警視庁特別収容所。
地下に眠るこの施設は、数ある凶悪犯のなかでも最も凶悪かつ放してはならぬと定めた犯罪者を収容する。 処刑すればいいとの声も間々あるが、何せこの民主主義は人ならずとも働くように出来ていた。世論がそれを許さないというが、実際の所は貴重になった力のある者が多く、それを殺すのはもったいないからだ。
その施設の最下層の再奥の部屋に彼はいるらしい。
(この事件…凶悪犯に頼るほど複雑じゃない気もする…)
咬み跡まで見つかっていて、人が死んでいて。ヴァンパイア、ヴァンプドラッガー(血の中毒者)、狂信者、色々可能性は出てくる。捜査も出来るだろう。続く回廊を渡された書類を見ながら歩くルナは、思う。
(何故…上はカイン=ノアールの仮釈を許したのか…)
カツ、カツ、カツ。
リノリウムの床にヒールがこすれて音が鳴る。どこかで獣めいた人間の声がする。薄暗い廊下にもようやく目が慣れてきた頃、その声が響いた。部長―オギが目の前で止まり、こちらを振り向く。
「ルナ=コンジョウ、着いたぞ」
彼の前にあるのは純銀製のボタンで開くスライド式扉。作りに至ってシンプルで、特別な事は無い。ルナは無意識に首をかしげていた。
「彼は甘んじて此処に入っている。逃げはしないさ。だからシンプルなんだ」
自分の思考を読みとったかのように、オギが静かに言った。「プライドが高いんだ」
なるほど。それ程懇意な仲と言うわけね。でも一応純銀製で造ったってとこかしら。
ルナは黙って彼を促した。オギは答えるようにその横についたボタンを押す。
シュッ。
「入るよ、カイン=ノアール」
オギが穏やかに中に向かって声をかけ、足を踏み入れて行く。続けて後から自分も入っていった。
扉のように、中も至ってシンプルだった。普通の収容所のように真ん中に対面ガラス、勿論窓はない。かわりに壁はみんな白い。 その部屋の主は、対面ガラスの向こう側でこれまた白いパイプイスに腰掛けて、口元が静かに微笑んでいた。
自然と目がその人物を追っていた。
白い収容所服に身を包んだ体は程よい筋肉が覆って、室内にずっといるとは思えない精悍な体をしている。
整った顔つきだと、いっぺんで分かった。鼻筋は通り、綺麗な唇は弓形に作られている。髪は耳を隠すぐらいのシャギーカットの黒髪に軽めのウェーヴがかかっていて、実際より長いように見えた。伏せていた顔が上げられて、思わず息を呑んだ。
印象的だ、と思ったのはその目だった。
蛍光灯の灯りに反射して光のグラデーションがつく、パープル・アイ。
綺麗なのに、強い瞳だと思った。
その目がゆっくりとこちらを捕らえ、選別するように上から下へ動き、そしてまたこちらの目を捕らえた。その紫がひどく神秘的で、有無をいわさぬ眼差しの強さが色によって際立っていた。
「例の新人を連れてきた。ルナ=コンジョウだ。あまり怖がらせないでくれよ、カイン。ルナ、さぁ」
オギが前を譲ったので、必然的に前に出ざるを得なくなった。そのまま頭を下げ、挨拶をする。
「ルナ=コンジョウです。このたび貴殿の相方を勤めることになりました。以後宜しく」
言い切って顔を上げれば、カインは腿に手を組んだ状態のまま口角を綺麗に上げて微笑んだ。
「初めまして。宜しく、ルナ=コンジョウ。ルナ、と呼んで構わないか?」
「ええ」
「そうか。ならば俺はカインで構わない。時に、オギ」
「なんだ」
急に振られて、オギがびっくりしたような声を発した。 その反応がよほど面白かったらしく、右手を口元に当ててくくくっと短く笑い、低めの声で言葉を発した。
「先ほどお前は怖がらせるな、と言ったが、まるでそんな様子も見られぬレディだぞ、ルナは。見くびりすぎてはいないかい?」
「そんなことは無い。お前と対面すれば誰もが臆する。一応お願いしたまでさ」
「くくっ…そうか、その通りだな…さてルナ、」
かけてくれ、と無言でパイプイスに手差しして促す。とりあえず言うこと聞くに越したことは無いわ。 座るのよ、ルナ。
「ああ、俺もその方がありがたい」
「!」
されたことにカッとなってキッと強い眼差しでねめつけると、カインはおや、と意外そうに首を傾げた。
「俺が能力者だということは先刻もって承知だと聞いたが。今のは高度なヴァンパイアなら出来る事だ。読まれるのは初めてか?」
「いいえ。…勝手に読まれるのが初めてなだけよカイン」
そう返せば、彼は一度驚いたように目を丸くし、それからああ、と納得したように頷いた。
「失礼した。何せ女性との会話は久方ぶりでな」
言って今一度オギの方を見やる。オギは何を言うか、と少年のように苦笑いしていた。それを片目で見やり、ルナはため息をつき、再びカインに向き直った。
「そう。これからいる時間の方が長いのだから、そこら辺の分別はつけるようお願いするわ。意識をずっとシャットアウトするのって疲れるの。分かるでしょう?」
「努力しようマイ、レディ」
そう言って妖艶な口元に笑みを浮かべる。なるほど、これでは男も女もイチコロだ。 さぞ食糧には事欠かなかっただろう。
カインは脚を組み直し、改まった顔でこちらを見た。
「ルナ。俺と一緒にいると言う意味が今一度分かっていないようだが、とどのつまりは、俺と暮らす、ということだぞ」
「…何よ変な事するのはそっちでしょ」
「お望みなら喜んで」
「結構です!」
「腕はなまってはいないつもりだが」
「その前にアナタの心臓ぶち抜いてやる」
「…なかなかどうして手厳しいな」
かすれるような低い声でくっくっと笑う。まるで夜風が草木にこすれるように。
さりげないその事に、背中が泡立つ。
「ではルナ、これだけは俺から願い出たい」
改めて見るその眼差しは、なんというかセクシーだ。アメジストが輝いている瞳。見ていられるなら、永久の眠りすら赦せるかもしれない。
「な、に」
「俺の食糧のこと、さ」
そういってカインが笑みを刻んだまま対面ガラスにツツー…と人差し指を這わせる。
食糧、ヴァンパイアの食糧。それって
「Blood。血。生き物の象徴、生命の源。禁断の味。相方に選ばれた君は、それを俺にくれる義務がある。何、普段は堪えるさ、空腹はある程度我慢出来る。だが、どうしてもの時…」
ダアン!!
耳をつんざくばかりに響いた音は、カインが両手をガラスに叩きつけた音だ。手錠がガシャアン! と痛い音をたてた。
カインはそのままガラスにすがるように、音を通す穴の空いた通話口に口を近づけた。
狂気も官能も孕んだその声が、室内に響き渡った。
「それが、欲しい」
そして、黙ってこちらを見据えた。
試されているようだった。目の前の瞳はただ静かに燃えていた。寄せ付けることはしない、お前が寄って来い、と言わんばかりに。
口の中に溜まっていたツバを飲んだ。視線を逸らしてはダメだ。そんな気がした。
考えながら、ゆっくりと口を開く。
「……良いわ」
瞬間、彼が目を大きく見開いて、時が止まったように言葉を失っていた。
「……良いと言ったのよ」
もう一度言ってみたら、カインは今度こそ口角を上げて綺麗な弓状に作り上げて微笑んだ。
ガラスに打ち付けていた両手を、ジャリ…という生ぬるい手錠の鎖の音と共に下ろす。
そうしてからまた、こちらにその紫煙の瞳を向けた。
「……強気な女は嫌いじゃない」
「……そう」
貴方の趣味なんて知ったこっちゃありませんけどね。
聞こえるように心ではっきりと呟いてみたら、上手く聞き取ったのかはははっと声を上げて、カインは笑っていた。
「やはり、手厳しい」
「優しくなったつもりはないもの」
「はははっ、そこがまた燃えるな」
「消してあげるわよ」
「ふっ…期待している」
.
バチバチと二人の視線の間に見えない火花が散った後―やがて場を見計らった様にオギの声が後から掛かった。思わず振り返り、オギの方を見やる。オギはパンパンと軽く手を叩くと、そっけない表情のままサラリと次の宣告を告げた。
「2人が意思相通出来た所早速で申し訳ないが、本日よりカインの仮釈が決まっている」
時の声がさらに残酷めいてルナの耳に響き渡る。
「は…? 何ソレ聞いてませんよ!」
真っ先にその事について抗議をすればオギはああ、言ってないなと今更の様にさらりと答えた。
「言ったら断られるだろうと思ってな。すまんなルナ=コンジョウ」
そう言ってぽりぽりと頭をかく。畜生、計算づくか。そのダンディな顔に騙された。その間に彼はさっさと手錠の鍵を手にし、カインの部屋に移っている。
「カイン=ノアール、君は仮釈される身とはいえ、事実上はまだ罪人だ。だからそれゆえの条件も多いが……こらえてくれるな?」
カインの手錠をはずしながら、オギが彼をまるで父親が息子を諭すように問いかけている。カインは余裕の笑みでオギのすることを見ながら笑った。
「分かっているさ、オギ。案ずるな、俺は昔から堪えてばかりだ。釈放の身になれるならやってやるさ」
「耐えるのが得意なら殺人なんか犯さなきゃいいのよ」
仕方なしにオギの後について彼の部屋に入った途端にルナは悪態をついた。カインがおお恐い恐い、というジャスチャーで悪戯っぽく笑う。
「ちょっと寝床が欲しかっただけさ、眠るためのな。それ以上は大人の事情だ……」
ヒミツ、と言う代わりにそして人差し指を唇に当てるカインに、老人の事情の間違いじゃないの、と言いたかったが読まれるのもシャクなので止めておいた。
それにしてもカインは近くで見るとほんと長身だ。頭2つくらい違う。立ち上がったその姿は闇夜の中を駆け回れる狼に似て精悍だ。ヴァンパイア、ってみんなこうなのかしら。
手錠が掛かっていた手首をさすりながら、彼はこちらを見下ろしてニッコリと微笑んだ。
「さあいこうか、相棒」
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