負けている。ここの所ずっとこうだ。 今までこんなことなかったのに、どうして。 あの日。2人から想いを告げられて以来だろうか。 どうして? 動揺しているのか?この私が。人形の楔が抜けぬこの私が? そもそも自分は愛を知らない。 幼い頃からギャンブルだけを教え込まれ、それ以外は知らずに育った。 人形≠ノ相応しい人生を歩んできた。 自分はだから、そんな感情を知らない。 知る必要など、一度も無い・・・はずだった。 「有夜」 食器の金属音が静かに響く中、老人――ラジェック=ステミエールは堂として紡いだ。 広い食堂は小さな金属音すら大きく聞こえるような気がした。 「何かを迷うておるか」 食事を運ぶ彼の動作は喜々として完璧で狂いは無い。それが尺に気味悪く映る時さえ、最近はあった。 有夜はちらと一旦目線だけを上げ、すぐにそれを下げて無感情に問い返した。 「そう・・・見えますか」 「カジノでの負けが込みすぎている。数えるほどであったものが増えれば、疑問を抱かぬ方が可笑しいと言えよう?」 「・・・再度、気を引き締めます」 その言葉を聞き届けて、ラジェックは変わらぬ無表情で食べ物をを口に運び、、しかしどこか落胆的に一つ告げた。 「・・・・迷いがあるのなら、行った所で得るものも得られまい」 「・・・私に閉じこもれと?」 「当分、カジノには行くなということだ。負け続けたままでいられても困る。こちらの資源にも限度があることくらい判らぬお前でもあるまい。それに―――賭事師ともあろうものが、カジノの魔力にとり付かれてどうする?」 「・・・・・・」 「不満なようだな」 「いえ」 なるべくを顔に出さないように気をつけながら、有夜は食事を口に運んだ。 分かっている。 この人の言っていることは正しい。 だからこそ、この人にとって他人の意思は不要なものだ。 だから自分は此処に居られる。 分かっている。分かっている。なのに。 行くのを禁止された時、この胸を重くした苦しさは。引き裂かれたような痛みは、一体何なのだろう。 あの灰色の瞳が記憶としてよみがえる。 濁ったその中の強さに入り混じる優しさや儚さ、そして幽愁。 あの瞳に見つめられなくなる。あの瞳を持つ人間に逢えなくなる。ただそれだけで。 一瞬に、胸を突き刺すように切なさが走り抜けた。 逢いたい、と思った。その一瞬で、自分は何度も何度も心の中で絶叫した。逢いたいと。 ただ、逢いたいと。 これが恋なのか。これが?これが? 何度も何度もその名を呼び、その瞳を想い、姿を瞼に蘇らせて苦しいほどに想いを馳せ、求めている。 これが人間の持つ、罪の1つなのか・・・・? 有夜はそのすさまじい己の動揺と繰り返す慟哭に、ただ静かに歯を食いしばって耐えるしかなかった。 「氷月っ・・!」 飛び出して鼓膜を穿った声に、氷月はハッとして動きを止めた。 気づけばゆかに、キラキラとした粒子がそこらじゅうにばら撒かれている。残った底を見つけて、グラスを落としたのだと悟った。 慌ててその場にしゃがみこむと、ストップとマジェットがブラシとチリトリを差し出した。 礼を言って受け取り、破片をかき集める。それを優しさを交えた表情で見やりながら、マジェットはスロットからコインを集めてポツと言った。 「不調だな」 冗談とも取れないその一言に、氷月は疲れたように笑った。 「そのようで」 「グラス1つ分、給料からさっぴかれるぞ。覚悟しとかにゃ」 「重々承知です」 そーか、とマジェットは集めたコインの1つを弾きながらにやりと笑う。 「恋わずらいってヤツ?」 「はい?!」 「人形のお姫サマが最近来ないから、気になって仕方ないんだ?」 「べっ!!・・・つに!!」 突然ズバリをつかれ、氷月は動揺して言葉が続かない。 そんな彼の反応に、マジェットはぶっと声を上げて笑いころげた。 「あはははははは!!!おもしろ――!!!氷月は分かり易いな―――!!!」 「からかわないでくださいっ・・・」 珍しく赤らめる顔を必死に隠しながら氷月は泣きそうな声で呟いた。 やっとのことで笑いを止め、マジェットは目に滲んだ涙を拭いて言った。 「ゴメンゴメン。悪かったよ。面白くてつい」 そうして再び彼はスロットの方に作業に向かう。 氷月は溜め息を吐いてグラスと格闘を始める。 「でもねぇ氷月。仕事で――賭事師とディーラーとしてあの子に完全に惚れたらダメだよ。どうもお前は仕事と混同するきらいがありそうだから」 「はい・・」 「大丈夫だって。お前と同じで、お姫サマも不調なのかもしれないよ?」 「はあ・・」 「そんなんじゃまた、グラス割りそうだな――・・」 今度はついに、心配をされてしまった。 自分が、いけない。 あんなことを、彼女に告げてしまったから。 自分がいけなかったのだ。 告げなければ、また何気ない時間を彼女と過ごせたかもしれないのに。 でもそうしたら、自分の15年は、この想いは、無意味と化していた。 それだけは出来なかった。それだけは。 逢いたかった。ずっとずっと、自分は彼女と逢いたかった。 そして年を重ねてそれは、想った以上の切なさとの戦いだった。 ディーラーになる。そして彼女を楽しませてあげる。笑わせてあげる。 単純だ、と自嘲しかねないほどの理由。でもそれは、長い歳月をかけた強い強い理由であり、己の中に焔をくすぶることなく燃やし続ける大きな想いだった。 この想いは、自分への罰だった。 人形に恋焦がれ、諦めることなく追い求めた、自分への罰だった。 それでも――――――自分は恋をした。 美しく有る夜に、恋をした。 |