夜の帳が下り始めた都会の街並みを、彼はなじみの場所から見下ろしていた。
暗い部屋頼りない灯り。明るい日中でもくらい真夜中でもそうしているのは、もう習慣であった。
彼は深く皺の刻まれた顔に疲れを見せ、うなだれた。そのまま深くため息をつく。
とー
「君はホントため息が多いねえ」
その場に誰もいない部屋の中の一角、その隅で明るく朗らかな声が響き渡る。
彼はーオギはそれでもその方向を振り返るような愚かな真似はしなかった。そのままの姿勢で背筋を伸ばし、聴く体制を取った。もはや瞳には何の感情も映してはいない。
「そんなに固くなるなよ、オギ」
彼にそう見えたのなら、そうなのだろう、とオギは思った。彼は賢い。彼は鋭い。彼は聡い。
こうして臆しないよう、表情を固めているのが精いっぱいだったから、そうなのだろう。
オギの横に並んだ影はそしてちいさく笑った。
「二人は確信に近付いているね」
「そのようです」
影はー彼は更に軽快に笑い声をあげた。
「ふふ、あいつだ、これはあいつの仕業には違いないのさー分かるだろう?分かっていただろうオギ?ルナに任せる前から、君は分かっていたんだ。あいつはカインが憎いからね。殺したいほど憎いからね。だからカインを出したんだ。エサは放りだしてうろつかせれば、必ず魚は喰いつく」
そう言って、クスクスと笑う。まるで子供の様な高い声、純粋な声で笑う。自分よりはるかに上を行くこの横の人物は、再び口を開いた。
「ルナは丁度良い人選だったね。ルナはーアルテミスにそっくりだ。強い眼差し。柔らかな髪。ねえオギ、あの子はホントにそっくりだ。カインが死ぬほど愛して手に入れられなかった、あいつが喉から手が出るほど欲しかったあの愛らしい子に。」
「ヴァンパイアに噛まれたのではなかったでしたっけ」
「うん?そうなんだけどね、あの子は嫌いだったんだ。異種がまだ認知される前の話。異種に恋人を殺されたあの子は死ぬほど憎んでいた。だから通り魔に襲われた時、彼女は助かりはしても生きながらえはしなかった。あの子は言ったよ「あの人を殺した化け物になりたくない」」
オギは息を吸い―吐き出した。
「とどめを刺したのは、カインなのでしょうね」
彼はこちらに視線を向けたようだった。影がふいと動き、こちらを見つめる気配がする。しばらくそうした後、どうやら何がツボだったのか、大きな声でアハハハッ!と無邪気に笑い出した。
オギはその様子に怪訝そうに眉をひそめた。
その人は甲高い声で笑い続けている。いくらこの部屋が米かに人が通り過ぎる事が少ないとはいえ、この人は見つかってはいけないのに・・・ようやくその笑いをこらえた所で、その人がかすれた声でじゃべり出す。
「っは・・・・それが?それがどうしたの?カインはアイツが吸血鬼化させていた彼女を心臓を突き刺して殺した。本能を堪えられなかったカインは心臓を取り出し、穴の空いた臓器から血を啜った。おかげで彼女は死に、あいつは望みを叶えられぬままカインを憎む。カインはその罪悪に今も苛まれている・・・」
堪え切れなかったのか、そのまま声をあげて笑いだす。オギはその笑い声を無表情のままに聞いていた。
嗚呼狂っている、この人は狂っている。無邪気な子供の様に、純粋に狂っている。
そのまま笑い転げた後、近くにあった椅子に転がるように座り、こちらを見てにっこりしたようだった。
「死人のくせにさぁ、あいつらはまるで人間のようだよねぇ!無邪気に女を取りあって、女はいなくなって死んだ。互いを失うまであいつらは気がつかない。僕がその前に彼女を虫の息にして、路地裏に放置した事も、僕が裏で糸を引いた事を、僕がすべての黒幕だって事をさ!」
「・・・お好きなように」
静かにオギは答えた。そのまま笑い続けるその人をよそに、オギは静かにその声を静かに聴いている。その人が見つめるのは、その瞳に映るのは、一体なんなのかーオギは考える事を止めた。
この世界は狂っている。ずっとずっと、狂っている―
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