とぷん、とまるで水の中に入るかのように静かに意識の身体を鎮め、そこにある記憶の欠片に手を伸ばしていく。いつもならもう見えてくるはず・・・


―闇。


(・・・え・・・)

―黒いシェルターを掛けたようなそれは、闇だった。

(どういう・・・事?これではまるで・・・)

や、みだけ。闇闇闇ヤミ闇ヤミ闇ヤミやみあああああああ!

(のま・・・れる・・・!・・・)

口を金魚の様にパクパクと動かして酸素をありったけ取り入れ、意識を取り戻そうとするが闇が触手をがんがんとこちらの意識に伸ばしてくる。これは・・・一体!?

(ちが・・う・・・これは違う!・・・)

ルナは首をイヤイヤと振り、その闇に必死に抵抗を試みる。ねっとりとした粘着質な空気をまとっているその『黒』は、あらがうこちらを嘲笑うように近づいてくる。これでは・・・いけない!
慌てて水上に手を伸ばし―

「ルナ!!」


―ハ・・・・・

次の瞬間、意識は自分の中に戻り、ブレていた視界がようやく輪郭を取り戻すと、脳みそがゆっくりと現実を認識し始める。いつのまにか膝をついていたらしい。左腕をぎしりとした力が込められていたので視線を上げると、モガリが焦った表情でこちらを見下ろしていた。 呂律の回らない口で、よたよたと言葉を発する。

「も・・・が・・・り・・・?」

その瞬間額からポタリと汗が零れ、光沢のある合成樹脂の床にぱたた、と静かに落ちた。それをぼんやりと見つめ、またモガリを見返す。相変わらず心配そうな彼を見て、大丈夫、とやっとの事で笑う事が出来た。

「大丈夫、じゃないわよ!アナタ今確実に飲み込まれかけてたわよ!」

「ちょっと・・ね。モガリが呼んでくれたお陰で何とか戻ってきた・・ありがとう・・・」

「全く・・・ちょっと隣で休みましょ。いくら私が素人だからって貴女の今の状態位分かるわ、シンドイでしょ。そこでゆっくり話そうじゃない。」

「ん・・・」

モガリに腕を掴まれたまま立ち上がり、ありがたい事に体重まで預けさせてくれて歩かせてくれた。よたよたと導かれるままに歩いて、学校の保健室の様な所に連れてこられるとその真ん中にある背筋の広がったラウンジチェアに割れ物のように座らせられる。ちょっと待ってて、と言われて彼が姿を消し、しばらくするとマグカップを片手にこちらにやって来て、はい、とそれを渡された。

「彼女を納めついでに作ってきたわ。ココア、飲めるでしょ?」

「・・・・コーヒーが良かった・・」

「馬鹿言うんじゃないわこの小娘。イキナリ毒薬飲み込めっていうのと同じ事を。いいから黙って飲みなさい」

ち、こう言う時だけ年上ぶるんだから。ココアをしぶしぶ口に運びながら、ルナはそっとモガリを見上げた。モガリはこちらの様子に満足すると、壁際にあったデスクの傍のVIPチェアーに足を組んで同じ飲み物を飲んでいた。ああそう言えば甘党だったっけこの男。
しばらくそのモガリ好みの下を刺す様な甘ったるいココアと格闘していると、それまで黙ったままだったモガリがねえ、とマグを置いて口を開いた。

「ナニ≠、見たの?」


すう、と息を吸い、ゆっくりと吐き、沈んでいた記憶を呼び起こして整理をしていく。

「闇。ただ一点の、闇。それが一斉に襲いかかってきた」

「闇、ねえ。・・・そんな現象今までに見た事は?」

今まで全てを思い出せる訳ではないが、記憶にある限りを思い出そうと試みるが、・・・

「・・・・いや、・・・ない事もない。」

「?・・・どういう事よ」

途端、それまで背もたれにもたれていたモガリはぎしりと音を立てて身を乗り出してくる。それを見ながら、ルナはようやく半分になったココアをそっと前のローデスクに置いた。考えて、ようやく思い当たった事を口にする。

「術が掛けられている記憶は、今みたいなのに似ている気がするの。・・・生きた人だったけれどね。」

「術・・・なるほどねえ。するとあれかしら、死ぬ前に術を掛けられていたって事?」

男特有の骨ばった手を滑らかに動かし、人差し指をこちらに向けた状態でモガリが問う。うん、と首を縦に降ろし、肯定の意を示す。

「可能性としてはある。まあでも・・私が生きている人を読んだ時・・・大分昔の話だから。その時はけっこう今よりも飲まれちゃって復帰に結構時間かかったりしたから、確実にそうとは言えないわ。・・・とどのつまりは、若かったの」

「ナニよ今も十分若いくせに」

「突っ込むのはそこじゃないでしょ。ったく」

そんな自分の悪態にもモガリは何故か赤面しながら突っ込むなんてイヤだルナちゃんイヤらしい馬鹿!とか言っている。そんな想像が浮かぶそっちの方がイヤらしいわ、とかは言わないでおく。そのままわざとらしくううん、と咳をして彼の視線をこちらに向けさせ、兎に角、と改めて話を切り出した。

「モガリ、ウィッチドクター・・・呪医の知り合いを知らない?」

ウィッチドクター、呪医。ジュジュマン、オペアマン、ルートドクター、コンジュア・マン、リーフドクターなどとも呼ばれる。
その名前の通り、呪医は魔女が引き起こしたとされる病を治療する。毒と術に精通し、司祭と医師を兼任している者もいると聞く。

ルナのセリフに、モガリは一瞬怪訝そうな顔をした後、すぐに彼女の言わんとしている事が分かったようだった。

「呪医?・・・ああ、そう言う事。たしかに魔術とか術を掛けられたのだったらそれ系に診てもらった方がいいわよね。でもルナ、あいにくと私にはそれ系の知り合いはいないのよ。それなら貴女の方が専門でしょ?・・・んんもう!分かったってば、そんな顔しないで・・まあいいわ、探してみる」

「頼むわ。私そう言われてもツテあんまりないし、事件に集中したいの。」

お願いね、と微笑みかけると、モガリは、ん、オッケとはにかみながら答えてくれた。彼なら多少当てにしてもいいだろう。それから彼は足を組み代え、再び背もたれにもたれかかると、フーッと長いため息をついた。


「・・・しかし、魔女ねえ。アタシ犯人はそんな複雑に人を殺していないと思うのよねぇ。」

うーんと顎に手を当て、悩む仕草をしながらモガリはおもむろにそう口を開いた。








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