コツンコツンコツン。
「嗚呼カイン」
重苦しい開閉音に続いて振ってきた声に、彼は思わず頭を上げた。
「全く・・何て顔をしているんだ」
苦笑いのような声。

コツン。

足音はドア口で止まり、影がその壁―彼女がいた場所に身体を預け、薄く笑う。

「オギ・・・」

非常灯の青白いランプがオギを背後から照らし出していた。彼の肌は普通の妙齢の人間に比べ、自分に近いくらい白い。幽玄な雰囲気は彼独特の物だ。これも一つの人間の哀しいくらいの美しさだとカインは思っていた。歳を刻み、生を生きる、人間の業と言うべき哀しい美しさが彼にはあった。オギはその光の中、ただ穏やかに苦笑した。
「レディは大切に扱い給え」
「・・・見ていたのか」
「君の声が聞こえたので、此処へやって来てみた。同時に飛び出していく泣きじゃくった彼女を見つけた。それだけだ」
飄々とぬかしてくれる。涼しげな顔を見つめ、カインは唇をかみ締めた。
「・・・・随分と、気に入ったようだね」
ややして切なげな眼差しでオギが語りかけた。同情にも似たそれに無性に腹が立って仕方ないが、彼を殺す理由などないから抹消は出来なかった。興奮状態で犬歯が異常に伸びきってしまっている。堪えに堪えて、投げやりな返答が口から零れ出た。
「だから・・・なんだ」
「彼女もそうだと思うが」
「だからっ・・何だと言っている!」

ブチィ!

堪えてかみ締めていた唇が叫びと共に切れ、血を滴らせた。

ポタ・・・ポタ・・・・

地面に滴る己の血液に視線を向けたまま、彼が呻く。
「彼女の・・・ルナの負担を減らしたかっただけだ。何日もろくに眠らない、ともすればまともに食べない!どんなに自分が気絶しかけても気にかけるのは犯人逮捕のことだけだ。あれは他人のために自らの肉体を犠牲にする・・・・」p 「それは慈愛ともよべる。人には備わって然るべき物だ」

ダアンッッッ!!

怒りに任せてカインが叩いたデスクが真っ二つに割れた。一間置いて、荒々しく削り取られた拳の皮膚から血が流れていく。うつむいた彼の表情は影って分からない。泣いている様だ、とオギは思った。p 「・・・・・・俺には耐えられない・・・俺にはっ・・」
しぼり出すように囁かれた怒りの声が、まるで地獄から響いてくるようだった。独り言のように、カインが呟いていく。
「ルナが犠牲になるのは嫌だ・・・その心が引き裂かれて粉々になるのが嫌だ・・・何故そこまでして人間を救おうとする?人は醜い。人は愚かだ。人は・・・」
「カイン」
戸口の壁に寄りかかったまま、オギは諭すように語り掛けた。
「そんな人間を愛したのも、また君だよ」
その途端に崩れ落ちた身体。
まるで子どものようにうなだれてしまった、人間ではない彼。嗚咽が聞こえないから、きっと泣いてはいないのだろう。彼は誇り高いから。
それでも。
(随分と・・・変わったものだ・・・)
そんな様子にオギは静かに目を丸くして見つめていた。
まるで人間のように、感情をむき出しにする事などこれまでの彼には無かった。
(・・・・良い兆候と・・・取るべきなのだろうか)
あるいは、逆か。
「カイン」
壁から体重を預けていた身体を離して、子をあやすように名前を呼んだ。
「そして、彼女をそう想い、彼女に黙って手がかりを探す・・・それはまさに慈愛だ」
俯いた顔は相変わらず地面を向いていて表情が読めない。沈黙が彼の感情の気配を何とか浮かび上がらせていた。あまりに弱々しい、それ。
「だがそれが彼女には我慢ならなかったんじゃないのか?」
「・・・・何故・・・」
「相棒だから・・・と他にもあるような気もするが。そこらへんは君が分かるんじゃないのか?」
「俺は人ではない・・・人の感情なぞ」
「彼女の感情くらいは分かるだろう?」
血を頂いた人間だモノ、とニッコリと笑いかける老齢の男は、やがて面白そうに言った。
「さ、血を止めろカイン。私の血なぞ貰いたくはないだろう?」
勿論私もあげたくはないがね。
投げかけられた言葉にカインは弱々しく笑んだ。


















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