれがセイレーンです。太古の昔に描かれた人魚の最初の原形。 その頃からセイレーンは人魚…人型とヒレの尾を持つものではないにせよ、音楽の才を与えられたのです」 「…?」 訝しげに眉根を寄せるルナを見下ろして、シャトラールが微笑む。 「太古の昔より音楽には人を魅了する力があるとギリシア人は考えた。 音楽はピタゴラス派学者にとっては天文学者の姉妹として、惑星の運行、秩序、調和を正す物だった。 人間の霊魂はひとたび肉体を離れると自分を引き付け、宇宙の壮大なロンドに引きこむ、天上のハーモニーを聞く。 それこそがセイレーンの歌声であると。 彼女らは人間達の彷徨える魂を牢獄から救い出し、永遠の至福をめぐる天球のハーモニーを聴かせ、天上へと昇らせていくー これがどういうことかお分かりですか―それは、彼女らが神の子の証でもある証拠なのですよ」 「そうなんですか…」 その場で何と答えたら良いか分からず、取りあえずの生返事をしてみる。 クスリと笑い声が聞こえ、次の瞬間には頬に優しくシャトラールの手が差し伸べられていた。 びっくりして声が出ず、ただシャトラールの顔を見上げた。そこにある無言の微笑みは、それまでと同じで優しいものだった。 「少し、難しすぎましたね」 そして済まなそうに眉を少し下げて謝った。本当にコロコロと感情が揺れ動く人だ。 その手がそっと頬から離れると、自然と掌に滑りこむ。 「参りましょう」 「あ、あの」 「…手を繋ぐのは御嫌ですか?」 「……い、いえ」 仕方ないので成すがままになっていると、シャトラールはどこか嬉しそうに手を繋いで歩き出した。 ゆるゆると繋がれた手を揺らした彼の周りの空気が柔らかい。 しばらく歩きながら、ルナは先程から気になっていた事を彼に聞いてみる事にした。 「…ミスタ=シャトラール」 「シャトラールで結構ですよ」 「…では、シャトラール様。先程から気になっていた事があるのですが、それをお伺いしてよろしいでしょうか」 「……答えられる範囲なら、なんなりと」 そこで会話が途切れ、一時の沈黙が生まれる。 立ち止まった彼の瞳の奥に眠る深い霧の様な澱みに、ルナは一瞬聞く事を躊躇った。そしてルナはやっとの事で唇を開く。 「今回のパーティには6人が招かれていると聞きました。 しかし先程のディナーには三名…エルフィナン王、リシアス様、グローカス様。そして私、シャトラール様。 ロイ様は数に含まれないとして、あと一名…未だに居らっしゃってはいないのですよね……どうしてですか」 先程より長い沈黙がその場に流れた。ベイビーブルーの瞳がその場の空気を深海の中の様に蒼く染め上げる。息が苦しい。 しばらくしてやっと、思いきったかのようにシャトラールの唇が開かれた。 「……6人目は、一ヶ月前から行方がしれないのです」 「行方…不明?」 驚くルナをよそに、シャトラールは重苦しく後を続けた。 「6人目はセティス=マーフォーク。私の叔父です。若い当主となった私を支え、手助けをして下さった才ある方でした。 一月前、彼は我が一族の汚点を消してくると言って姿を消しました。その後…彼の行方は依然としてしれません」 「何処かに行くのか…お伺いしていませんでしたの」 「はい。それとなく伺ってみたのですが、彼はーセティス叔父は教えてはくれませんでした。それが余計に悔やまれます…」 そう言ってシャトラールは悔しそうに顔を背けた。その拍子に彼のプラチナブロンドの淡い前髪が彼のベイビーブルーの瞳にかかる。 夜の闇の中に瞳が淡く、蒼く光り神秘的に輝く。 (―捕われる) (―捕われる、彼に) その淡い蒼に。 「……私の方でも方々に手を尽くして彼をお探ししたのですが、行方は一向に知れませんでした。 その間にもパーティの期間は迫り、そして当日に…期限はきっちりと守る御方ですから、 当日になれば済まない、と言って現れてくれるかも知れない…そんな淡い期待もしてみました… しかし結局彼はいらっしゃいませんでした」 「…一応お伺いしますが、警察へは?」 そろそろと聞いて見ると、シャトラールはギリ、とその視線を強めてこちらを見つめる。 「警察…? 何故です? 私の一族は大きな一族なのです。 そこに少しの綻びが生じれば大きくなり、穴を広げる。だから叔父は汚点を消しにいったのでしょう。 そこに警察なぞ入れば穴を大きくするようなもの」 「…そうですか」 それを聞いて成程、と自然に納得をした。彼らにとって警察は引っかき回す部外者でしかないのだ。自身の汚点は自身で消す。 そういう事なのだろう。今の自分の立場では名乗りあげる事も出来ない、 「…それでは、貴方はこのパーティのメンバーの事については他の皆さまにお伝えにならないのですね」 「そうです…長らく続くこのパーティはメンバーが一人でも欠けると不吉が訪れると我が一族が伝えているのです。 皆様にそこまでの不安をさせる訳には参りません」 「エルフィナン様はなにか感じていらっしゃるのでしょうか」 「…彼は、そうですね。妖精の王ですから」 そう言ってどこか疲れた様に笑う。隠し通すのはそれなりにきついのだろう。 それからルナはそれまで溜めこんでいた、最大の疑問をシャトラールにぶつけてみる事にした。 「……どうして私に教えて下さったんでしょうか」 その微笑みがまたこちらを見つめたかと思うと突如手が伸びて引き寄せられ、彼の腕の中に取り込まれた。 温かい感触が触れた所を通して伝わってくる、その事に驚いた自分が居た事に驚いた。 ドキドキと心拍が上がっている、否その事よりも…慌てている自分を察したかのように間髪いれずにシャトラールの言葉が頭上から響く。 「……どうしてでしょうね…貴女には明かしたくなりました…己の弱みを。 …出来る事なら、この胸の内を全て明かしてしまいたい」 「…シャトラール様」 「…でも耐えます。今はまだその時でないと、この心は知っているから。 ルナ…無礼を承知でお願いです…今だけ…少しの間だけ、こうしていてくれませんか…」 「え…」 「…嫌なら振りほどいて下さい。私を拒絶してください…」 ゆるりとした力で、今のルナでも彼は簡単に振り解けそうだった。恐らく手加減をしていてくれているのだ。 それでもこの手を解いてはいけないと思うのは、きっと彼が傷ついている様に見えるからだ…。 軽く身じろぎをして、ルナは動くのを止めた。 「………ありがとう…」 どこか安堵した様なシャトラールの声が頭上から舞い落ちる。 抱きしめる力は少しだけ強まったが、それでもその力は彼女を慈しむ程の優しいものだった。 やがてシャトラールが離してくれるまで、ルナは彼にされるままでいたのだった。
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