「このたび新しく特殊課配属となりました月=紺青(ルナ=コンジョウ)です。よろしくご指導下さい」
挨拶をして下げた肩から、色素の抜けた茶髪がさらさらと流れた。
再び上がった面には、写真で目にした顔―他を圧倒させてしまいそうな強い瞳―とびきりの黒の瞳が輝いている。
出来るのか、果たして。
その瞳を見ながら、上司になった彼は思う。
今回の事件はやっかいだ 。本当に。
「警視のオギだ。着任早々君に厄介なものを押し付ける事に、なった」
妙な所で区切った自分に気がついたのだろう、彼女はその整った顔を軽く傾げて眉を寄せた。
言わなくてはならない。そう思い直し、重くなりつつある口をゆるゆると開いた。
「連続殺人事件の捜査官として君を任命する、ルナ」
「それが厄介とは思えませんね。何の弊害がおありです?」
彼は彼女にごく薄い―事件の報告書を資料として手渡しながら答えて言った。
「事件は至ってシンプルだ。被害者は10〜20代の若い女性。時間帯としては夜0:00〜2:00の間、人通りの少ない時間に公園やら路地でやられている」
「死因は…」
「色々だ。絞殺、刺殺、撲殺。それで身体から血が抜かれていたりもした。共通していたのはどれも身体に2つの牙痕を発見している事か」
「ヴァンパイア…?」
「かもしれん。だか確証は今の所見つかっていないに等しい。今は人も血を好む時代だからな」
ルナはヴァンパイアが試験的に生まれ、暴走を止めないこの時代にこうして時々、殺人事件が起こるとも聴いていた。
しかし…
「何が…厄介です? いい加減解るよう仰って下さいミスター.オギ」
勘の鋭い子だ。能力者とは普段の五感もずば抜けているものらしい。彼は再びゆっくりと言葉を発した。
「上は…ヴァンパイア事件になりかねないこの事件に、君を認めた。ニュー・カテゴリ…精神感応能力者の君を」
―今や老若男女、異種、獣人や魔女、能力者など、何をかをも受け入れられるようになってきたこの時代、警察当局が尤も畏怖するものの1つがヴァンパイアの存在である。凶暴かつあらゆる人種を飛び越えたこの存在は、時として人を襲う。
あまりにその行為が劣悪であれば、さすがに上もその重い腰を上げざるを得なくなる。
その中で能力者はいまや異種と対等に渡り合える重宝物である。ルナはその中でもその場にいれば人の思いが読め、触れれば情報がテレビの映像のように見られる。それがたとえ死者のものであっても。自分も最初は志高く入ったけれど、実際はそんな甘いもんじゃなかった。……思い出すだけで容易に吐ける自信がある。
ルナは身構えて上司の次の言葉を待った。
「そして…もう1人…相棒としてある長期犯罪者の仮釈も認めた。彼に対する条件は2つ。犯人を逮捕又は死体を持ち帰れば刑期を減らし釈放してやる…と。そして仮釈の代わりにルナ、君が何時も傍にいる事を条件に」
「何ですって?」
棘のある冷たい声がそれこそ凛と響いた。無理もない。予想通りだ。オギは全てを放り投げて帰りたくなった。
「私も反対したんだ…そんな目で視ないでくれ、ルナ」
「上の非常識、無知なのにもほとほと困り果てるわ。…犯罪者と一緒…長期と言うからには、凶悪犯なのでしょう」
ルナの人一人を貫けそうなその瞳の強さに押され、彼は苦しげに眉を歪めながら告げた。
「サイコメトリー…でヴァンパイア…だ」
「冗談でしょう」
今度こそ呆れかえった彼女は、疲れたように右手を額に押し当てる。
「凶悪なヴァンパイアと四六時中一緒にいて、なおかつそいつは能力者ですって?冗談もそこまでにしてほしいわ」
「能力者同志ならばいいものだろうと…済まないと思っている」
「だからってサイコメトリーなんか未知数よ。下手したらただもれじゃない私の思考。イヤだわ分かる? ミスター・オギ。頭ん中四六時中のぞかれる屈辱」
「済まない……だか協力してくれないか。市民を助けると思って。」
一番痛いとこをついてみれば、ようやく諦めも付いたようだった。ふーっと長いため息の後綺麗な茶色の瞳をこちらに向けて戻し、力なくうめく。
「…名前は」
「?」
「そのヴァンパイアの名前。凶悪犯なら聞いたこと有るかもしれない。…腹くらい括らせてよ」
「…カイン…カイン=ノアール」
その名を聞いた彼女は嘲りと共に大きく息を吐き出した。
「はっ!天下の警視庁を潰しかけたあの凶悪殺人犯を、というわけね! 凶暴な獣の牙を抜けばどうにかなると本気で思ってらっしゃるのかしらお偉方は」
当然の反応だろう。オギはばれない様にため息をついた。
―カイン=ノアール。
警視庁を突如として襲撃し、人員の半数を殺戮せしめた現在長期服役中の凶悪犯。このおかげで警視庁は防犯の至らなさや防護に関してマスコミにおもしろおかしく書き立てられ、一般人の中にはその功績を崇拝し、BBSやチャットはその話題に花開いたと聞く。
「ルナ…」
「分かってるわミスター・オギ。あたしだって人間よ。腹括るわよ」
「なんというか…済まない」
「いいです。それで、いつ行くんですかそいつのとこに」
「1週間後の金曜日だ。その日を面会日に指定した」
「分かりました……また伺います」
彼女は敬礼をし、頭を下げて部屋から出て行った。
その姿を見送って彼は深くため息をついた。そのまま近くの椅子に腰掛け、あの独房の奥で笑う彼の…カイン=ノアールの言った事を思い出す。
“共に過ごすということは、俺はそいつから食事をしていいということだ。いいのか、オギ”
“決定事項だ。一存では決められん。私は無力なのだよ、カイン”
“上が部下を悪魔の生贄に差し出したのか…お前も逆らえば良いものを。人間というのは、常につまらぬ物に縛られておるのだな…まあいいオギ。案ずるな。殺さぬ程度に頂くさ。
大事な相棒、だからな”
この憂鬱もしばらくは聴いて貰えないのも、少し寂しい気がした。
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