「有夜様」 いつものように垢抜けた少女のような侍女の声が、有夜の右耳を通り抜けた。 そうして本から頭をもたげると、横目でその侍女を視界に入れる。 「ハーベット=イヴンヘイズ様からお花の贈り物です」 考えるような間をおいて、有夜は彼女に一言言いやった。 「生けて・・置いてくださればいいわ」 「ここのところ毎日ですね」 「よく花が尽きないものかある意味で感心するわ」 「イヴンヘイズ家は花の楽園でもありますから。現当主の奥様が花を取り扱っていらっしゃるのですよ」 くすりと彼女は笑みをこぼして、透明な硝子瓶を持ち出して花を剪定し始める。 「有夜様は余程・・ハーベット様にお気に召されられたのですね」 「そうなの?」 目を丸くして彼女を見やると、彼女は悪戯めいた笑みで瓶に水を入れ始めた。 「そうでなければ・・このようにお花は贈られないでしょう?」 「ふーん・・」 「有夜様はこのようなことで心を動かされる方ではない。そこが魅力の1つなんですけどね。ハーベット様は分かっていらっしゃるようですけど、贈らずにはいられない。そんな感じです」 「よく判るのね。その・・・男心が」 「花は人を語りますから」 そう言って彼女は生けた花をコトンとテーブルに置いた。 「この花―――リナリアって言うんですけどね」 不思議な造りの花びらを見やる。 「この花言葉を、有夜様はご存知です?」 「?・・・いいえ」 「花言葉は――――「私の恋を知ってください」、ですよ」 それでは、と言ってその侍女は制服のスカートをはためかせて消えていった。 私の恋を知ってください――――――・・・。 彼女が去った後、有夜は彼女が残した花言葉を口の中でそっと転がした。 恋――――それは有夜にとって未知のものだ。 未知だからこそ、それは有夜自身を混乱させる。 それが最近分かった。それだけが。 有夜は窓際で流れ込む外の空気を浴びた。 緩やかな温もりを含んだ夕方の空気。やがて来る夜の訪れを一切感じさせないメロディを奏でる流れ。 夕暮れの次には、覆い隠す夜が来る。今日はいつもなら、カジノに行く日のはずだった。 よぎるのは、思い浮かぶのは、あの灰色の瞳ばかりだ。 思い浮かべて、顔が軽く火照るのを感じる。 主の謹慎が解けるのはいつになるだろうか・・・ 「レディ・アヤ」 沈黙を保った空気に、突然の重みが加わったのはその時だった。 「!!!」 思わず振り返る。そこに有るのは、夕暮れの鮮やかな瞳だった。 「な・・・んで・・」 「何で此処にいるかって?勿論」 テーブルのリナリアの花びらを手で弾くと、真顔でこちらに向き直る。 「貴女に逢いに来たに決まってる」 そして邪気の無い顔で笑うと、また花に手を触れた。 「飾ってくれたんだ」 「・・・・・・・・」 「何で黙ってるの?怒ってる?」 彼は笑みを含んだ顔でこちらを見つめている。 無意識に視線をそらし、なおも口をつぐんでいると、彼は花に触れたまま顔を傾け、声のトーンを落とした。 「だってこうでもしないと・・・貴女にいつ逢えるか分かんないし・・・アイスムーンに勝てないから・・」 「アイスムーン・・?」 聞き慣れない単語に、有夜は思わず顔をあげた。 ハーベットは触れた花の1つを取り上げ、口元に持っていく。 目で追っていたその拍子に彼と目が合った。 「貴女を愛するもう1人」 分かるでしょ?とその目が言っていた。 鮮やかなオレンジの瞳が夕方に際して一層輝きを増して見えた。 しかししばらく視線が絡み合うと、その顔がゆっくりと哀しそうに歪む。 「やっぱアイツを追ってるね・・・」 「・・・・・・・」 「その沈黙はイエスと受け取るよ」 ばっと顔をそむけるが、遅いことは分かっていた。 彼の瞳がギラリと突き刺すように強みを増す。 「じゃあ何でこの花を飾った!!」 突然ハーベットは激しく怒号し、持っていたリナリアを床に投げつけた。有夜は思わず身体をびくつかせる。 「聞いただろこの花言葉を!!!「私の恋を知って下さい」!その前に俺は君に告った! 俺の恋をもう知ってた!俺はもっと!もっと知って欲しくて花を贈った!でも君は・・君の目はアイツを・・アイスムーンを追ってる!!じゃあ何でこの花を飾った?」 痛い、痛すぎるくらいの表情を見せ付ける。 衝撃が、彼から目を離せなくしていた。 「何故?・・・・」 「・・・・・・・花に・・・・罪はないわ・・」 やっとのことでそれだけを言うと、ハーベットははき捨てたようにあざけ笑った。 「そうだね・・・花に罪は無い・・・分かってるさ・・・君は何気なくやったっことだ。君がそういうことに疎いのも、花を贈ったくらいで心を動かされないのは分かってる・・ そういうところが魅力だってことも。・・・・」 言い聞かせるように喋り切った後、ハーベットはふいと足をドアに向けた。 「帰るよ」 そう言ってから瞳を向ける。 夕方の緩やかな空気は消え、薄れいく明かりが夜の訪れを語り始めていた。 「早く謹慎、解けるといいね。俺も早く君のギャンブルが見たい。それに」 オレンジ色の瞳は、毅然とした光を放っていた。 「君を諦めたつもりはない。君はいつだって俺の心を魅了する。魅了して止まないんだ。その姿で、その心で、その魂で。その度に俺は君の虜になっていく。だから――――諦めない」 そっと有夜の肩に手をかけ、左の耳元で囁く。 「アヤ―――愛してる」 彼が去った後、彼が立っていた傍のテーブルには、一輪の緩やかな白の花が置いてあった。 その花は、ナンテン。 花言葉は――――「私の愛は増すばかり」。 |