細められた目が近くて知らず身体がすくんだ。にい、とつりあがった唇が赤い。いつのまにか左手首を掴まれていた事に気がつく。
それくらい優しく掴まれていた。少し力が入ったせいで、痛いと感じるほどではなかったけれどむずかゆい。


「俺はずるい男だから、ね」


御免ね、と囁くように紡がれる言葉がくすぐったい。そのまま磔のようにソファに倒されて、今度は頬に唇がかすめる。ぞくりとしてしまった。
見つめ返した瞳、灰青色の瞳が室内光を含んで濡れたように光った。


「俺にしてよ」


「・・・・ヴィオ」


「愛してる。・・・・どうしようもなく君に狂ってる」


右手の甲に口づけながら、切なげに目を細めて上目づかいに見つめてくる瞳が痛い。ヴィオ、と名前を呼ぶと、その言葉を噛みしめるようにその双眸を閉じてみじろいだ。
そのまま唇をそっと離して首筋に這わせた。


「・・・ヴィオ・・」


「アイツを忘れて、俺を選んで」


茫然となる自分の首筋をヴィオの唇がなぞる様に触れていく。どうしようもなく身体がふるえる。これ以上の声がでない。
じっと見つめているヴィオはルナ、と優しく頬を撫でた。次の時にブツリ、と突き破る音がして、唇をうっすら開いたヴィオの唇から二つの穴が見えた。赤い穴にテラテラと光って流れる血が唇を艶めかしくおぞましく見えさせる。 次の瞬間、食いつく様にキスをされブツリと自分の唇に噛みつかれた。そのまま角度を変えてさらに深く口づけられ、息が詰まる。
呼吸をしようとすると互いの唾液と血が混じり合ったモノを呑みこんでしまった。多少薄くなった血の味でもむせかえりそうになる。
やがて唇が離されて必死に酸素を取り込もうと荒く喘いで、なんで・・こんな事をと睨み付けると、彼は平然とこちらを見下ろしていた。



「・・・ごめ、んね・・・・俺はズルイから・・・・・これ以上・・何もしない・・・」



はあ・・と熱い吐息をもらすヴィオの眼は真っ赤に濡れている。大丈夫ではない。ぜんぜん信用ならないと腕を押しつけて距離を取ると、ヴィオは残念、と言って軽く苦笑し身体を持ち上げた。軽くなった身体を起こし、乱れてしまった髪の毛を手ぐしで直して立ち上がる。噛まれた唇がひりひりと痛い。指先でそっと撫でると、凹とした部分が二つあるのに触れた。つきん、と痛んで思わず眉をしかめる。


「ルナ」



声と共に顎を掴まれ、またキスをされる。いや、違う。舌で傷口を舐められている。こうしたらすぐ治るからね、と笑う彼に、何も言い返す事は出来ない。柔らかく触れる唇の感触と、ぬめぬめとした舌が丸く傷口を撫ぜる感触に身体が意識と関係なく震えた。

どうして、今、何で。


今自分の中にあるのはただそれだけの疑問と、カインはきっと怒るという事、カインとは会えないのかという悲しみがせめぎ合っていた。それがヴィオにキスされて不意打ちの様に血を交わらせてしまった事で複雑に絡み合った糸の様になっていた。
どうして二三度会っただけの自分に愛という感情までいだけるのか疑問だった。茫然となる自分にヴィオは優しく笑い、同じ事を繰り返した。



「ごめんね、俺はズルイから、こうなる日を分かって君に近付いた」


「・・・・わたしは・・かいんが」



「君をそのまま独りで居させるくらいなら俺が奪ってやるよ。それくらいやってやる。それくらい君が欲しい。君を俺のものにしたい」



キッと、刺さる様に向けられる眼差しは本物だ。抱き寄せられて抱きしめられる感触。柔らかく触れられる髪の毛、慈しむような愛撫に傷ついた心が嫌が応にも悲鳴を上げた。
やだ、と蚊の鳴くような声で叫んでみても、今度は離してくれそうにない。
ずるい、ずるい、ずるい。そんな事するなんてずるい、そんな優しさはもっと卑怯だ。涙がボロボロと零れて止まらない。だって私はまだカインが好きだ。カインが好きでたまらない。でもこの事で、彼の事も忘れられなくなってしまった。その優しさがずるい。その微笑みがずるい。その血の味がする痛みと快感を混ぜ合わせた様なキスも、抉り取られた傷を甘く疼かせるから。



「か・・・えって・・・帰って!」



必死になって彼の胸元を押し、引き下がらせると、ヴィオは哀しそうな顔をしてようやく離れた。そのまま何も言わずに腕を離すと、しばらくその場でためらう気配がする。そして一呼吸吸った後、かえる、と情けばかりの声がかかって、ヴィオは玄関に向かって行った。








パタン、と戸が閉まる音がした瞬間、耐え切れずに脚から崩れ落ちてそのまま泣きじゃくった。








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