「そういえばさ」
オフィスのチェアに腰掛け、PCを操っていたヴィオが急に顔を上げてこちらを見上げた。彼のPCの周りにも大量の魔女関係の資料が積み上がっている。
そろそろ事件の関係の方向を魔女から離さないといけないのか。それともまだしつこく喰らい付いてみるか。うろうろと迷っている自分を余所に探ってくれているのを大変申し訳なく思っていた。
捜査資料を漁っていた手を一瞬止め、なに、と視線のみをヴィオの方に向ける。
「香水で思い出したんだけど、この世には幻の香水が在るっていう話をどこかの異種から昔聞いた事があるんだ。誰だったか忘れたけども」
「幻の香水?」
ルナが首を傾げると、ヴィオは少し口元を歪めて似合わない苦笑を浮かべる。
「根も葉もないけどね。七つの大罪を元に作られた物だって言われてる。それに見合う者を見いだしたら永久的に送り続けてくれるらしい、って噂」
全然関係ないけどね、と首をすくめておどけてみせる。それを聞いてルナは情けばかりの相槌を打ちながら、再び作業へと入る事にした。
「パヒューマー達の間ではさ、結構有名な話で、それを手に入れた者は最高の名誉を手に入れるとか、或いはとことんその罪に溺れるとかって眉唾物な噂が飛び交ってんだ。
匂いとかもシークレットだから、たとえ誰かがそれを付けていても気がつかない。ただ、大罪のパヒュームを持つ同士は互いをその罪の名で呼ぶ決まりがあるらしい。それが目印なんだろうね」
「・・・まるで今回の香水みたい。犯人しか知らない香水、否、知っている人が嗅げば知っているのかもしれないけど」
「今回のメンバーはそれ関係はまるで疎かったのが難点だな」
「唯一の紅一点のルナでさえ無関心だったしねー」
「ちょっとヴィオ!それどういう意味よ!」
確かにそっちの方には疎いけども!バン!とその場にあったデスクをぶったたいてヴィオを睨みあげて歩み寄ると、ヴィオがちょ、ルナ!?と慌てた様に両手を上に上げて降参のポーズをとり後ずさった。
「悪かったって、言葉の文だよ、あ・や」
「もう!・・・ああ、資料が・・」
怒りにまかせてぶっ叩いたせいでデスクから大量に資料が落ちてしまった。もう、最悪。ブツブツ言いながら床に扇のごとく広がったそれを丁寧に拾っていく。
「・・・俺も拾う」
カインが途中の作業の手を止めて歩み寄ってきた。ありがとう、と礼を言って拾う作業に戻る。それを見たヴィオもゴメン、と罰が悪そうな顔をして同じように作業を手伝い始めた。
なんだか結局自分が一番悪者じゃない。少し己に呆れ、小さなため息をつく。と、紙の間から覗く一枚の紙に目が行った。何故かは分からない、ちょっとした瞬間に垣間見る動物の本能みたいな物だった。ゆっくりとそれを摘みあげ、持ち上げる。
「これ・・・・」
それは少し前にフォリ・ア・ドゥから貰った資料の一部だった。フォリのあの一件があってから無意識的にそれを避けていたのだろうか。奥に仕舞いこんでいた傷がつき、と痛む。それを敢えて無視して書いてある事に改めて眼を通し始めた。それを読みながら、自分の中でグルグルと単語が廻り、答えを求めていく。
「・・・・そうだ、なんで忘れていたんだろう」
彼は言っていたではないか。そして彼も言っていたではないか。その資料を握りしめ、一心にその一点を見つめている。くしゃ、と紙が音を立てた。
「人が人を殺す理由を持つのは1人だけではない・・・・」
「ルナ?何か掴んだのか」
その様子に気がついたカインが訝しげに問いかけてきた。声に反応する様に、顔をゆっくりとカインの方向に持ち上げる。その大きな黒瞳を震わせた表情はおびえの様に愕然としていた。
「カイン・・・!」
彼女は神に祝福された女性だった。
そんな女性に廻り合せてくれた神に最初は深く感謝した。この自分には勿体ない位の女性。どうしようもなく愚かな自分をとても愛してくれる彼女は、私にとって癒しだった。かけがえだった。離したくはなかった。
そんな自分から、ある日神は彼女を奪った。
もともとそんなに身体が丈夫ではなかった彼女はその日何度目かの入院をしていた。見舞いに行った自分が見たのは、空っぽの彼女のベッドだった。
探して探して、見つけたのはその屋上。柵に手を掛けた彼女は哀しげにこちらを見つめてきた。
―貴方、彼女と寝たのね。彼女が好きだったの。
―私を愚かな女と思って、付き合っていたの?
―信じてたのに。
―愛してたのに。
―許さない。許さない。でもただでは離さない。・・・・・・てやるの。
―サヨウナラ。
呼びとめる間もなく、彼女の体は宙に舞った。そのか弱気身がどうしてそんな気を持っていたのかと思う程だった。その光景は今もこの網膜からこびり付いては消えてくれない。病院の地面に落ちた彼女からは大量の血がこぼれ、それはまるで花のように彼女を朱に染め上げていた。
その瞬間から自分の時は止まってしまったのだった。
彼女と寝た?馬鹿な、そんな事あるはずがない。自分には君しか見えていなかったというのに、どうしてそんな事があろう。どこからそんな噂が。思い出して、そんな事をしでかす輩に心当たりがあった。
―彼女。
あの子が吹き込んだのか。
許さない。許さない許さない。許さない許さない。
外面の良い振りをしてあの人に近付いて、別れさせようとした?この自分と、あの人との関係を引き裂こうとしたのか。
―許さない。
それでも、ただ殺す事はしないでおこう。それ相応な、盛大な復讐劇を考えてやる。あの人に捧げる為の盛大な悲劇を、喜劇を。
そして自分の長い長い年月が始まったのだった。じりじりと追い詰めてやろう。その犯人が自分と分からぬ様に、じりじりと。
それを殺し、それをもって私は神に対して怒りその贄を押しつけよう。それが私の罪ならば甘んじて受けよう。この大罪は私の物だ。
―この思いだけは、私だけの罪だ。
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