・ グローカスの部屋はルナが止まっている階の下にあった。 客人を招く部屋の造りは基本一緒であるらしいが、家具は自分の部屋とはまた違う。 近代的な家具が持ち込まれた部屋はシンプルな作りの家具が部屋に溶け込み、あまり窮屈感の無い空間を作り出している。 そこにあるベッドには仰向けになった肉体―グローカスの細身の身体が無残に転がっていた。 「……っ! ……」 「グローカス…」 「何という事…」 現場にやってきたルナとロイ、そしてリシアスがそれぞれに言葉を詰まらせる。 シャトラールは一度来ていたらしいから、まだ衝撃は薄いのだろう。それでも衝撃には変わらないだろうが。 エルフィナンは遺体の状態をじっくりと眺めていた。ゆっくりとルナは遺体に近づくと、ロイが小さな声で後ろから呼び止める。 振り向けば青白い顔が不安そうにこちらを見つめていた。 「駄目だよ…ルナ。僕らは後ろにいなきゃ」 「…私は」 大丈夫と言いかけて止める。今は捜査官ではない。しかしそれでも真実を知る為には少しでも情報が欲しい。 静かに首を横に振ってから大丈夫です、と声をかけ、遺体に少し近づくと、その胸にはペーパーナイフが刺さっている。 刃の方は遺体に沈んでいるが、柄の方が朝のぼんやりとした明るさに反してよく見えた。 「柄が…人魚のペーパーナイフ…」 「そうです。それは客人の部屋全てに置いてあります。勿論貴女の所にもね。 ペーパーナイフは古来より文具として、そして防具を兼ねていますから」 まあそれが殺人の道具になるとは想定していませんでしたが、といつの間にか隣に立っていたシャトラールが力無くそう言った。 エルフィナンの横で様子を見守っていたリシアスがつまらなそうに凶器をピン、と軽く弾く。 「やっぱり凶器はこのペーパーナイフ、だね。この敷地内で殺しをやるくらいだから指紋なんて…まあ残っちゃいないな。 きっと拭いたか最初から手袋してたんだろうね」 「リシアス、死者を冒涜する真似はよしなさい」 シャトラールが不愉快そうに眉をしかめると、リシアスが困った様に両手を上げ、首をすくめた。 エルフィナンはギロリと傍らに控えていた老執事を睨んで問い掛けた。 「第一発見者は?」 そんな視線にも臆することなく老執事は冷静に答える。 「…こちらのメイドです。 グローカス様は朝食にお越し頂くのがその…遅い方でしたのでお早めにお目覚めをして頂く様にお目覚めを伺いに行った所、ご覧の有様だった様で…」 横で控えるメイドの方に視線を向けると、彼女は何も言わずに顔を下げた。 その握られた手は今も震えており、彼女の動揺が嫌でも伺えた。 そんなメイドの方にだるそうに視線を向けたリシアスが次には明るい声でルナたちの方に笑いかける。 「でもさぁエルフィナン。こういう場合、一般的にはまず第一発見者を疑うよね」 「ひっ…! そ、そんな…!」 それを聞いたメイドが思わず小さく引きつった悲鳴を上げる。 すると、しかし、と話を割ったエルフィナンが至極真面目な表情をリシアスに向けた。 「彼女には理由がない」 それを言われてメイドがホッとした様子で胸をなでおろす。 リシアスは人様の様子なぞ関心がないのか、直ぐに遺体に視線を向けるとまた面白そうに唇を開いた。 「まあ他にもあるよ。昨日のディナーをコイツは台無しにした。こちらのお嬢さんに大いに無礼を働いた」 そしてチラリとルナの方を見る。その瞳はただ彼女を捉え、表情は無い。 「シャトラールがブチギレた。理由があるのはお姫様、貴女だね」 「何ですって…?!」 「ああそれとシャトラールか。客人に手を出されて怒髪天を付きかねない勢いだった」 「……酷いね、リシアス」 眉根を下げたシャトラールが困った様に呟く。リシアスはいいや、と事もなげに首を左右に振った。 「僕は真実を言ったまでだ。だろう?」 「そうだが…」 それにしても気分が悪い。そう言った顔をしたシャトラールが再度腕を組み直し、何かを考える様に首を垂れた。 リシアスがああ、と思いだした様に更に言葉を続ける。 「後は…六人目の招待者、かな?」 その瞬間、その場に居た全員の空気がザッと冷え込んだ。彼らの全員の視線は言わずもがなリシアスに向いている。 あの強面なエルフィナンですら硬直し、ただ酷く青ざめた顔でリシアスを見ていた。 やがてその空気を破る様に、シャトラールが静かにその唇を開いた。 「…今年はこの5人しか正体をしていません。よって6人目はいないのですよ」 「なんと…、それは誠かシャトラール」 驚きを隠せないエルフィナンが思わずシャトラールの方を見た。ルナはその様子を、何とか顔に出さずに見つめているのがやっとだった。 (…シャトラール様。嘘を…) 招待者に心配をかけない為とはいえ、最初から居ない状態にしてしまうとはあまり褒められたものではない。 そんなにこのパーティには6人という人数が大切なのだろうか。 こちらのそんな思惑とは裏腹に、シャトラールは表情を無くした状態のまま淡々と彼らに告げる。 「ええ。お呼びしようか否かギリギリまで迷ったのですが…やはり今年は止めました」 「それが良くなかったんだ。このパーティは6人が決まりだろ。ずっとそうしてきたのに今年になって止めてしまうなんて…」 「よせ、リシアス。今はその時ではない。何より…」 リシアスを諌めようと口を挟んだエルフィナンがちらり、とこちらをみやる。どうも自分の前では触れたくない話題らしい。 眉をひそめ、そして遺体を視界に収めながらエルフィナンにそっと話しかける。 「エルフィナン様。グローカス様は、その…いつ頃お亡くなりになったのでしょうか」 その問いに彼はああ、と生返事をしてから少し考えるように黙り込み、それからゆっくりと唇を開いた。 「昨日の夜24:00台…とくらいしか分からぬな。室内の環境や遺体の状態でざっと判断してこんなもの、という所だ。 あまり当てにもならぬ」 その表情は硬く、いまいち自分の出した結果に得心がいかぬようだった。 「……そうですか」 「まあでもアリバイ証明の材料にはなるんじゃない?」 両手を持ち上げて肩をすくめながらリシアスが苦笑する。 まあ無いよりは有った方がマシってだけの材料なんですけどね、と思った事は口にしないでおいた。 それからエルフィナンはシャトラールに視線をくれたと思うと真っ直ぐに遺体に近付いて、まだ手袋をした左手でそのシャツを掴んだ。 普段は軽く持ち上がるはずのその布が、少し重力を帯びている。ルナは傍まで近づき、その正体を再確認してからエルフィナンを見上げた。 「……濡れた痕ですか」 「左様。コントロールされた空調であらかた乾いてしまっているが、衣類の感じからして濡れてはいたんだろうな。 しかし、もし乾いたとしてもいなかったとしてもこれが犯人の本当の思惑なのだろう。見ろ」 そう言って彼が指し示したシャツの上には、キラキラと輝く何かがある。目を凝らさずともそれは何なのか直ぐに分かった。 「…鱗。魚の鱗ですね。食用じゃないわ。観賞用の輝く鱗を持つ魚の部類かしら…」 「人魚の鱗」 するとそれまで沈黙していたシャトラールがポツリと囁きの様に呟いた。 その場に居た全員がシャトラールの方へぎょっとしたように視線を向ける。 そんな大勢の視線も慣れた物なのか、彼は考え込むポーズを取った状態のまま顔を上げ、それからもう一度滑らかな声でそれを繰り返した。 「人魚の鱗。土産物等として人工で軽く造れます。様はレプリカですよ。 持って良く観察すれば分かるはずだ。王はお分かりになっているのでしょう」 「ああ」 そう言ってエルフィナンが指先を伸ばし、その鱗をそっと持ち上げると、それは室内の光を受けて淡いブルーを放った。 その場に居た全員が嫌でも思い知る。これはただの人魚の鱗、しかし殺人現場に在る事でそれは大きな意味を持つのだ。 「犯人は人魚だとでも? 面白い事をおっしゃいますね、エルフィナン王」 「そんな事は言ってはおらん。だが犯人がこれを残して言った事は明白だ。愚かなグローカスがまさか自分でばら撒いたとは思えない」 「これは犯人からのメッセージ…」 「人魚…に関係する誰か?」 「それとも…何か…ではないのか。心当たりがあり過ぎるだろう、シャトラール」 じいと何かを言いたそうにしている感情のない瞳がシャトラールを見つめた。 シャトラールはそれを受け止めてもなお作り物の様な笑みを返してその意図を逸らしたのだった。
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