空いている扉をくぐると、すぐに玄関ホールが広がった。目の前には二階へと続く階段が続いている。右には質素なホールに華やかさを添える一輪差しの石榴の花。
床一面には四角形の木板張りだ。階段の脇にはアール・ヌーヴォー風の植物模様が描かれたステンドグラスがはめ込まれた扉が固くその入口を閉ざしている。しかし迷いもなくその足を階段へと向けた。
二階の廊下、右側の通路の二番目の部屋。
夢の光景で何回も見たからそれは良く覚えていたので、難なくそこにたどり着けた。
何もかも同じだなんて、未だに信じられない。ドアノブを握ろうとしている右手がじっとりと汗ばんでいた。此処まで来ると、不安も大きくなっているのが分かった。あの惨劇の光景が浮かんでは消える。目をきつく閉じ、軽くかぶりを振る。開ける事が出来ずにとどまっていると、りぃん・・・と外で聞こえたあの透明な鈴の音が聞こえ、あの声が、

「臆病な所は相変わらず、と言ったところだね。でも安心して良い。此処に怖いものはないから、臆せずにその扉をお開け」

「あ・・・」

目の前の扉の、その向こうから聞こえた。その声に後押しされる様に、ぎゅ、とドアノブを握りしめて、ゆっくりと扉を開けた。
きぃぃぃ・・と甲高い金属音と共に開いたその扉の向こうに、部屋の光景が広がっていく。西洋アンティークにあふれた部屋には、右斜め前に一つのデスクとチェア、左側に天蓋付きのベッドが置いてあり、大きな扇形窓から零れる光を良く受けられるようになっている。真正面の窓に視線を向ける。ドアの前に大きく広がる半円形の扇形窓。その窓座に右足を乗っけて、左足を仕方なく投げだしている人影があった。

(あ・・・・)

夢で見た光景とまるで同じだ。紺色の着物に、漆黒の帯。視界を焦がしそうな程眩しい白の足袋。そして、彼の顔には、右目を覆い隠す様に巻かれた木綿の布。

(深緋の、瞳)

窓座に腰掛けている為か、外の薄ぼんやりとした灯りを含んで輝く彼の瞳に、また胸の奥が酷く痛んだ。懐かしい。寂しい。そんな感情が集まって胸を締め付ける。

やがてこちらのためらいに気が付いたかのように、青年がゆっくりとこちらを向いた。綺麗な白練り(しろねり)の肌。それに美しい程に映える闇を持つ髪は、はらはらと肩に落ちて着ている着物の色に溶けあっている。なにより目を引くのは、夢でも見たあの瞳。
彼は私を視界に捉えると、ゆったりとその唇を弓なりに吊り上げた。

「ようやっと、逢えたの」

うっすらと開いた口からは、白磁の歯がチラリと見えた。すとんと窓座から降り、音もなく歩み寄ってきた。

「貴方・・は・・」

己から絞り出す様にしてやっと出てきたその問いに、彼はふ、と笑って手を伸ばし、私の頬に触れた。ひんやりとして冷たい、それは人間の物とは到底思えなかった。こちらの問いなどお構いなしに彼はこちらを見下ろしたままゆったりと口を開く。

「もうお前はあの悪夢を見る事はないよ。あれは昔の話。幾度も繰り返す輪廻の中で、お前自身が出逢った光景なのだけれども、それはもう我が払ってあげたのだから見る事はない。」

「何を言って・・・」

戸惑う私に彼は別段驚きもしない。しなやかな動作で腕を降ろすと、ふい、と顔を下に降ろす。その拍子に髪の毛がはらりと舞い、彼の首筋を覆い隠す。

「そうだね、まだ知らない方がよいか。とりあえず、そこにおかけ。」

す、と彼が傍にあるデスクとチェアの方を指さし、そして歩いて行ってイスを引いた。落ち着きたかったのもあるが、言われるがままにそこに腰を降ろす。

「さてと」

向かいのチェアに腰を降ろした彼が、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。あの深緋。それは深紅よりも深い色で、まるでー

「血のようね・・・・」

零れ出た言葉に、彼はぴくりと反応した。一瞬怒られると思って身を固くしたが、次に彼が起こしたのは微かな笑い声だった。

「く、く、く・・・私と出逢うと、お前はいつもそう言うね。懐かしい。・・・本当に、懐かしい。でもお前は出逢う度に我を忘れていて、いつも零から始めなければならないのが、酷く口惜しい。まあ、気長にいくよ。」

「私は・・貴方に会った事があるの・・」

彼はこちらを見つめたまま。そうだよ、と言ってまた唇を軽く吊り上げた。

「でもね、いつもお前は我を忘れてしまっているんだ。ああ、気を病む事はお門違いだ。これは、我の罪のせいなのだから。」

「罪・・?」

「まあ、細かい事は今はおよしよ。我とお前は今回初めての対面だ。まずは挨拶と行こうか。我は石榴(ザクロ)。お前の名は?いや、分かっていても知りたいのだ。教えておくれ」

「・・・櫻子。高橋櫻子」

さくらこ・・と私の名前を呟く度、私の中で何かが反響する。何故。
石榴と名乗った彼は私の戸惑いも何もかもをお見通しの様に、こちらを見つめたままふ、ふ、と笑い声を上げる。未だに混乱が収まらない私は、震える声を押し殺して口を開いた。

「此処は・・・柘榴館なの?その昔その家に住む娘が殺されて、行方不明になった・・・」

「嗚呼・・・人間の世界にはそう伝わっているのか。やや、近づけさせない様にとあやつに言ったのだが、まさかそのように伝えようとはねぇ・・」

やれやれとそのほっそりとした右手を顎に添え、困った様な顔をする。こちらとら頭にはてなマークがいっぱいなんだけれども。

「そうだねぇ・・・」

しばらく何か考えこんでいた石榴が、ようやくゆっくりと口を開いた。

「率直に言えば、その噂は偽り、と言った方がいいかな」

「え!!」

ウソって・・・そういう噂に本当も何もないのだろうけれども。でも・・・

「私が見続けていたっ・・・あの惨劇は嫌にリアルだった!あれが嘘だなんて・・」

せっつく様にデスクに両手を叩きつけ身を乗り出すと、彼は私を見上げたままこちらを見上げて落ちつき、と一言そう言った。その瞳はまるで宝石の様に輝き、曇りのない眼差しだった。そんな眼差しを向けられて、まるで心臓まで動きを止めたかのようにしん、と自分の中に静寂が落ちた。そっと、かれの左手が衣擦れの音と共にデスクについた私の手に添えられる。するりと撫でられ、無言で座る様に促される。

「櫻子の見続けていた悪夢は、決して偽りではない。それはお前がいつかの世で殺された場面なのだから。それをお前は母の眼を通して見ていたのだ。だからお前自身の身体が消えても、母が狂っていく様を、そしてお前が思いを残したために起こる奇怪な事も、全て誠の話。そして我は櫻子をなだめて次の世へ送り出し、我はお前を待つ為にこの屋敷を造った。お前の転生を待って、待って、待ち続けた。何故その記憶だけが残ってしまったのかは・・・我にも分からぬ」

「てん・・・せい・・・」

「そうだよ」

切ない声が聞こえ、するりと左手が頬に添えられ、視線を合わせられた。その瞳がどうしても懐かしい。そして哀しくなる。有無を言わさず、石榴はもう一つの手で私の両頬を添えた。

「我と櫻子が出逢ったのは遥か昔。でもね、櫻子と我は決して相容れてはならない存在だった。昔も、今も。そしてお前はいつも先に死に、我だけが待ち続けた。・・・待っていたんだ。ずっと、ずっと。」

「石榴・・さん・・」

「石榴と」

「石榴・・・」

不意に頬に伝う冷たさに驚き、頬に手をやって更に驚いた。

(涙・・・?)

それに気が付いた石榴がそっと袖で拭ってくれる。その行動一つに何故か懐かしさを覚える。でも私は彼を知らない。知らない。それが酷くもどかしい。

「櫻子。お前の魂は覚えているのだね。それでいい。我はそれで十分だ」

哀しそうに、でもどこか嬉しそうに笑う、何もできないこの私に。

「さ、という訳だ。この柘榴館は我が造った物。決して人は死んではいないよ。今日は部屋を用意したから、そこでお休み。ああ夕餉も用意している。粗末な物で悪いけれど・・」

「え、あ、そんな、悪いです!」

「そのように考えてはいけない。さあ、ついておいで」

有無を言わさぬ行動にしどろもどろしているうちに、石榴は着物をなおしてす、とまた音もなく歩きはじめるので、私は仕方なく彼に従う事になってしまった。









NEXTBACKHOME