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「で、ルナはどうしてこのパーティに参加しようと思ったの」

先程から目の前のマリンブルーの瞳が真っ直ぐにこちらを捉えて離さない。
あまりに純粋なその眼差しは、己の黒い部分すら明かそうとしているみたいだ。
ルナは口に運ぼうとしていた、手に持ったフォークに刺さる白魚のムニエルを直前でピタリと止めた。

目の前にいるマーフォーク家の一族の一人、ロイ=マーフォークはそう問いかけると、
片手に持っていたフォークに刺さる葉物をぱくり、と口に運んで咀嚼してからニコリと笑ってこちらに顔を向けた。

「知り合いの方が教えて下さったの。面白いパーティがあるよって。他の人は中々入れない、秘密の、内緒のパーティだよアリスって」

「おや、さしずめ此処はワンダーランドですか」

違いない、と言って今度はシャトラールがくくく、と声を上げて笑った。
こじんまりとした部屋に、大きな長方形のテーブル。そこに真っ白なクロスがかけられ、皺ひとつない。
そこに並べられた数々の料理には息を飲まずには居られない。しかしその料理の中には何故か肉料理が無かった。
その理由として、シャトラールは悠然と微笑んで、

「それは、我々が人魚の一族だから、ですよ。魚を敬い、感謝し、その命を頂く。肉食に頼らないのは、そういう事です」

若い貴女には不十分かもしれませんね、と付け足してきたので、いいえ、決してそんなと慌てて返した。
しかしそう言った事も今回の客人たちには既に周知の事だったようで、夕食に同席していた他の人間からジロリと睨まれてしまった。
先程のそれが大いに目立つ行為だったのだろう、今までに何度も視線がかち合う事がしばしばあり、
なるべく話しやすいシャトラールやロイに話を振ってもらって返してはいるが、どうも気まずい。
ちらり、とその人間達にばれないように視線を向ける。

一人は中肉中背の中年男。先程ジロリと嫌な視線を送られてしまった人物だ。
恐らくは年齢より若く見えるのだろう、引き締まった筋肉に包まれた体躯は皺の刻まれた顔に反して逞しい。
白髪の混じったサドルブラウンの髪は綺麗に撫でつけられている。グレイの高級そうなスーツを着こなし、今は黙々と魚を口に運ぶその男を、
シャトラールはエルフィナンと紹介した。

エルフィナン?

口にはしなかったもののその顔に浮かんだこちらの表情を見て、彼は口元に僅かな笑みを浮かべて返してきた。
どこか悪戯をしかける子供の様な笑みに、どうもその場で教えては貰えないものらしいと踏んで聞かないでおいた。
次に彼の横でにこやかに食事を続ける青年に視線を向ける。癖のある緩やかなヴァニラの髪は彼の白い肌に吸いつく様だ。
シナモン色の瞳が出てくる食事をまるで初めて見る物の様に一品一品キョロキョロと見回し、口に運んだ瞬間に子供の様に嬉しそうな笑みを浮かべる。
彼はリシアスというらしい。

その向かい、むっつり顔で食事をする青年はつんつんとしたブロンドに、アイスラベンダーの瞳。
しかしグローカスと紹介された青年の今のその薄紫の瞳には明らかな不機嫌が現れている。
皆が皆美をつかさどる者の様に美しい面立ちをしていたが、正直あまり深くまで関わる事を良しとは出来ない。何せここは人魚の一族だ。
うろうろと彷徨わせていた視線を元に戻すと同時にシャトラールと再び視線がかち合った。
きょとん、としていた表情が一転、心配を宿す物に変わる。慌てて表情を作りなおし、ニコリと笑みを返すと取りあえずは安心したようだった。

「ルナ?」

いつの間にかきょとん、と不思議そうな顔で向かいに座るロイがこちらを見つめていた。
いいえ、何でもないです、と微笑んで返すと、ロイはそう? と言ってまた食卓へと視線を戻したようだった。
そのまま自分も同じ方向へと視線を戻す。まだ自分の分は少し残っていた。ぼんやりとしながらフォークを肴に突き刺し、口に運ぶ。

「…シャトラール、今回こそは見せて貰えるのだろうな」

一瞬の沈黙を破って、グレイのスーツに身を包んだ中年の男―エルフィナンがシャトラールに向かってふてぶてしく口を開いた。
それにシャトラールが静かに顔を向ける。

「…何の事でしょう、王」

「何度も問わせる気か? アレの事だよ」

明らかに機嫌が悪い、という風に眉根を寄せたその表情はどこか凄味がある。
しかしそんなエルフィナンの事を意に介さない様で、シャトラールは努めてにこやかな笑みを彼に向ける。

「我々が毎回訪れているのにも関わらず、お前は一向にアレを見せてくれようとはせぬな。それは何故だ?」

「私は何も見せぬ、とは申しておりませんよ王。私にもその所在は掴めぬのです。
先祖が何処ぞに隠したか、はて昔の戦で燃え尽きたのか。それとも」

「誰かが欲望に任せて使用した?バカバカしいねシャトラール」

フォークを指の間に挟んでブラブラさせながら微笑みを向けて来たのはほわほわとした雰囲気を持ったリシアスだ。
ヴァニラの癖のある髪の毛が緩やかに揺れる。

「僕だって君がバカじゃないのは分かるよシャトラール。アレは人間の根本を変える。そう、」

「お前がその姿を保つ秘訣はアレなんじゃないかっていうのが巷で専らの噂だ」

リシアスの言葉を引き継いだのはブロンドの髪のグローカスだった。いつの間にかシャトラールの横で彼の肩に手をかけている。
そのむっつりとした表情は変わらないものの、どこか嘲る様な笑みが含まれている。

「お前がアレを使って根本を変え、今もこのマーフォークを繁栄させてるってな…
嗚呼、それが本当の話なら面白い、俺達もそのご相伴にあずかろうって事だ。なあ、妖精王?」

グローカスからニヤリと不敵な笑みを向けられたエルフィナンはそれに答えることはせず、その強い眼差しを今度はシャトラールに向けた。
シャトラールは全ての視線を向け止めると、カタリと音を立てて体制を直し、組んだ手の上に顎を乗せてその天使の様な笑みで返す。

「私も、その存在は祖父から聞いて知ってはいます。しかし何度も言いますが、存在の場所は知らされて居ないのですよ。
おとぎ話の様な物になりつつあります」

「そうやっていつもトボケるけど、実際はあるんでしょ? 」

ほわほわとした物言いの中に混じるほんの少しの鋭利な狂気に、その場に居たルナはゾクリと背筋を震わせた。
アレとは一体何だろう…? そんな会話の戦いの最中、一人取り残されていたルナの耳に、ロイの小さく呟く声が聞こえる。
振り向くと彼は酷く嫌そうな顔で彼ら三人を見つめているのだった。

「ロイ…」

呼びかけに答える様に、ロイはむっつりとした口調で呟く。

「…僕、あの人達嫌いだ」

「え?」

「あの人達、いつも兄さんにああやってアレの在りかを聞いてくる。欲望にまみれた意地汚い大人。
あの人たちだけじゃない、家の中にも…」

「あれって…」

「ロイ」

いつの間にかシャトラールがニコリとしてロイの瞳を見つめていた。
その透き通る様な空を薄めたような蒼の瞳が、優しくロイを見ている。

「どうやらコックが皆さんのデザートをお忘れの様だ。済まないがその足で厨房に伝えに言ってきてくれないか?」

「兄さん…」

「頼むよ」

優しく頼み込むシャトラールに、ロイは躊躇う様な沈黙と仕草を見せた後に、ややあって渋々と頷いてイスから立ち上がり、
静かに戸口まで歩いて行くとゆっくりとその扉を閉じて姿を消した。
それを見届けてシャトラールが再び三人の方向を向くと、再びあの柔らかな微笑みを向けるのだった。

「…さて、皆様。弟が今食後のデザートを頼みに行っています。フェアリーテイルはおしまいにして、甘い物でも楽しみませんか」

「…」

しばらく黙った三人の空気がやがて溶けるその頃には、三人共その場で先程の事を追求するのは出来ないと判断したらしく各々から呆れた様なため息が零れた。
最初のその沈黙を破ったのはあのエルフィナンだった。

「部屋に戻る」

「…デザートはよろしいので?」

シャトラールが伺う様に尋ねる。答える間もなくエルフィナンがガタン、と音を立てて立ち上がった。

「結構だ。アレについては諦めた訳ではあるまいぞ、シャトラール。今は、だ。
今はこのおぞましいワンダーランドに突き落とされたアリスに免じて去ってやろうと言うのだ。
メイドにはこちらから呼ぶまで起こすなと言っておけ」

ふん、と荒い息を吐いた後に、エルフィナンは威厳のある足音を響かせながら部屋を去って行った。
電子扉が閉まった後に今度はリシアスがルナにほんわりとした笑みを浮かべる。

「あの妖精王が大人しく引き下がるなんて珍しい…新しいお客さんが余程気に入ったと見える。ねえシャトラール?」

「私に聞かれても困りますね、リシアス」

ねえ? と彼はルナに微笑みかけた。いやいや、自分にふられても困ります。
困った様に微笑み返すと、シャトラールは直ぐにすみません、と微笑みながらルナに謝った。

「彼は気難しい方ですからね。多少の気まぐれもありましょう。おやグローカス、どうしました?」

突然何か思い立ったかのようにブロンド髪のグローカスがつかつかとルナに歩み寄ってくる。
驚いて思わず首をすくめるが、彼は迷わずルナの顎をぐい、と掴んで引き上げた。
アイスラベンダーの瞳が知らず近くなってびっくりしていると、グローカスは一時ルナの顔を見つめ、次にはニヤリと皮肉げに唇をつりあげた。

「…はぁん。見た目は上々だな」


バシ!


条件反射の様に弾いてしまったその手を、ルナは恐ろしい物でも見るかの様に見つめてから我に帰り、そしてその手の主を殺意を持って見上げた。
しかしこちらの視線でもグローカスはぴゅう、と口笛を吹いて嘲笑っただけだった。

「…中身は最高級品か。王サマもモノ好きだねぇ」

「グローカス」

リシアスが諌める間もなく瞬間にしてその手首に白い手が巻きついて締め上げた。グローカスの先程までの余裕が消える。
その手首を締め上げているのはー

「ぐっ…! …ほん、の…挨拶だろシャトラール…」

「その様な下品な挨拶なぞ見た記憶もない」

いつも温和な雰囲気のシャトラールはそこにはいない。
その瞳に宿るのは深い憤りだ。ギリィ…締め上げる力が一層増し、グローカスの額に冷や汗が吹き出す。
流石のルナもこれを黙って見ている訳にもいかなかった。

「シャトラール、私は大丈夫ですから…!」

「なりません。貴女に無礼を働いたのですから」

せっつくように言ってみるもその声は聞き入れてもらえない。

「シャトラール! 私からのお願いです! 貴方のお気持ちだけで十分ですから…!」

必死に懇願すると、シャトラールはややあってようやく、どこか悔しそうにグローカスの手首から手を離した。
その反動でグローカスの身体が放りだされ、彼はドサリと地面に投げ出された。
尻餅をついたグローカスをシャトラールは静かに見下ろした。

「……私の客人に感謝する事だ」

そして脇目も振らずシャトラールは自分の席に腰を降ろした。

「……申し訳ありません、姫君。空気が悪くなってしまったので、この場は解散と致しましょうか。
デザートの方は後でお部屋に運ばせましょうね」

「は…あ」

先程からこの人の心が流れて来ないのが不思議だ、と思っていた。
こんなに分かりやすい程の感情を撒き散らしているのに、一向にその心が読めないのだ。読めないと言う事は…

(この人は人間では無いのか…まあ当然か。彼は人魚の一族だ)

あるいは何かしら異種的なものを受け継いでいるのかもしれない。
そのまま彼の様子を見つめていると、彼はニコニコと笑いながらメイドに指図をし、リシアスとグローカスを部屋まで送り届ける様に命じていた。遅れてやってきたロイは何が起こったのか分からずにきょとんとした顔をしている。困った様にうろたえるロイに、シャトラールは同じように部屋に戻る事を伝えてロイを下がらせた。やがて部屋に彼と二人きりになると、彼は微笑みを絶やさないままに近づき、そっとルナの手を取った。

「貴女は私が送りましょう」

ゆっくりと取られた手が引っ張られ、身体が自然と引き寄せられる。
近くなったその距離でふわりと漂う水晶とマリンをイメージさせる香水の匂い。見上げれば微笑み返す天使の様な微笑み。

「さあ、参りましょう」

その声はまるで天界の音楽の様に甘美で、どこか悪魔の誘いの様に性的ですらある。
その声に、瞳に少なからず心が取り込まれている気がする。逆らう事すら許されず、まろやかに、ゆるやかに。








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