「お相手願えませんか」 甘やかな声が有夜の鼓膜を叩いた。 ふらふらと歩いていた足を止め、彼女は声のした方へと顔を向けた。 そこはポーカーのテーブルだった。足の装飾が見事なテーブルが静かに鎮座している。 ゆっくりと、そこのディーラーに視線を向ける。 見たことの無い顔だった。此処に来て大体1週間、ある程度の顔は記憶したものだと思っていたのにと、眉をひそめる。 年は自分とあまり変わらないように見えた。歩いただけでも記憶に残りそうな形の整った顔には爽やかさの中に甘さの残る微笑を刻んでいる。 自分と同じ日系人なのだろう、漆黒の黒髪はシャギーを入れて散らされ、意識してなのかバックの一部は伸ばしている。 色素の薄い肌。朝方の森に発生する霧のような灰色の瞳は、曖昧と思える色彩の中でも弱さを一切寄せ付けぬ強さを放っていた。 若き青年ディーラーはそっと持っていたカードの束をテーブルに置くと、まっすぐにこちらを見据えて言葉を紡いだ。 「お客様が誰も居なくて。少し退屈しているんです。まあ、新人に手厳しいのはどこの世界も一緒ですが・・・」 言って目を伏せる。陰影が付き、より一層その美貌に拍車をかけた。 「今まではどちらに?」 自然と言葉が口をつく。自分自身が一番それに驚いていた。 「カジノ=ニック・ダルダロスです。フェースの中心部の。6年間そこで武者修行をしていました」 ぱっと記憶を反すうする。フェースはかなり名の知れたカジノの有名地であったはずだ。 「では、腕前はかなりのものではなくて?」 「貴女には及びませんよ」 それを見て、有夜は彼のテーブルにある椅子にカタンと腰を降ろした。 「やってみましょうよ」 多少ぎこちなくも、不適に笑って彼を見据える。 彼は臆しもせずに変わらぬ笑みで有夜に頭を下げた。 「何でもいいですよ。何にします?」 「ポーカーでいいわ」 「分かりました」 手元のカードを取り、静かにシャッフルを始めていく。 それを続けながら青年はやわらかに会話を続けた。 「普通にチップを積まれるのもつまらないでしょう。2人ですから、何か別のモノを賭けませんか、お互いに」 「別のもの?」 「そうですね・・・」 考え込むように視線を空に向け、しばししてまたこちらを顧みる。 「貴女が勝ちましたら、俺が貴女のお願いを1つお聞きします。俺がもし勝ったのなら、俺のお願いを1つ、貴女に聞いて頂く、というのは」 「いいわ。面白そう」 皮肉げに口の端をつり上げて笑う。 やがて彼はシャッフルを終え、上品に手札を配っていく。 「何だかランプの精みたいね。人のお願い聞くだなんて」 そんな有夜の言葉に彼はくすっと笑い声を上げた。 「ランプの精は賭け事しませんけどね」 「あら、それもそうね」 カードの束が薄くなっているのを、有夜はちらりと横目で流した。 でも焦りはない。それはもう無意識の範疇のことだった。 「レイズ」 カードに目をやったまま、静かに声を上げる。 「コール」 すぐさま目の前の彼は声を上げた。 そのポーカーフェイスからは、喜も哀も垣間見えない。さすが、と内心感心して、有夜は黙ってカードを展開(オープン)した。 「クイーンのフルハウス・・・・・」 彼の目が大きく見開かれるのが伺えた。 「・・・・・・そちらは?」 そう問いかけると、彼は突然艶やかに微笑した。 《・・・・!この人・・》 有夜の耳に、カードをオープンする音だけが響く。 パラ・・・・・ 「キングのフルハウス・・・・・・」 とんだ食わせ者だ。 自分とて、実力は有る方だと自負している。 なのに、初対面のこの青年は・・・・! 「俺の、勝ちです」 動揺を隠し切れない中、彼の声がふわりと舞い降りた。 「・・・・・お願いは、何?」 有夜は顔を引きつらせて訊ねる。それが精一杯だった。 「では1つだけ」 彼は目を伏せ、そして再度顔を上げた。 霧をかけたような見えない瞳の奥に、優艶と憂愁が入り混じって有夜を射抜く。 「貴女のその美しい首を締め付ける首枷のようなチョーカーを外して頂けませんか」 「え・・・・」 意外な要求に有夜は思わず顔を上げた。 悠然とした眼差しが有夜を捕らえる。彼は応えるように繊細な笑みを浮かべ、言葉を続けた。 「その代わりといっては何なのですが、俺の選んだネックレスを付けて頂きたいのです。次に貴女がいらっしゃる時までにご用意しますから・・・」 有夜はしばらく目が離せなかった。 この人は一体何なのだろう・・・・。 《そんなこと・・・初めて言われた・・・》 「貴方が損をしているお願いじゃない」 「いいえ。貴方に似合う物を選べるなんて嬉しいですよ」 彼の言葉は飾られたように麗々しいはずなのに、彼の言葉でその声で発せられるそれは清楚で美しく、静的ですらある。 始めて逢ったというのに彼は迷いも揺るぎもなくまっすぐに有夜の心に入り込み、その心を砕いていった。 キャアキャア!!・・・・・ 耳障りなざわめきがドアの開閉音と共に突如発生する。 彼は一瞬不機嫌そうに顔をしかめ、すぐに微苦笑を浮かべた。 「どうやらタイムアップですね」 「そうね。もうおいとましますわ」 「またいらして下さい。いつでもお待ちしています」 哀願するような眼差し。胸に刺されたように細く鋭い痛みが走る。 その場を必死に取り繕って、有夜は忘れかけていたことを彼に問うた。 「な・・名前・・」 「えっ・・・・?」 「貴方の名前・・・・聞いていなかったから・・」 彼はああ、という表情を浮かべた後、にっこりとやわらかな笑みを浮かべた。 「ヒヅキ、です。またお遭いできることを楽しみにしています」 「氷月は絶好調だねぇ」 のんびりと呟いたのは、肩まである銀髪をだらしなくまとめた、1人の中年男だった。 天気もあまり良くない日、入り組んだ土地条件の此処は殆ど日差しが差し込まないのに、男はまるで日向ぼっこをする猫のようにゆったりとしている。 その隣、茶色の透き通った液体の入ったグラスを口につけて笑うのは、彼よりも幾分か若いディーラー服の中年男だった。 客の出入りが幾分か少なめのアフタヌーン。彼らは中年女性の群れに囲まれ、必死に笑顔を振りまく1人の青年を眺め、楽しそうに会話を続けていた。 「女に逢って調子が上がるっていうところは、どこかのパパにそっくりだ。なぁ泉青?」 「それはまるでぼかぁがたらしのように聞こえるんですが、オーナー?」 「実際そーだろうが」 「あーはいはい」 投げるように言い放って液体を口に流し込む。 「・・・・しっかしあれだな。笑ったところなんか夜月嬢そっくりだ。あれを見た時、思わず泣きそうになっちまったよ。やっぱり残るもんは残るんだな」 「そだな・・・」 見ればオーナー――ルシオ=クロッスフォ―ドは泣き笑いのような表情を浮かべていた。 つつけば本当に泣き出してしまうに違いない。 「なぁ」 「あ?」 「アンタは俺が夜月を殺したと思うか?」 「はぁ?!」 「一部の人間は未だに言うじゃんか。ずっと気にしないようにしてきたけど、普通に言ったらやっぱそーなっちまうのかなーって・・・」 つらそうに顔をしかめて、彼―――土城泉青は低くうめいた。 確かに。 息子ー氷月の誕生と引き換えにしたかのように、運命は彼の愛すべき存在をさらっていった。 当時まだ乳飲み子であった幼い氷月をめぐり、彼女の祖父である青葉家当主らとかなりもめたものだ。 青葉の夜の月を殺した者。それが醜聞となって、彼を当面苛んだ。 氷月の成長と共にそのような醜聞こそ潰えたものの、やはり抉られた傷こそ、深い。 泉青を見やってしばし黙り込んだ後、ルシオはテーブルに置いていた自分のグラスの液体を煽った。 「・・・・・・そういう奴もいるがね。でも俺は・・・・」 沈黙と酒の芳香が入り混じって空間が広がる。 「夜月嬢は幸せだったと思うゼ?お前といた時間も、息子と居た2年も、あの笑顔がそれを証明している。息子にゃ良い名前付けてもらってな。―――氷月。泉を凍らせて出来た、夜の青い月。良い名だ。あいつの中にも名前にも、夜月嬢の欠片が詰まってる。 あの子は今も、幸せなんだな」 泉青は思わず自分の涙腺が緩んでいることに気づいて、グラスの残りを一気に飲み干した。 夜月。夜月。 俺の永久の恋人。 今もずっと、ずっと、ずっと。 俺は貴女を、愛しています。 |