僕らはようやくつながった気がした。
沢山の代償と引き換えに
愛しいひと。
やっと出逢えた、俺のたった1人。
深い孤独と哀しみを抱え、俺と同じような空気を持つ、彼女に惹かれたのは本当に運命だと、信じている。
サヤを愛したい。サヤに愛されたい。
呼ばれればいつだってとんで行ける。
サヤを思えば思うほど、愛おしさは増すばかりで。
でも、気づかされた。
俺のこの赤い瞳≠ヘ、俺の愛する者を深くゼツボウに陥れていくのだとー





月が時々雲間に隠れる、じれったい夜だった。
ひんやりと夜気が身体に染みる。カオスはベランダから部屋に戻ろうとした。
中に目を移すと、テーブルの携帯がどうやら光っている。
電話・・・・?めずらしい、誰だ?
足早に戻って、ボタンを押した。
[・・・・・・・・・・・・・・・・ス]
掠れた声がした。
[サヤ?]
電話の向こうで、泣いている?
[サヤ?どうしたの?サヤ?]
嗚咽がようやく声になったようだった。彼女は必死に自分の名ををつむぐ。
[か・・・おす・・・かおす・・・・]
[サヤ、今ドコ?行くから。サヤ、落ち着いて、ドコにいる?]
携帯を耳に押し付けたままブルゾンを羽織ると、かすかに波の音がするのに気がついた。
[海?いつものトコ?そこに居るの?]
[う・・・・]
相づちすら言葉にならないらしい。何が、何があった?!
はやる気持ちを抑え、彼は電話口に向かって叫んだ。
[サヤ、直ぐ行くから。直ぐ行くから!!待ってろよ!]
嫌な予感が、してきていた。




ようやく馴染んだバイトからの帰りだった。サヤは軽い夜食をコンビニで買って、アパートにたどり着く。
今日は自分から彼に電話してみよう、と思っていた。その思いつきだけで、気持ちがはやる。
カオス、びっくりするかな。
その時の彼の表情を想像してみて、自然と笑みが零れていた。
やがて部屋のところまでくると、見慣れた部屋のドアの前に、見知らぬ影が立っている。
一瞬恐くて立ち止まってしまった。
[どうしよ・・・カオスに電話しようか・・恐い・・・・]
動けないでいると、影がこちらに気づいたらしく、声をあげた。
「サヤちゃん・・・!」
伯母の声が、痛々しいほど悲痛に帯びていたのに、サヤはその時気がつかなかった。






ざあん・・。ざああぁん・・・。
打ち寄せる波は夜の色を吸って仰々しいほどに黒く、ぞっとした。
サヤは堤防ではなく、その直ぐ下の砂浜に座ってーいや、崩れ落ちている。月明かりがぼんやりと小さな影を照らしていた。
ひざを抱え、身体はガクガクと震えていた。一目で夜気のせいだけでは無い事を悟った。
泣き声と時折混じる嗚咽が震えてかすれて、もうどのくらいそうしていたのだろう。
カオスはなるべくその悲痛な思いを隠して、サヤの隣に膝をつき、そっと声をかけた。
「サヤ」
泣き声が止んで、震える身体がゆっくりと顔を持ち上げる。
目を腫らしていた。まるで俺の目のようにその色は真っ赤なのだろうと知れる。
彼女が泣いているその目に、同族心を感じた己に瞬間嫌気が差した。
「ごめんね、遅くなって。」
言って、その身体をそっと抱きしめる。潮風を浴びたその身体は痛いほどに冷たかった。
ブルゾンを脱いで、身体に掛けてやる。それからサヤの目をのぞきこんで話しかけた。
「落ち着いたら、何があったか話して?それまで待ってるから。」
サヤを自分の足の間に入れて、抱きしめて座り込んだ。
もう離したくないと思った。
少ししてかすかな嗚咽も収まった頃、なんとか声を出してサヤが話し出しす。
「しん・・・だ・・・・」
「え?」
「両親が・・・しんだの・・・伯母・・父の姉が・・アタシのトコ見つけて・・・死んだ・・て・・・自殺・・・だっ・・・て」
「サヤ・・」
「あたしがっ・・殺した!・・・・あたしが・・・・死んでくれれば・・・・て思って・・・・ホントに・・・死んだつ!・・あたしがっ」
「サヤ・・・・責めちゃダメだ!自分を責めちゃ!」
抱きしめる腕に力がこもる。
心がまた、慟哭をあげた。







サヤはゆっくり、ゆっくり話してくれた。
母親がサヤが家出をしてから入院し、父親がその後献身的にそこに通い積めていたこと。
だが、彼女の母は日に日に狂っていくばかりで、一向に回復の兆しをみせなかったこと。
その有様と、行く末を悲観した父親は、共に逝く事を決めたらしい、ということだった。
サヤはそれを聞き、一度家に戻ったという。
綺麗につくろわれていた家は見る影も失せて荒れ果て、壁は切り裂かれ、食器はぐちゃぐちゃになり、見る者の心を痛めたという。
父親が残した日記には、サヤの事も書かれていた。
今まで彼女の自傷にも気がつかず、彼女に無関心だった父が、娘が消え、妻が入院してから改めて娘の部屋に入った。
一見普通の部屋に見えた其処には、彼女の痛みが数々残されていた。
机の中にはいつでも切れるようにカッターや剃刀、共に血まみれのティッシュがあった。
何べんも切り刻んだ刃物は、血のせいでさび付いていた。
そこで父ははじめて娘のしていた事に気がついたのだった。
娘への後悔、懺悔。それらは皆妻を癒す事で埋め合わせていたようだった。
妻は妹と娘を重ね、自らの思いや願望をすべて娘にぶつけていた。
居なくなった妹のぶんまで。それはさぞかし娘にとっては苦痛であったろうと日記は告げていたという。
サヤは両親の心を、両親が居なくなって初めて知った。
互いに話し合っていたなら。心を少しでも分け合っていたなら、こんな事にはならなかったかもしれない。
2人の葬儀を、関係者らの非難の中で終え、彼女は張り詰めていたものが解けてしまい、此処へ来たのだと知った。


俺は、彼女に、サヤに、こんな形で混沌≠与えてしまったのだろうか。この紅い目が。
サヤを愛したばかりに、出逢ってしまったばかりに。
いつもいつでも、笑っていてほしいのに。幸せで満たしたいのに。


私はカオスに抱きしめられながら、ゆっくり、ゆっくり今までの事を話していった。
両親のこと。戻った家の惨状。父が残した日記での、その思い。
どうして、どうしてもっと早く気がついてくれなかったの。
どうして今まで逃げていたの。
私はつらかった、哀しかったの。寂しくて、苦しかったの。家出して、カオスに逢って、ようやく笑えたのよ。
どうしてこんな形でしか、愛情を示せなかったの――






「つらかったね」
身体を離して、見つめてきた彼が囁いた。
彼の瞳の中に、私がいる。紅い世界の、赤い私。おそらく私の瞳の中にも、彼が居るだろう。
訳もなくまた、涙が堰を切って溢れ出した。
それをカオスは黙ったまま、大きくて節くれだった指でぬぐう。何度も何度も。
その表情は見るからにつらそうで、それを見た私自身も悲しくなってきて余計に涙が止まらなかった。

そんな顔、させるだけしか出来ないのかな、私。

カオスには笑って欲しいのに。哀しい過去の分以上に、幸せで満たしたいのに。
好きで好きで、仕方ないのに。
「そだ」
不意にカオスが声をあげて、下げていたバックを漁り始めた。
何だろうとそれを見つめていると、やがて彼は小さな箱のようなものを取り出した。
「おるごーる・・・?」
それは小さなオルゴールだった。
ちょっと細かな装飾が彫られて、一方からハンドルが突き出した、手回し式のもの。
「回してみて」
言われるがままにそのハンドルを回す。ある程度巻いて離すと、きれいなメロディがながれ始めた。
「キレイな音・・・」
カオスはでしょ?と笑った。
「でも・・・少し哀しいね」
カオスは私をまた自分の方へ寄せて、私を背中から抱きしめながら言った。
「この曲はGreen Sleevesっていう。起源はよく分からないけど、19世紀イギリス、エリザベス女王の頃だと云われている。
緑の袖の亡き恋人を歌ったともされているし、浮気女のことを歌ったともされている。俺は前者の方が好きだけれど。」
メロディはまだ流れ続けている。これはどんな思いで創られたんだろう。キレイで、どこか胸をうつメロディ。
「エリザベス女王はね、「私は政治と結婚する」といって、誰とも結婚せずに女王として国を護り、生涯を終えた。
この曲は孤独を叫べなかった彼女の思いを残しているんじゃないかって、思ってしまう。サヤの様に」
抱きしめる腕にほんの少し、力がこもる。痛くないようにやんわりとした、そんな感じに。
「サヤ。俺はいつでも君を想ってる。君と出逢ってから、ずっと。
でも、俺(chaos)が想えば想うほど、サヤに混沌を与えてしまった。今回のように。サヤを幸せにしたいのに。
俺はいつもカオスしか与えられないのかと、思ってしまった・・・好きなのに・・幸せをあげられないと」
「違う!」
サヤは思わずカオスの腕をほどいて彼に向き直った。カオスは目をまん丸にして驚いている。
「カオスは私を幸せにしてるの!私は貴方に逢えたから・・」
言い切れなくて、涙がこぼれた。彼の腕の服を掴んで、まるですがり付いている、と思った。
「貴方に逢えたから・・・笑えるようになったんだよ・・・」
「サヤ・・・」
「お願いだから・・・そんなこと言わないでよ・・・Chaos(混沌)と居ると決めたのは、私なの・・・・」
どうしても泣いてしまう。好きなのに。哀しくなる。
「サヤ・・・」
「好きなの・・カオスが好きなの・・貴方には紅い私しか見えないけれど・・私は」
二の句が出てこない。涙でまた喉がつまる。染みるような痛みに、愛とはこんなに切ないものかと思った。
カオスがまた自分を抱きしめる。ゴメン、また泣かせた、と彼が言った。声が震えて、少し泣いているようだった。
彼の温もりと、震えるまろやかな声が、錆付いた心を癒した。

「サヤ・・・・君を泣かせる言葉はもう言わない。俺はカオスとして、君にくる混沌から君を守るから。だから・・・・・・・いっしょに居よう。」

雲間から顔を出した月が、涙で滲んでいた。






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