仕事帰りの夜―正しくはこれからだと思うのだが、にぎやかなバーの中でルナは1つため息をついた。もちろんアルコールは入れていない。
これからもその―はずだった。
何故、こうなったのか。


「たまには明けまで酔ってみないかい?」
月1の報告が足りないのかと思いびくびくして行ったら、オギはうきうきと久々にバーに行きたいと言い始めたのが始まりだった。
「は?」
あっけにとられている自分をよそに、彼はニコニコと微笑みながら優雅に語ってみせる。
「最近カクテルの上手いバーを見つけてね。隠れ家みたいな所も気に入ってるんだ。しばらく行ってないから久々に顔を出したい」
「お1人でお行きになればよろしいでしょうに」
あまり乗り気がしないのでここはかわしておこう。さしさわりなく終ろうと言葉をすべらせる。
「どうせなら若い女性同伴の方がいいさ」
「ミスターにそのような思考が現存せしめている事に驚きです」
「私だって男だよ」
「女には見えませんね」
「口がよほど達者と見えるなルナ。じゃあこうしよう」
「はあ・・・」
「上官命令だ」
「・・・・・・お供させていただきます」


と言う流れになってしまった。
もっとも、彼の方は自分より忙しい身なので後から行くと言い、先に待ち合わせているところだ。とはいえもともと酒はあまり強い方ではないのに。ぶつぶつ文句を言っても仕方ないのは分かっているが止まらない。
―もう飲んじゃおうかな。
向かいのバーテンに注文し、出来上がるまでしばらくまだ待つことになった。
(ああどうしよ・・・あれからカインに全然会ってない)
テーブルに肘をついて手首に顎をのせ、考える。
考えてもしょうがない事は分かっている。
だから早く謝りたい。時間が経てばそれだけ気まずくなる。
(・・・・帰ったら・・・あやまろ・・・)
こんなトコで考えても悶々としているばかりで、まるで堂々めぐりだ。

「ねえ」

しばらく考え事にふけって上の空だったせいか、不意をついて掛けられた声が自分に向けられた物と気がつくのにしばらくかかった。
「1人ですか?」
「は?」
くるりと顔をそちらに向けると、見知らぬ青年がその場に立ってこちらの瞳を見つめていた。
無造作に立ち上げられた短髪はに焦げ茶色に色素が抜けている。均等に配置された顔立ちの中、見つめてくるその瞳がとても印象的だと思った。
綺麗なアーモンド形をした灰青色―ホークスアイの瞳を縁取るまつ毛は男性にしては長めで、上品なイメージさえ与えてくる。Yシャツに黒のジャケット、濃いブルージーンズに胸元にはレザーチョーカーとシンプルながらもそつない着こなしをしている。
私は癖になっている観察を止め、淡々と彼に告げた。
「人待ちなんで」
「ふぅん、レッド・アイ?お酒弱い?」
「ちょっと!人の取らないでよ!」
漂々とした態度の彼は出来上がったカクテルをひょいっといとも簡単に取り上げてしまった。手にしたカクテルをそのままに隣に座られてしまったのでちょっとイラついてルナは声を上げた。
「返して」
「待ち人来るまででいいから付き合ってください。そしたら別のヤツ奢りますから」
「いらないわ」
キッとねめつけると、彼はおどけて肩をすくめて見せた。しばらくそこで互いに睨みあった後、最初に彼の方からカクテルを静かにカウンターテーブルに置いて自分の方に押し出した。
「お願いします」
「・・・・・来る前に離れてよ」
怒るのも疲れたので適当にあしらっておこう、と考えた。しぶしぶ彼に承諾を口にする。するとぱっと顔が輝いて嬉しそうに言った。
「やった。あ、すいません俺にも下さい、ビジュー」
ひらひらとバーテンに手を振って注文を告げた後、またしてもこちらに向き直る。正直まだイラついていたのでそのまま酒をあおった。彼はやがて自分のものが来ると、少し無口になってグラスに口をつけた。
「まだ名乗ってなかった。俺ヴィオ=クエイルード。28才。貴女は?」
「・・・・・」
「無視するとバッグからライセンス漁るよ」
「・・・・・・・ルナ」
「ルナ!夜に浮かぶムーンのことだ!素敵な名」
「ありがとう」
おかげでこちらは個人情報の1つを漏らしてしまったわけだけれど。情報が金になるっていつの時代から始まったのかしら。ホンと嫌になる。かくいうその情報を洩らした相手はお構いなしにペラペラ喋っている。B型かな。人のことなど気にしても無い。
「赤い目じゃなくてムーンライトにすればよかったのに。カクテル」ケロンとした表情でヴィオが訊ねてくる。
「そんな気分じゃないわ」
「堅実なんですね」
「関係ない」
つっけんどんに返してもまるで関係ないといわんばかりに笑顔で返してくる。
まるで柳のようね。風を受けても凪いでいってしまう。溜め息が零れてしかたない。
「待ち人は彼氏?」
「違う」
「彼氏はいるの?」
「どうとでも」
「否定しないってコトはいるんだ。ヤイちゃうな。こんな美人さんを。どんな人?」
人ではない、と言ったら彼―ヴィオは驚くだろうか。まあいわないけれど。カンパリ・オレンジを頼んでしばし待つ。
「ねえルナさん」
最後の一口を残したヴィオが顔を赤くして、こちらを見つめる。
「また、会って」
酒も入って掠れた声はカインより少々高く、しかし人間の女性を惑わすには十分な要素を持っていた。耳朶に程よく突き刺さるまろやかで甘い声。でも私には不向きだった。ひたすら拒絶の意を表す。
「嫌」
「即答?ひど」ヴィオがええ?、と苦笑する。
「じゃあはっきり言うわ。想い人がいるから」
「会うよ」
「だからっ・・」 反論しようとして、言葉が消えた。いつの間にか彼の目がしっかりとこちらを見据えている。ホークスアイの瞳に捕らえられて動けない。獲物をしとめた鷹のように、彼は私を捕らえている。青を灰で穢した様な色に目が離せない。
どうしてなの。
真剣な表情の彼は、笑いもせずに言った。
「また、会うから」
「っ・・・・・」
「ごちそうさま。・・・・ルナ」
料金をその場で支払い、ヴィオはバーの出口の階段途中で足を止めた。そんなに離れたというのになぜか瞳だけははっきりとこちらを捕らえているのが見える。
まるで獲物を捕らえる鷹の様に目を離す事なく、彼はやがて呟いて静かに去って行った。
「また、ね」


















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