―フォリ・ア・ドゥ。2人狂い。

それは体内で彼が住まわせている魂の名前。ドゥが先程までの俺様な口調の人物、そしてこの丁寧な方がトロア。彼らにアンも―1人目もいたらしいがあえて聞くのは止めた。
彼は―彼らは何かの間違いか一つの肉体に二つの魂が入った新人種―カテゴリーゼロのアンノウンだ。つまりは、今の世界では何処にも属さない異種である。彼らの情報収集能力はハイレベルで、これまでに世話になる事がしばしばあった。その対価―彼らが命の源とする精気をこちらが提供する、という契約で。まあ特に意識もしないと自分でもフォリと呼んでいるからどちらもフォリなんだけど。

手に持ったマグを唇に運んでコーヒーで喉を潤し、目を閉じる。フォリの事で話が逸れていたけれど、今はこっちが先決だ。

「つまり貴方達は―ドゥも含めてよ―彼女、マルガリータ・ブラントが祖先の復讐をしたいが為にこの事件を起こしたと言いたいの?」

同じ顔でも全く違った清楚な笑みを浮かべたトロアは、ソファに後ろ手をかけたまま、それに身体を預けて言った。

「・・・・ドゥはそう言うよ。アイツの思考は単調だからね。でも、僕は違う気がする。」

「というと?」

トロアは口元に笑みをたたえ、おもしろそうに目を細めながらこちらを見つめている。

「マルガリータは・・・・発端にすぎないと思うんだ。彼女は自分の血が入らない息子を疎んじていたといったね。それもやはり今回の血筋云々に関わってくるんじゃないのかな。その資料見てみなよ。君の知っての通り、マルガリータとジョンが結婚する前に前妻がビルの屋上から落ちて死んでいる。当時夫だったジョンは事件当時アリバイが確認されて結局事件は事故として片づけられた。警察はしかし、当時のマルガリータまでは調べていなかった。」

「当時の・・・マルガリータ」
「そう、彼女はジョンの行くBarのスタッフだった。彼と会ってからの彼女は少し様子がおかしかったというよ。当時よく彼の事を口にしていたという。彼の息子、ウイリアムが生まれてからBarを辞めた。その後彼の妻が死んだ。彼女に事件当時のアリバイはない。しかし警察は彼女を省いた。」

ニッタリ、と絡みつく様な笑みを張りつけた彼は挑戦的にこちらを見据えた。

「こう考えたらどうだろう。ジョンにただならぬ思いを抱いていたマルガリータ。そして彼を手に入れたマルガリータは今度は前の妻の血筋が残る子供を消し去りたかった。妹は薬に溺れ、そして母は療養ホームで穏やかな死を待ち続けている。身体を毒で蝕まれた状態で」
「・・・・・そんな」

驚きを隠せないルナの瞳は零れおちそうな程に見開いていた。書類に目を落とし、次にマルガリータの項目の少なさに眉を潜めてトロアを見る。

「異端審問官の末裔殺し・・・その前妻もそうだったの・・・?」

トロアは綺麗な笑みを張りつけたまま見つめてくるだけだった。

「いいや。彼女は教誨のシスターの末裔、ジョンは魔術師の家系だった。相容れぬ二人は結ばれるまでは苦悩しただろう。それでも彼らは結ばれ、一男一女をもうけた。さあルナ、どうだい?人が人に何かをしうる可能性としてあり得ない事はないだろう?それはなにも一人に限った事ではないと」

「・・・そうね」

「後、おもしろい資料はそこに全てのっているよ。全部説明してもいいけれど、君は忙しいだろうから。」

「目を通しておくわ」

資料をめくりながら彼の話を聞いて、ルナはハーッと大きなため息をついた。しばらく顔を下げて思考し、再び彼を見上げると、ありがとうと小さな声で礼を言った。

「大分、進めそうだわ」

「君の力になれて何よりだよ。それよりも謝礼が欲しいな・・・・」

カツリ、とフォリの足音が近くに響き、白くそしてほどよい筋肉のついた腕が目の前に伸びて首筋に巻き付いてくる。それは艶めかしく動き、楽園の蛇にも似ていると思った。
ひざまずいたフォリ・ア・トロアが蒼い片目をこちらに向けてくる。深い海の様なダークブルーが触手の様に絡みついて反らす事を許さない。仕方ない、これも仕事だ。カインのキスに傷つく資格など所詮自分にはなかったのだ。なのに何故あんなにも動揺し、許せないと叫んだのだろう。自分だって似た様なものなのに。
ルナはため息をついて両手を相手の頬に伸ばして身をかがめ、フォリ・ア・トロアの唇に自分のそれを口づけた。

「・・・・・・っ・・・・ぅ・・・」

ぴちゃり、ぴちゃりと交わす度艶めかしい水音が嫌が応でも起こる。トロアはいつも目を開けて見てくるから恥ずかしいったらない。
それでも、これも一種の愛なのかもしれないと思う。狂気という愛。愛のない愛のキスでも身体がぞくぞくと反応してしまうのは情けない人間の性だ。トロアはその後2.3度角度を変えて唇を濡らすと、ゆっくりと時間をかけて離していった。恍惚に満ちたその表情は先程より赤みがまして健康的になっている。

「・・・・どんな人間よりも、君の精気を貰う事が何より嬉しいよ。でも今日は考え事が多かったね。男の事?」

「・・・・そうね」

否定しても仕方ないのでその通り言ってやると、彼はそう、と事もなげに言い放っただけだった。

「君の周りの男たちは残念だねえ。僕らの様にこうして君の犬になれば苦しまずにすむものを。高望みが多いんじゃないか?」

「そうみたい」

ふう、と諦めたように息をつくと、ルナは自嘲気味にトロアに笑いかけた。

「・・・まあいいよ。僕らは君の犬。君は僕らの女王様でプリンセスだ。こうして命の源である精気を貰えるだけで少なくとも僕らは幸せの絶頂だよ。・・・ああゴメンルナ、女王様。ドゥが煩くなってきた。・・・仕方ない、お前は引っ込んでろトロア!」 急に彼の瞳が焦げ茶色に戻りドゥが顔を出したのでびっくりして肩を震わせてしまった。そのままギリ、と彼を睨む。
「急に入れ替わるのは止めてっていってるでしょドゥ!」

ルナの怒号も全く意にも介さずドゥは手のひらを顔の前に突き出して苦笑する。

「まあまあ、許せよ女王様。なあそれよりも俺にもくれよ、トロアばっかズルイだろぉ?」

「トロアにやったからいいじゃない」

「気分の問題だよ。いいだろ?俺だって今回働いたんだぜ?哀れな雄犬に餌を恵んでくれよ」

まとわりつく彼の呼気が妙に色っぽい。全くこの二人はどちらかにやればいいって言っているのにいつもこうだ。煩いドゥの唇に噛みつくように唇を重ねる。5秒程で離し、これでいいでしょ、とフン、と息を荒げ見下ろしたら、案の定ドゥはハァ?と不満そうに見上げてきた。
「これっぽちかよ!トロアにはやったくせに!」

「貴様ごときには絞りカスがお似合いなのだ、とルナは言っているんだ」

突如として湧きだした硬質な声音に二人は思わず同時にそちらを振り向いた。途端ドゥがぐ、と詰まった様な声を上げる。そこには首元に刃物の様に研ぎ澄まされた獣の左手を押しあてられたドゥが冷や汗を浮かべ立ちつくしている姿があった。ちっ、と鋭く舌打ちしたドゥは、唸り声を上げ続けている手の主―セイルを力いっぱい睨みつけた。

「人狼の番犬が余計なチャチャ入れんな!俺らにとって精気は源なのを知っているだろうが!」

噛みつかんばかりに吠え上げるドゥを横目に、セイルはあくまで冷静に彼に告げるだけだ。

「だがその精気は一人が取り入れれば良い事も承知している。魂は二人でも、容量は折半で良い事をな。精気は無くなると人を激しく疲労させるのだ。ルナをこれ以上疲労させるというのなら、王に代わって成敗せざるを得ない」
カチ・・・鋭い爪が擦れ合い生々しい音を立てる。張り詰める様な緊張した空気の後、しばらくしてドゥがチッ!と今度は鋭く舌打ちをして傍から離れた。
「分かったよ!ルナ!今度は俺の時にやれよ!いつもトロアばっかには横取りさせねえ!」

「・・・・・分かったわ、フォリ・ア・ドゥ。でももう少し紳士的になって。なら・・考えてあげる」

全く仕方のない男だ。そうセイルが呟いた気がした。そして次にこちらを見ると、ルナ、とこちらを静かに呼んだ。

「あまり彼を煽らない方がいい。あのアンノウンがいかに貴女の犬であっても、所詮は男、狼なのだから」

「・・・・騒ぎを起こしてしまってごめんなさいセイル。」

「・・・・・詫びる事じゃない。言ったでしょう。貴女をいつも見守ると。その言葉は変わらない」

「・・・・・どうして、護ってくれるの」

今までずっと思っていた事だった。出会いは最悪、そしてそのせいでセイルは小指の皮をはがれ、その上から銀の指輪を付けさせられた。それは指を失くしたと同じ事だ。

なのに、何故。

セイルはふ・・・と口元に微笑を浮かべながら言った。

「王が貴女を寵愛しているからですよ。決まっているでしょう。貴女に害なす者はすなわち王を傷つける事同様。俺は王の臣下ですから。後は・・・俺個人の感情にすぎない」

「個人的な感情・・・?」

きょとん、として同じ言葉で聞き返すと、セイルはしまったと言う顔をして左手を向けて顔をそむけ、かすれた声で囁いた。

「・・・否、今のは忘れてください。・・・・口が過ぎました」

その顔は見えないが、耳が少し赤くなっている様な気がした。セイル?と呼びかけてみるが、彼はこちらを振り向いてはくれない。そうこうしていると、隣の方からやれやれ・・・と疲れ切った声がため息をついた。

「・・・・・・セイル=ウォルディか。やれやれ、よっぽどウブなのかね。その様子じゃ僕たちの摂取の様子も見られたもんじゃないだろうに。それにしても悪かったよ、ルナ。アイツはヤキモチ焼きなんだ。邪険にしないでおくれ。」

「分かった・・・次はドゥにしてあげる。でも少し躾ておいてよね」

「女王の命とあらば」

胸の前で右手を伸ばし、訓練された騎士の様にひざまずくトロアの耳元で囁き、驚いた蒼い瞳が瞬間にしてこげ茶色に代わる。その瞬間にルナは唇を重ね、彼の息を止める程に吸うと、これでいいでしょ、とその片目を見つめた。大きく見開かれた瞳が恍惚の色に染まる。

「これで帰るわね。こちらもちょっとヤキモチ焼きな吸血鬼を二匹待たせているの。資料ありがたく読ませて貰うわ・・」

そして鈍い音を立ててしまった入口の扉をぼうと見つめ、フォリ・ア・ドゥは恍惚の表情でゆっくりと呟くのだった。

「ルナ・・・やっぱお前は俺らの女神だよ・・・イイ女だ」








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