夜の港には昼間と違う静けさと、少しばかりの悲しみが漂っている気がした。 現場となった貨物船の行き交う港でカインは一人立ち尽くしていた。 事件の概要はと言うと、貨物から降ろされた荷物にまぎれた古めかしい樽から零れおちた塩を不審に思った船員が、 壊れた裂け目から指を見つけたらしい。 「と、なれば置いた者が少なからず存在する訳だが…まあ期待はしない方がいいな」 倉庫群の前、丁度荷物が置かれていた場所であろう所に手をかざす。 じりじりと触手を伸ばす感覚で意識を記憶に潜り込ませれば、徐々にそれが輪郭を成してくる。 ―ザリザリザリ…―夜の港…海の音…暗がりに人影…引きずる音…見えるか? ―……駄目だ、暗過ぎて見えない…音…歌……?…ぶれて…ザザザザザ……― (…チ) 余りの情報量の少なさに辟易して思わず舌打ちをしかけた。いくら自分が記憶を読めるといっても実際そんな大したものではない。 ルナよりは情報量は少ないのだ。事実、この能力よりも血で読み取った方が早い時もある。 故に人の死体が残っている場合―或いは何を考えているのか分からない人間を読む場合などはそうする事もある。 勿論、許しが出れば、の話ではあるが。 (…なにかがおかしい…なんだ、この違和感…) 記憶を読んでから生じ始めた些細な、ほんの些細な違和感をカインは感じ取っていた。 しかしそれが何なのかが分からずにそのまま小さなPCを片手にしばらく現場を見ていると、不意に先程の記憶がふっと頭の隅を過った。 (歌…そう歌だ。…違和感があった…) 何の歌までは聞きとれなかったが、それでも些細な違和感と言ったらそれくらいだった。 それでもその歌の詳細までは聞きとれなかった。歌が在った、という事実しか掴めていない。 (こういう時にルナの能力が役立つんだがな…) 無意識にそう考えてから我に帰った。そうだ、ルナは此処には居ないのだ。愚かな自分の行動に自嘲の笑みが零れた。 「……今更、か。それこそ今更だ」 何をやっているんだと自分自身に呆れかえった。思いをかき消すように首をふり、右手で前髪を掻き上げて頭頂部で止める仕草をした後、ふと考える。 (何故、歌が聞こえたのか…あれは女の声? いや、男にも聞こえた。その歌は果たして事件に関係があるのか? それともたまたまその時間に聞こえていただけ? いや、夜中に、しかも港だ…人が寄りつかない時間帯にたまたまその歌が流れていた、 ないし誰かが歌っていたというのか? 歌っていたとしたら…それは犯人) 部分が無かったと言う事は犯人が何らかの工作を加えたかあるいはカニバリズム的な要素を孕んだ行動を起こしたかだろう。 そもそもその遺体を己の力としたいのならば自分の手元に置けば良い。なのに何故犯人は敢えての港に置いたのか? 人に見つかる可能性のあるそこで、犯人は何をしようとしたのか。わざわざ重たい塩漬け入りの樽を置いて、一体何を。 ひとしきり考えた所で思考はストップし、カインは一人ため息をついた。 「…遺体を見せて貰った方が早いんだろうな…果たして要望が聞き入れられるかは謎だが…」 アンナは結局オギの事について口を開こうとはしない。 何かを知っているのは確実なのだろうが、あれはどんなに言っても口を開かないだろう。 恐らくはオギの生命は危ぶまれている、もしくは…最悪の事態が起こっていると考えていいだろう。 (あの男の介入が、あった? 可能性は在り得る…) 自分の肩を平然と撃ち抜いたあの美しい顔を持つ悪魔ならばやりかねない。 あれは天使の顔をして平然と悪魔の所業を成し遂げる男だ。 (兎も角、今の俺は半ば半軟禁状態だ…前だったらオギの一声があれば動けていたけれど、今はそうもいくまい。 アンナは警察との仲介に過ぎない…) いつだったかオギは、自分の力の効力がいつまで持つかは分からない、と言っていた。彼はこうなる事を見越していた? あの男の介入を何らかで予期していたのだろうか。 「考えても仕方ない…取りあえずは遺体を見られるか願い出て見るしかない……しかし」 自分自身で撒いた悪鬼の種がこうも自分自身を苦しめるとは。カインは改めてそう思い知らされたのだった。 「ルナ……」 今はこの名を呟く資格すら、自分にはないのかもしれない。あまりにも女々しい自分に、今更ながらに反吐が出そうだった。
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