いろいろと不愉快だ。そう、色々と。ルナはオフィスのチェアに腰掛け、コーヒーかすから絞りとったクソ不味いコーヒーを一口すすった。そして向かいのローソファで自分とはうって変わって美味しそうにコーヒーを飲み込むアンナを、そして自分の隣側でガシガシと頭を掻くカインを見つめた。窓辺できまずい空気を察したか、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるヴィオは事件ファイルを丹念に見返していた。
まあ、いいわ。コーヒーをデスクに置いて、自覚はしていたが、ルナはぶすっとした態度で口を開いた。


「貴女は何者なの?」


アンナは上品にソファの前のローデスクにマグカップを置き、歌う様に答えて言った。


「私?私はただの院生よ?」


「とぼけないでハニー。ただの院生がどうしてオフレコの情報を、たったいま起こったばかりの事件をかぎつけたの?何故カインを知っているの?」


「カン、カンよ。ダーリン。そんな嫉妬しなくていいじゃない。かわいいわねぇ・・・」


「ロッサ!」


堪えられなくなったようにカインがイスから音を立てて立ち上がった。珍しく動揺している。そんな様子にさらに嫉妬心をかき立てられてカッとなってしまった。壁がピシリ!と音を立てて裂ける。ハッとなって壁を見て、我にかえった。
それをしごくおもしろそうに見ながら、アンナはコーヒーをまた一つ口にした。冷静になれ、何回も繰り返して冷静さを取り戻すとコーヒーを含んで飲み込む。


「・・・・・・カイン。彼女は何者なの。」

カインがふう、と疲れたようなため息をこぼすと、イスに座りなおし、足を投げ出してから口を開いた。


「彼女は・・・」


「ベナンダンディよ」


割って入る様にアンナがさらっと正体を口にして、カインがおい、と不機嫌そうに彼女を睨み付ける。アンナはそんなカインの視線も気にせず面白そうに受け流しているだけだ。


「そうだろうと思った。」


次にそう言ったのは、窓辺でファイルを見ていたヴィオだった。手にしたそれをパタンと閉じ、眉を潜めて嫌悪感丸出しの視線でアンナを見やる。そんなヴィオをあら、と見て、人差し指を唇に当ててクスリと声をあげた。


「そうね、貴方は分かるわよね。ベナンダンディは貴方の片親、魔女の宿敵ですもんね。」


「・・・・気分悪いな、ベナンダンディ。」


じりじりと、二人がいがみあい始めかけたところでルナは慌てて言葉で遮って止めに入った。こんな所で他人同時がいがみあってもらっても困る。


「ねえ、貴方達で分かりあっていても困るわ。ベナンダンディって一体何者なの?」

あら、とアンナが意外そうな顔をしてこちらを見ると、ちょっと苦笑してごめんなさいね、と謝ってから説明を加えてくれる。不名誉なのは分かっていたが、仕方ない。


「ベナンダンディというのは、信仰を持ち、夜中に身体から魂を飛ばし、動物に乗って草原の集会に集い、トウモロコシの枝やウイキョウの枝で魔女たちと戦う者の事なの。魔女に勝ったらその年は豊作になったともいわれているわ。まあ、魔女退治の専門家ね。」


「その割には魔女と似た様な事をするのね。その・・・夜中に抜け出て集会に行ったりとか・・」


その言葉にアンナはむう、と頬を膨らませて不貞腐れてしまった。


「皆、そういうのよね。ベナンダンディはあくまで信仰者よ。人を術で殺したりしない。」


そう言って彼女は自分の首元に手を差し入れると、細いチェーンに付けられた信仰の証のネックレスを取り出して見せてくれた。なるほど、純銀製のものだ。だが、それだけでは信頼に値するものでもない。純銀は付けようと思えは付けられる。傍らのヴィオが吐き捨てるように突っかかる。


「しかしそれで異端審問では魔女と混同され、ベナンダンディも多く処刑されたよな。今回の事件も、すぐに現場に来た事といい、関係あるんじゃないの、ベナンダンディ」


「ちょっと!酷い言いがかりよ魔女!」


「いい加減にしろ!!!」


言い争いになりかけていたその時、カインの大声が響き渡り、ビリビリと鼓膜を震わせた。さすがに二人も委縮して身体を固めたようだった。カインは投げ出していた足を今度はゆっくり組み、閉じていた瞳を持ち上げる。


「アンナ。会うのは久しぶりだな」


「え、ええ。そうね。吸血鬼狩りがさかんだった頃に会った位?」


「あの時、お前は診療所の医師だった」


「・・・・・・ええ、そうね。人間に追われて大けがをした貴方を手当てしたのが始めかしら」


「・・・・?」


驚愕に目を見開いていると、アンナはそのすらっとした足をゆっくりと組んでこちらを見つめた。そのほっそりとした唇を弓状に吊り上げて笑う。


「そう。私は意外と年よりなの。ちょっとイケない魔法を使ったら、死ねなくなっちゃってね。そんな時、人間に襲われて瀕死の重傷を負っていた彼を拾って治療したのが彼との出会い。ヴァンパイアが瀕死ってあんまないわよね?ま、私はベナンダンディ。魔術をかけられた者を癒し、死者を垣間見る。ヴァンパイアを治療したのは初めてだったわね。」


「・・・・・言うなよ」


カインが腿に肘をつき、顎に手を置いたまま苦笑してアンナを見やる。それにしては随分と親しそうだ。


「それから半年ほど、私たちはその診療所で一緒に暮らしていた。半年ほどでまた吸血鬼狩りが酷くなったせいか、貴方は消えてしまったわね」


「ああ・・・・」


「あ、貴女の姿はじゃあ・・・ずっとそのままということ?」


引っ掛かりながら彼女に問いかけると、アンナは人さし指をすっと唇の前に立てて涼しげに微笑む。


「そうよ。今幾つかと聞かれても、620歳、までしか覚えていないの。若気の至りだったわねぇ。でもそうじゃない?若い頃ってやたらとヤンチャしたがるの。」


フフフ、と艶っぽく笑って、アンナは楽しそうに笑うばかりだ。なんか調子狂う。
あいかわらず心の中はもやもやしっぱなしだし。底に残るのはもはやコーヒーの残骸だったけれど、勢いよくあおってみる。その苦さが舌をピリピリと痛めつけた。


「ねえ、ルナ―ルナと呼んでもいいかしら。へクセー魔女の事ね。魔女たちの事ならなんでも聞いて頂戴。もしかしたら事件の助けになるかもしれないから。」


「・・・・・・・・・そうね。考えておく。今日はありがとう、ミス・ロッサ」


「アンナでいいわ、ルナ。よろしくね。そろそろおいとましましょう。」

彼女はそのまま立ち上がり、戸口であ、そうだと思いついたようにこちらを振り返る。


「じゃあね・・・またお会いしましょ?月の女神」


「俺が送って来よう。」


「・・・・お願い」


そしてそのままシュン、という音と共に戸口が閉じられる。彼女の姿が見えなくなった瞬間、深い深いため息が灰の中から零れた。













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