夜のカジノにしか出向かないのには、訳があった。
昼間は一般教養も身につけるようにと、彼女の主――ラジェック=ステミエールから言いつけられたのだ。
勿論反論はなく、素直にそれを受けた。
自分自身幼い頃から賭博しか教えてもらったことが無かったので、正直楽しんでやっている。
《ある意味で私は自由なのかしら・・・・》
心にもない事を呟いて、有夜はギイイ・・・とカジノの扉を押し開けた。
途端、人々の熱気とそれに伴うざわめきがぶわっと溢れかえる。
それを少しの間耐えて、静かに彼女は入店した。
着飾った人々。優雅な時。華やかな夜の遊戯場。
見知った光景が次々に視界に飛び込んでくる。
中にはこちらに気づき、ひそひそと囁きあう群衆さえ見えた。
自分自身は本来なら出迎えられて然るべき存在だが敢えて拒否している。こういうことが酷くならない為と、ちやほやされて驕らない為もある。
《気にしていたらキリが無いわ・・・・・》
気にも溜めずにゆらゆらと歩いていく。
奥へ奥へと進んでいくと、不意にその場所が目に止まった。
ポーカーテーブル。あの瞳に出逢った場所。
《夢だったりしてね・・・》
そうだったら何とも、現実のようなリアルなものだ・・
「いらっしゃいませ」
突然、背後から声がかかる。
反射的に身体を反転させると、奥の方からやって来る長身の影がある。
「また、お逢いできて嬉しいです」
まぎれもない、あの青年だった。
人知れず心を躍らせた自分をそっとたしなめて、有夜は格式ばった笑みを青年――ヒヅキに向けた。
「こんばんは、紳士なお兄さん」
「ヒヅキで結構ですよ、レディ・アヤ」
皮肉半分の言葉もサラリとかわし、氷月は微苦笑を滲ませた。
ふと、彼女は彼の言葉を反すうして眉を上げる。
「私、名前名乗りました?」
彼は秀麗な美貌に笑みを浮かべ、ゆっくりとその問いかけに答えた。
「貴女の名前はずっと前から知っていましたので」
「ずっと・・前?」
「ええ。お月様が教えてくれたんですよ」
「・・・・冗談がうまいのね」
「それはどうも」
空いたテーブルのディーラー側の方に入り、今度は甘さを含んだ笑みを見せた。
「でもロマンティックでしょ?」
有夜は思わずくすりと笑いをこぼしていた。
「なかなか」
そういうと彼は嬉しそうにカードを出し、トン、とテーブルに置いたところで、思い出したようにまた背を向けた。
「お約束の品です」
そう言って彼がテーブルに置いたのは、角の取れた長方形の白い箱だった。
それにそっと左手を添え、箱を開く。
「わ・・・・」
有夜から深いため息がこぼれた。
月をあしらった装飾の、微かな青みを帯びた淡い乳白色の石が中で静かな輝きを放っていた。
「ムーンストーン。その名の通り色合いから「月」を連想させ、聖石としてインドやスリランカで重宝されたそうです。持ち主の悪魔や夜に出る悪霊を追い払ってくれるというジンクスもあるとか。月の満ち欠けによって色合いが変るとも言われ、予知能力や知能を高めるとも言われています。女性が持つとより良い効力が得られるかと」
どうぞと手を差し伸べられ、有夜はそっと手に取り、窓からの月光にかざした。
微かな青さとミルクのような色が不思議に溶け合い、ゆっくりと月光を含み、中で小さな波紋を広げていった。
そこに突然氷月の手がそっと伸び、ネックレスのチェーンを絡めとった。
何も言わずに有夜の背後に回り、そのままネックレスを首に回す。
急に氷月の空気が近くなって、無意識に緊張の糸が張った。
気づけはシトラスとウッドのような香り。それが彼に良い雰囲気を与えている。
加えて若いながら独特の空気を放つ彼は、このカジノにあつらえたかのように良く馴染んでいた。
不思議な人。何故こんなことをしたがるのか―――

「ハイ」
ふと背後から掛かった氷月の声に、有夜ははっと我に返った。
胸元に軽い重みが落ちる。淡く優しい乳白色が、何となく気持ちを和ませた。
「気に入って頂けました?」
いつの間にかディーラー席に戻った氷月が不意を付いて問いかける。
「あっ・・・・・アリガトウ」
自分でも訳が分からず顔を紅潮させ、慌てふためいて礼を言った。
「礼を述べなければならないのはこちらの方です。改めて、ありがとうを」
氷月はふわっとはにかむようなやわらかで優しい笑顔を浮かべた。
《わ・・・・》
本当に不思議な人だ。
2度会っただけなのに、こんなにも色んな表情を見せるのだろうか。
一片では夜の艶やかさを纏わせ、もう一片では少年のような純粋な笑顔を見せる。
こんな人に出会ったのは初めてだ。
その空気は何度も有夜を引き付けて時を止めた。
「貴女の名が夜に有る、ともいいますから・・・じゃあ月かなって思ったんです」
「・・・・私の字まで知っているのね」
「貴女のことなら何でも知りたいんです」
聞いているこっちが恥ずかしくなる台詞をサラリと言ってのけた。
有夜は返答に言葉を詰まらせた。
そして気まずさ半分に顔を上げる。
目が合った瞬間、朝霧のような瞳は優しい笑みによって甘くなり、こちらを見つめた。
心まで見透かされてしまいそうな眼光の強さ。
彼の瞳の深い迷路に飲み込まれてしまいそうだ。
「・・・・ゲームがうやむやになってしまいましたね。どうします」
「やるわ」
有夜はキッと挑戦的に氷月を見据えた。
「負けたままで納得すると、私がお思いで?」
「・・・・いいえ」
氷月は苦笑をにじませると、手元にあるカードを手に取った。
「・・・・はじめましょうか」
氷月の長い指が、静かに空気を切り始めた。













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