忘れないから、笑っていて。
 

朝になると、老婦人は従者を一人だけ連れてやって来た。
「安らかに逝ったのね・・・」
婦人は、もう動かない彼女の顔や髪を撫でて優しく笑った。


その日彼女は、その森の中で静かに埋葬された。
みどり鮮やかなその中に溶けていくその身を、僕達はただただ黙って見送ったのだった。


そして老婦人は全てを僕に語った。
彼女は生まれ、物心ついた頃から何故だか自分の死期が見えていたのだという。
「人間の細胞がその人間の死を知っているように、彼女はそれを己で知ってしまったの」
何度も何度も夢見るその死期に気が狂いかけ、そのせいで自殺未遂を繰り返し、自暴自棄になっていた頃、僕に出会ったのだそうだ。
「駅でハンカチを拾ってあげた女の子・・・覚えていないかしら?」
婦人に言われてもキョトンとしていた僕だったが、次に差し出された小さな花柄のハンカチを見て、僕はあっと思い出した。


もうだいぶ昔、駅の構内で転んだ女の子。
その手を引いて起こして、彼女が落としたハンカチを拾ってあげたことがあった。


大丈夫?
・・・・
はいハンカチ。可愛いの、無くしたら大変だ。
・・・・・・・ありがとう


僕もまだ幼かったあの頃
別の場所で彼女の運命も少しずつ変っていった
そして十五になり死がもうすぐそこだと感じ始めていた彼女が
せめて最期にと願ったのは
自らの運命と心を変えてくれた僕に見守られ
死んでいくことだった


「あの子は本当に貴方を好きだったのよ・・・」
老婦人は静かに、優しく笑った。
僕はただ、黙って頷いた。
涙だけはどうしても、止めることが出来なかった。



「最後に一つだけ言うとね」
家が近づいた頃、老婦人はポツンと言った。
「私はあの子の親ではないわ」
「そうでしたか」
「気づいていた?」
「年は・・離れすぎているように思えましたから。何となく」
老婦人はそう、と答えただけだった。
「血の繋がりなどないの・・あの子に始めて会ったのはあんな森の中の小さな孤児院。
人に馴染めず、いつも何かに怯えていたわ・・それが彼女の死だと分かったのは引き取った後だったけど・・
木や川が好きでね、いつも川辺に座っていたの。彼女は川を見つめてはこう言っていたわ。
『この川がやがて海になっても、水は私を覚えているかな・・』その一言が・・今でも忘れられない・・・」
エンジン音が響く中、老婦人はちょっと哀しそうに笑った。
「何故かしらね・・・・引き取ってから分かったのだけど・・命の終りが見えてしまった少女を、周りは受け入れてくれなかったのよ・・おかしいとか言われてね。
だから彼女は必死に隠した。でも人が抱え込むには、それはあまりにも重すぎた・・・可哀想に・・彼女自身・・・好きで見たわけではなかったのに・・」
「・・・・・・・・・」
僕は、俯くしか出来なかった。
「でもね、後悔はしないわ。私は・・・あの子がくれたものを忘れない。
子供を傍に置く喜び、そして彼女が抱えていて手離せなかった・・・大きな孤独と哀しみ。死への恐怖。それでも・・・」
「おばあさん・・・」
彼女は堪えきれずに、それは美しい涙を零していた。
「それでも・・・人は最期にはこんなにも・・こんなにも輝けるのだと・・・あの子は身を持って・・教えてくれたわ
・・私は・・・忘れない・・・貴方も忘れないでいて・・?お願いね・・」
「はい・・・決して」



その後も老婦人は何度か手紙をくれたが、やがて彼女も年老いて亡くなったことを夫からの手紙で知った。
婦人は最後まであの子の名を語ろうとはしなかった。
もしかしたら老婦人も、彼女自身ですら、その名を知らなかったのではないだろうかと、その時ふと思った。






君の記憶を持つひとり






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