5.

「ここって…墓地…?」


ビルの間を飛んできた後に静かに降ろされた場所は、整然と十字架が並ぶ墓地だった。今
夜が満月のせいもあるのだろうが、月の光も相まってその場所は酷く陰惨なものに見える。
真紅を降ろした紅が、んー…と少し唸ってから口を開いた。


「アイツ、この間の殺気というか自分の存在をまるで押し隠す事をしねぇんだもんな。
完全に俺達をここで待って、ハイいらっしゃい、って言ってる感じだな。お前も気配を感じてたんだろ」

「……うん。なんか、気配って言うよりは目ね。二つの目がさっきから私達をじぃ…っと見てる。
ここに来てそれがいっそう強くなった。気をつけなくちゃ」

「おい、桝花に言われた事覚えてるか?」


心配そうに紅が視線を向けるのを見て、真紅は笑って大丈夫、と答えを返した。


「うん。正面突破はしない。それは紅に任せるから…っ! 紅!!」


ヒュガッ!!


真紅が突然会話を切って叫ぶと、風を切って何か黒い影が二人を目がけて襲いかかった。
寸での所で二人とも身をかわして避け、その影の方を揃って向き直る。
二人とも腰を落とした姿勢のまま片方の腰に手を添え、まるで刀を引き抜く仕草を取った。


「黒紅、出ておいで」


真紅がそう呼ぶと突如光が発生し、今まで彼女の手には無かった一本の鞘に収まった刀が出現する。
真紅が立ちあがり、黒に紫を混ぜ込んだような色の鞘から同じ色の柄を引くと、凛とした空気を放つ日本刀が彼女の手の中で一回、光を放った。
それに続くかのように、隣に居た紅が同じ姿勢を取ったまま刀の名を呼ぶ。


「来いよ紅赤。今日も楽しもうじゃねぇか!」


紅がそう叫ぶと、その手元には禍々しい赤色が発生する。
そして光が落ち着くとそこに血を薄めた様な色の鞘に収まった刀が現れ、紅が引き抜くと紅い光を放つ日本刀が現れる。
それは紅の声にこたえるかのように光と共にコォォ…と一回啼いた。


二人が揃って構え、闇の向こうにいる影を迎える。やがて起き上がった影が一歩一歩歩みを進め、そして―


「待っていたよ、私のアカ」


あの時の美しい顔が、月夜の元に晒された。黒髪が夜に溶け、白練りの肌が月光に照らされ浮き上がる。
そして何よりー何より自分を魅了した、あの血の様に紅い唇が、赤い瞳が、ゆっくりとこちらを見つめながら―笑った。


「あの時一緒に来れば―今よりもずっと、幸せな夢を見せてあげたのに。この汚い世界は、君には不似合いだよ、アカ」

「私はアカじゃない」


キッ、と睨みつけて反論するが、彼はまるで意に介していないようだった。ククク…喉を鳴らす様に低く笑い声が響く。


「違わない。君の奥に眠る狂気―君の放つ空気。君の名には恐らく紅が入るのだろうと予測はしていた。
それも血の様な『紅』という字が。私は君の色が堪らなく愛おしい。その内に流れるアカは、きっと甘いのだろうね…」

「させねぇよ!」


言うが早く紅が彼に向かって飛びかかり、紅赤を打ちおろした。
向こうも瞬時に身体を避けたが、それでも髪の毛の一本が避けられずチッ、と音を立てて舞った。


「…」


それを見て、目の前の彼は酷く気分を害したようだった。不服そうに顔を歪めると、ややあってゆっくりと紅の方に視線を向ける。


「ああ…君もアカか。しかし同族の血なぞいらんのだよ私は。当に飽いている、酷く不味い、おまけに喉を焼くんだ、文字通り」


そう言って彼はほっそりとした白い指で己の喉をそっと下から上に撫で上げた。
そして紅の方にひたと視線を向けると、右腕を構えながら歩き出す。


「私はね。人間の、それも特殊な力持つ鬼飼いの彼女の血が欲しい。墜ちた同胞などゴミ屑に過ぎん、邪魔をしてくれるな!」


シュッ!!


まるで闇が一気に広がるかのように間髪いれずに彼が紅に向けて飛びかかった。瞬間に判断して刀を構え、それを力一杯受ける。


ギャリギャリギャリ!


それは刀同士が擦れ合う様な音と猛烈な摩擦が紅の手元で起こっていた。冷や汗を垂らしながら紅が視線を彼の手元に向ける。


「っくそ!! コイツ! 爪を硬化させて突撃してきやがった!!」

「紅!」


紅に飛びかかった彼に真紅も刀を向けて飛びかかる。
ふわっ、と舞いあがり、次の瞬間にはその懐まで潜り込むと身体を一閃に切り裂いた。
血が噴水の様に噴き出し、彼がドサリと音を立てて地面に倒れる。
赤黒い血がその身体からじわりと滲み出したのを見届けて、真紅はすぐさま紅の方に視線を移した。
そして今だ衝撃で手の震えが止まらない紅のその腕を心配そうに見やり声をかける。

「紅」

「俺は平気だ。コイツがあんまり莫迦力なもんで…! 莫迦真紅! 後ろだ!」

「!」


ヒュガ!!


我に返った瞬間、突如真紅の身体がもの凄い勢いで吹っ飛ばされた。
身体が軽い分紅の遠くまで飛ばされた真紅は、ズシャアア! と勢いよく音を立てて背中から落ちる。


「真紅!!」


紅が驚いて叫ぶと、先程真紅が居た場所の少し後ろから、ゆらりと彼が立ちあがった。
刀傷は残っていたものの、出血は止まっている。
そして彼は今しがた吹っ飛ばした真紅を冷たい目で見やりながら、美しい顔でどこか悲しげに言い放った。


「…私と一つになれば、この様な事をせずに済むのにね…相容れぬ存在というのは、だからこそ悲しい…
だからこそ…一層愛おしい。
この腕(かいな)に君を入れられるのならば、この身体にそのアカを早く入れられるのならば、私は何でも出来る。そうだな、手始めは」


ヒュ!!


次の瞬間に彼は紅の真正面に現れ、その美しい顔が紅をギロリと睨みつけていた。


「邪魔な雑草から刈り取る事にしよう」

「しまっ…」


途端、ドス!という音に続きグジュル、と液体を掻きまわす音が下腹部から聞こえた。
次の瞬間に燃える様な痛みがそこを中心に全身に襲いかかる。


「…! ……が嗚呼アア嗚呼ああ!!」


紅の腹腔にねじ込まれたのは先程彼を襲った尖った爪だった。
それが無慈悲にも回転し、更に奥にねじ込まれ、その都度血がとめどなく噴き出す。


「く、れない!」

「ああ…まあ、お前も良い声で啼いたな。だが同族では飽いた。もう逝け」


彼が酷くつまらなそうにポツリと呟いたと思うと、その手にぐ、と力を込めた。


ぐじゅり。


「か…は…やるじゃねえか…くそ」


口の端から赤い血を零しながら紅がおやおや、と吐き捨てた。
それを見ていた真紅は刀を杖代わりにしてやっと起き上がろうと必死にもがく。


ぐじゅり!


一際大きな音がした瞬間、その身体が瞬時に固まる。


「紅!」


紅の腹腔から背中にかけて、美しい顔のそれの手が貫いていた。その手が見る見るうちに朱に染まり、血が滝の様にあふれ出す。


「紅!!」


ここまで何も出来ないのは始めてだった。声にならない声が身体に刺さる痛みが余計に苦しい。
真紅が必死にもがいていると、それがすばやく紅の腹から己の手を引き抜き、ブーツを鳴らして未だ身動きの取れない真紅を見つめた。


コツ。コツ。コツ。


「容易い。今までの同族と何ら変わらぬ。君も情けない下僕を従えていたものだね。
ああ、それとも私が今までの邪なる鬼と同じだと思っていたか? 違うよ」


コツン。


「私には、倍以上の再生能力がある」


だから最初に一太刀を負わせたのにも関わらず血が異様に早く止まりこんなにぴんぴんしているのだ。
真紅は沈黙を保ちながら彼を睨みあげた。その眼を見返して、彼がふ、と僅かに口角を持ち上げる。


「…その瞳がいい。殺意と狂気とを全て織り交ぜたその眼―美しい。
そうだな、せめてその灯を消さぬ様、ずっと私が飼ってあげよう。さあ」


ギラリ。


赤く汚れ尖り切った爪が月灯りを浴びて光った。


「潔く、私の物になりなさい」


ヒュ!!!


刃が空気を切り裂く、そして―


「くは…! させねえよぉ!!」


ガウン!!ガウン!!


紅の絶叫と共に空気を切り裂く音にもう一つ、遮るように二つの銃声が終幕を告げるベルよろしく夜空に鳴り響いた。
驚いた秀麗な顔がやがて醜く歪み、音のした方をゆっくりと見返すと。


「き…さまら」


ゴハッ!


美しい唇から呪詛と共に大量の血液が零れ出す。まるで恐ろしいものを見る目で彼がその胸元を見下ろす。
―その胸を貫いていたのは、紅がそれまで手にしていた日本刀だった。
コォォォ…と、まるでその体内のものを喜ぶかのようにそして、刀が啼いた。


まもなく、足を貫いた銃弾の弾はその身体のバランスを奪い、人形の様に崩れ落ちる。
真紅がその方向を見つめると、硝煙が立ち込める中、焼けつく様な匂いと共に月下の下に三つの影があった。


「やれやれ…結局私達も出て来なきゃいけなくなったじゃないですか」


一方の長身から酷く呆れた声が響く。その手には大ぶりの銃が握られ、銀色の光を放っていた。


「まあいいじゃねえか。心配だったんだろ」


隣にいた影が心底おかしいという風に笑ってなだめる。その声の主に驚き、真紅は思わず彼らの名前を叫んだ。



「桝花! 熨斗目!」

「俺達の事は良い。さ、紅、真紅。ぼさっとしてねぇでさっさと片をつけろ。真紅も紅も、もう動けるだろ」


熨斗目にそう言われ、真紅は動かなかった身体が少し楽になっている事に気がつく。
そう言えば彼らは『治癒』の力も有していたのだった。
そして黒紅を構えると、向こうに居るもう一方の紅と視線を合わせ、立ちあがった。
紅の傷は完全にふさがっている。血に汚れた彼の服が鮮やかに視界を染めた。


「頭と心臓を狙いなさい。言ったでしょう? ヴァンパイアのセオリーは、その二つですよ」


ね、吸血タイプさん? と長身―桝花が一層冷たくそう告げる声がした、次の瞬間。


ヒュガッ!!!


二つの風を切る音と、刃がその身体の心臓と頭をそれぞれ貫く二つの影が同時に重なった。


サァ……


やがて鬼が砂の山と化すその前で二人がそれを見つめている。


それを見届けながら、後ろに居た桝花が彼らしからぬ下卑た微笑みを浮かべて―笑った。


「お前は確かに強かったのだろうが、ね。一つだけお前らには知らない事がある。
我ら鬼飼いに飼われた飼い鬼は、己の主の為ならたとえ己が四肢を分断されても戦えるんですよ。
お前らに対抗出来る唯一無二の手段として、ね…」






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