ルナはその部屋の前に立って、酷く重い気持ちになった。盛大にため息をつく。腐食云々も考えて作られた地下の遺体安置所、通称カタコンベ。
廊下の辺りからその周辺は死の匂いがこびり付いている。入り組んだ地下の片隅に追いやられたその部屋は相も変わらず地味な作りで自分を迎えてくれていた。扉の向こうの人物にはそんなに会いたくなかったのだけれど、四の五の言っていられない。 人間的には・・・嫌な人物ではない。ちょっと難のある人ってだけで。
入場許可書カードを入口のセンサーにかざし、ピピッとそれが軽快な音を立てると同時に目の前の扉がシュン、と音を立てて開く。深呼吸をひとつしてから、足を一歩踏み出した。

「入るわよ」

一声中に掛けるが、淡い緑を基調とした部屋は何故か死の様に静まり返っていた。おかしい。眉を潜め、さらに奥深くに入り、おーいと声をかけると、ようやくコツコツと荒っぽい靴音が奥の方からこちらに近づいてくる音が聞こえてきた。やっと来たか。やがてバタバタと慌ただしい音と、大柄な影と共にやたらと太い声が彼女の前に響く。

「やっだ!ルナじゃない!やだ!」

何がやだなんだこの野郎。あらゆる悪態は取りあえず心の奥底に閉まっておく事にした。そして遺体たちの眠っている棺に見立てた四角い入れ物が並んだ廊下を恍惚と、まるで女王様の威厳を持ったまなざしで見つめながら、そこの番人である彼はそしてゆっくりとルナの方を見返した。
金色の緩やかに波打つミディアムヘア、滑らかな肌。
髪は―今は後ろに一括りにしているが、その美しさはまるで目を見張るものがある。周りの女がむしゃぶりつきたくなるほどの綺麗な鎖骨を黒のドレープカットソーから覗かせているその人物は、それこそそこら辺の女が目の前で服を脱ぎだしたくなる美人なのに、本人はあまり身支度にこだわる方ではないせいか、いつも薄汚れた白衣を着ていた。ヒールの高いエナメルサンダルが妖しく光り、高身長なその人を余計に目立たせている。
唇をゆったりと弓状に吊り上げ、彼は―その美貌にそぐわぬ野太い声でルナをがばりと背中から抱きしめた。

「三日ぶり―ルナー!会いたかったわマイスィーティー!!」

「ちょ、殯(もがり)!?重いったら」

「いいじゃなーい!減るもんじゃないんだぁから」

「全く・・・」

彼は口調とその美貌のギャップさえなければ良い女・・・イヤ、男だ。殯(もがり)=サラフィアはその大きく見開いたローズグレイの瞳を爛々とこちらに向けながら、しっかりとこちらの右腕をホールドしていた。

「今日は?どのアタシのお客さんとご対面したぁいの?かわいいルナちゃん?このアタシに言ってごらんなさいな」

「・・・この間の妖精さんよ、オンディーヌ。水に還って魂をなくしてしまったけれど、身体はあるでしょう?ご対面させて」

「ん、ああ。あの子ね。オッケー。今準備するから待っててね」

すぐまたやってくるのにBye!と手を振って部屋の奥へと消えていく彼を、ルナはため息をついて見送り、傍にあったスチール製のイスを引き寄せて腰を降ろした。
周りを見渡せば、教室の椅子に行儀よく座っている生徒よろしく整然と並ぶ棺たちが眠りを妨げた自分をじっと非難しているかのように冷たい空気を送り込んできた。
死臭のこびりつくその部屋で、そしてルナは目の前の死体に静かに目を閉じた。
前回の事件現場では色々―そう、イロイロありすぎて遺体から映像を読み取る事を忘れてしまっていた。前回の指締めサンは目隠しをされていたのか大した情報を得る事は出来なかった。
無意識にゆっくりと足を組みかえると、ギシリとイスが低めの悲鳴を上げた。

「・・・・水の妖精さんは・・・うまい事語ってくれるかしら」

「それは神のみぞ知る、ねえ?」

降りかかってきた声に顔を上げると、戸口の方でモガリが左手を扉に掛けて微笑んでいた。仕事は早いのは流石なところだ。視線が合うと彼はうふ、とほほ笑んで、ただ黙って右手でこちらをおいでおいでと招き入れた。







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「女の子にはねえ、準備が必要ですものね、それは死んだって同じなのよ。」

部屋と部屋をまたいだ細い通路を歩きながら、モガリが楽しそうに言った。相変わらず通路には荷物があちこちに置いてある。この大柄な男がよくこんな道を通れるものだ。

「そうね」

「貴女は死んだらフリルいっぱいのドレスと匂い立つ青いローズで飾って綺麗にメイクしてあげるわ。うふ、楽しいでしょうね。女の子の準備ってホントステキ。ああでも貴女はアレね、死蝋化させて永久にアタシの部屋に置いとくのもありかしら」

「それはモガリ、私に早く死ねって仰っているのかしら?」

そう言ったらやあねえ!と上品にほほ笑んだ彼に力任せにバチン!!と力任せにぶったたかれて思わず咽た。あらやだごめんなさい、と綺麗に笑う声が聞こえたが、恨みはツケにしといてやろう。ひりひり痛む背中をさすり、ルナはじとっとモガリを見つめた。

「・・・・で、妖精さんは」

「ああ、こっちよ。お待たせして御免ね」


そう言ってモガリは目の前の小さな個室の扉を指差し、傍にあった開閉ボタンを押して扉を開けてルナを中に誘導した。中に入ると中央に身体に布を掛けられた女性の姿がある。後からドアをくぐる様にして―兎に角彼は背が高いのだ―入ってきたモガリはどこか悲しそうな眼差しを水からその瞳を持ち上がる事の出来ない彼女に向け、短くなってしまった髪の毛をそっと撫ぜた。

「・・・・可哀そうだわ。髪は女の命だって言うのに、殺された挙句にこんな無造作に髪の毛を切られてしまうだなんて。だから・・・せめて最期は綺麗にメイクしてあげたの。女の子はいくつになっても綺麗でいるべきなのよ。お婆ちゃんになってしわくちゃになっても女はいつまでも美しくあるべきなのよ。それが早かれ遅かれ、ね。死ぬ時だって女でいさせてあげたいわ。」

「そう。それがいいわ。皆のオンディーヌだったのだから、最期くらいは綺麗な姿で水に還してあげたいものね。」

ありがとう、とモガリに微笑みかけると、モガリはいいのよ、と苦笑交じりに笑った。
「それより、彼女に用があったんでしょ?早く事件を解決して、彼女を苦しみから救ってあげてね。他の被害者もね」

「勿論よ、モガリ」

冷たい水の様な身体になってしまったオンディーヌの前に立ち、ルナは全身の細胞を震わせて集中し始めた。現実の意識がボウと薄らいでいき、彼女の最期を探り始める・・・・








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