3人も乗っている筈なのに、車の中には唯沈黙だけが反響していた。その中に車のかき鳴らす静かな騒音がカアアアア・・・・と響く。
車を運転しながら、脇のPCをちらりと見てルナは焦燥に何度目かになるため息を零した。そして強く強く願っていた。

「・・・間に合って!どうか・・・」

祈りの様に呟いた言葉を隣に座っていたカインがああ、と低い滑らかな声で持って拾って答えてくれた。

「・・・・俺だって少し考えなければ分からなかった。調べたのはルナだ。嗚呼、二人狂いは読みの途中気が付いて消されたんだな。この世界にもうない事実を彼らは知ったから、だから」

「・・・・・もう言わないで」

うなされる様に頭を振り、ルナがそれを拒絶する。本当はいけないと分かっていながら、今だけは前に集中していたかった。自分がもっと早くに気が付いていれば、彼は消えずにすんだかもなんて、それこそ今さらだ。何だかんだで負い目を感じているのだ。トロアからドゥを奪ったのは自分だ・・・思い出して唇を噛みしめる。すると後ろでポケットPCを見つめていたヴィオが突然跳ねた様な声を上げた。

「ルナ!連絡来た!やっぱりもう母親は手遅れだった。夜中にベッドの中で血を吐いて死んでたらしい。なにかしらの魔法陣と、狼男が何かの香水みたいな匂いを感じたって」

「そう・・・ありがとう。・・・」

ハンドルを切り、カーブを曲がる。切ない様な、物悲しい感情が自分の中を占めていた。

「・・・一人はただ焦がれ、手に入れようとしていた。その方法は非道であったにせよ、咎を受ける物であったにせよ、復讐というもので終わらせてはいけない・・・いけないのよ・・・」

もっと早くに気が付いてくれればよかったのに。その手を朱に染めて染めて染みがこびり付き取れなくなってしまうと、人はその匂いに狂わされ、愚かさに気がつかなくなってしまうのだ・・・・

(・・・・現に、この自分の手も真っ赤なのだ・・)

気がつかせてあげたかった、せめて。人間とは斯様にも悲しい生き物だというのか。
感情に振りまわされ、弄ばれ、その意識はここまで人を駆り立てるのか。

「・・・止める。こんどこそ、止める」

その意思を強く口にして、視界をわずかにずらしたその瞬間、反対車線からの黒塗りの車のライトの眩しさに目を細めた。それはスローモーションの様に互いの車がすれ違った時だった。その乗用車の運転手がわすかにこちらを見た。そして、その口元にわずかな笑みを浮かべた。ルナの瞳が驚愕に大きく見開かれる。

(・・・・!)

一瞬の出来事だった。それでもハンドルを握る手が震えているのに気がつく。動揺が隠せていない。必死に腕に力を込め、言う事を聞かせようとする。今はそれどころではないのだ。

(・・・・・それどころじゃない)

頭に過る先程の映像を振り切って、今度こそアクセルを力一杯踏み込んだ。





彼女が目を覚ますと、何故か自分の身体が木に縛り付けられているのが分かった。何故?!訳も分からない現状に途端に頭がパニックを起こした。なんで?!なんでなんで?!逃れたくて必死に身体を動かした。だが腕を持ち上げようとするたびに縛り付けている縄がぎしぎしと手首に喰い込んでくる。なんで、誰か、助けてー

「気がついたかい、マルガリータ」

耳に馴染んだ声が彼女に聞こえた。パラ・・とページを繰る音が聞こえ、そしてパタン、と質量のある音が響いたと思うとこちらをあの瞳が見つめてきていた。彼女は酷く驚いた後、乾燥に張り付いた喉を必死に動かして声を出す。

「どう・・・して」

声にならない声で、必死に叫ぶ。酸素を取り入れた瞬間、鼻腔に草木の香りが飛び込んで来た。ここは・・・森?視線を巡らせば少し先に教会の様な物が見えた。そうしていると下の方で呆れた様なため息が零れた音がする。思わずその先を見た。

「どうして・・・ジョン!」

「・・・・・どうして?」

途端、伏せられていた瞳の奥から酷く冷酷な視線がこちらを仰ぎ見た。その冷たさに思わずひっ、と喉から引きつった様な音が出る。彼はージョンはそのままコツリ、と音を立てて一歩踏み出すと、再びその視線でこちらを見上げた。

「私がずっと君に惚れていたとでも思っていたの。だから結婚したとでも?」

「どう・・・いう」

「惚けるな」

ジョンが足元にある木の枝を踏んだらしく、パキリと音が響く。

「私の心はずっとあの人の物だよ。神に祝福された者、あの人だけだ」

「・・・・あの・・こ」

「やっと口にした。少しでも後悔はあるのかな?マルガリータ、君が15年前にしでかした事、忘れたなんて言わせない。あの人に根も葉もない事を吹き込んで、あの人を自殺に追いやったその事実を。」

パキリ。また枝を踏みしだく音。冷酷な視線が喉元を締め上げてくる。震える声しか出ない。

「貴方と別れてくれるだけで良かった・・・自殺するなんて思ってなかった!」

「・・・・そんな理由か。やはり、愚かな。何かしらの懺悔でも吐いてくれるものと思ったが、杞憂に終わった様だ。もういい。今更何を聞いたって遅い」

そう言って傍らにあった松明を一本取りあげる。まだそこに燃え盛っている炎を見て、自分に迫りくる状態を即座に理解した。この人は―長年連れ添って、愛していたと思っていた人が、その火で私を火あぶりにしようとしている。ショックと悲しみに涙があふれ出す。視界がぶれ、涙が頬をぐしゃぐしゃに汚す。嗚咽が咆哮になって飛び出した。

「信じてたのに!ずっと、愛してたのに!違うっていうの、積み重ねた年月も嘘だって言うの!助けて!助けてジョン!許して・・・」

「・・・同じ事を、あの人も言っていた。信じていた、愛していたのに、どうして、と。分かったか、これであの人の苦しみが。悲しみが」

そしてジョンの持つ松明がマルガリータを縛り付けている木の下に敷かれた薪に近付くー

「そこまでよ、ジョン=ブラント。・・・・この連続殺人事件の犯人さん」

闇を切り裂く様に真っ直ぐな女の声がワアアン、と鼓膜に響き渡った。
その声にぴくり、と眉を動かしたと思うと、次の瞬間に彼の横にヴィオが立ち、ジョンが振り向く間も与えずにその手から松明をもぎ取った。

「くっ・・・!」

「チェックメイトだよ、おっさん」

ジョンの顔を意地悪い笑みで見つめながらヴィオが言い放つ。カインがルナの後ろに立ち、静かにジョンを見つめていた。しかし、そのような劣勢の立場に追い込まれながらもジョンの瞳は決してその冷静さを欠いてはいない事に気づく。その瞳がすう、と持ち上がると、次の瞬間にはその顔に氷の様な笑みが張り付いていた。

「・・・自分的には遅すぎだ、と嘲笑いたいところだ、かわいらしいお嬢さん。あらゆる所にヒントは転がっていたのだ。それを見落としていたお嬢さん、この私を見つけたのは称賛に値するが、その時点ではお嬢さん、君の敗北だ」

「・・・それが数多の人間を殺した者の懺悔か。さもしいな、愚かはどちらだと言うのだ、魔術師」

カインが紫電の瞳に赤を混じらせて低く唸る。案の定、そんな脅しも目の前の彼には通用しないようだ。冷静な眼差しがこちらに向けられたまま、その薄い唇が弓状につり上がる。

「愚か、か。おおよそ人間らしいヴァンパイアの意見だ。しかしね紫電の瞳のヴァンパイア、その言葉はもはや私にとっては称賛なんだよ。私はもう」

そこで区切ったジョンは大きく息を吸うと、意志の強い眼差しでこちらを睨みつけた。

「神に反逆した―異端者なのだから」




沈黙がその場所を支配した。冷たい風が肌を撫ぜ、通り過ぎていく。長く続いたその沈黙を破ったのは、他ならぬルナだった。

「・・・・確かに、私は貴方が残していた証拠に気がつかなかった。気がつかせたのは、貴方が脅し、共犯者にしていたルナルド=シオンだった。彼は部屋に結界を施して証拠を隠していた。・・・ラテン語の辞書、そして―貴方の部屋にあったものと同じ女性の複製画」

「・・・・ふ、やはりな。ヤツめ、複製していたか。小物だと思って見逃していれば、許されない事を。・・・・・」

「だがヤツが死に際に残したReprio Bice(リぺーリオ ビーチェ)≠ニいう言葉で、貴方に辿りつけた。ヤツの魔女の力はどうやら本物だったようだ」

「Reprio Bice(リぺーリオ ビーチェ)・・・」

「そうだ」

カインがルナの隣に立ち、見つめてくるジョンをまたギロリとした眼差しで以て返す。

「Biceはベアトリーチェの略称。そしてこの事件の中で被害者、その親族を調べてベアトリーチェの名を持つ者はいない。だけど、私の犬がもうこの世にはない情報を持ってきてくれてね。15年前に転落死した貴方の前妻・・・そしてその死を待たずして貴方は結婚した。当時貴方の務めるバーに来ていた彼女・・・マルガリータ・ブラントと。・・・ごめんなさいマルガリータ、今降ろしてあげる。カイン」

「承知した」

カインがそう頷くと次の瞬間にカインは十字架に磔にされたマルガリータの元に辿りつき、ヴァンパイア本来の力―跳躍力を使いこなし彼女の手首と足に巻かれた縄を上手く断ち切って落下する彼女を抱きとめ、その場に降ろした。
それを見届けてルナは再び目の前のジョンに向き直るとそっと唇を開き話を再開した。

「・・・最初私は前妻を失った悲しみを癒そうと早めの結婚に踏み切ったと思った。でも違うわね。貴方の前妻は自分から飛び降りた。その前に彼女は貴方に隠れてマルガリータになんども会っている。隠れて、は語弊があるかもしれないけれど」

「それを聞いて俺達は考えた。マルガリータに別れを迫られた彼女は貴方を疑ったのではないか。そしてもともと身体の弱かった彼女はマルガリータに責められる苦悩と実際のジレンマに苦しんだのではないか」

「・・・・・そうだ。彼女はマルガリータに、この私が本当に愛しているのは自分だと言ったらしい。故に分かれろと。そして身動きの取れない彼女は追い詰められー飛び降りた」

そう言ってジョンは思いだした様に瞳を閉じ、考えにふける仕草を取った。
ルナはある程度の沈黙の後、再びゆっくりと口を開いた。

「そう、その前妻の名が、ウィアトリークス=チェンチ。ベアトリーチェという人名の由来となったものね。ベアトリーチェは神に祝福されし者≠フ意を持つ。貴方が持つあの女性の画は魔女ではない、あれは貴方が描いたウィアトリークスね。貰ったなんて言って」

「・・・誰にも知られない様にする良い言い訳だと思った」

「聞かせて。唯一殺されたオンディーヌ。彼女は一体何故殺したの・・・あの悪質な魔術・・・そしてあの香水の香りは」

ルナが問うと、ジョンは少し考える様な間を取った後にゆっくりと口を開く。

「・・・彼女には殺しを見られた。だから殺した。ベルナールを殺したのは私、ああ、学校のプールに沈んでいたアレはシオンがやった。彼女に見られたのはシオンだったが。だから・・」

「ベルナールを殺した」

カインが静かにそれだけを言うと、ジョンが黙って首を縦に降ろす。

「彼女に罪はないが、死んでもらった。私の力はどうも先祖返り並みらしい。彼女にはその時の記憶が残っているから魔術で消した。君が居たのは知っていたから、少々質の悪い物を植え付けたが。香水の匂いは。あれは、少々特殊なものだよ」

「・・・・?」

「お前、マルガリータの母親も魔術で殺したな」

ヴィオがすぐさま横からその事を聞いてきた。その事実にマルガリータが目を剥いて青ざめる。ジョンは頷くが、まるで興味がない、と言った感じでどこかうわの空で呟く様に言った。

「・・・もう、殺す為に殺すと決めた。・・・・神聖喜劇『神曲』でダンテを導く、ダンテにとって彼女が神聖化された存在であったように、私にとっても彼女は神聖なものだった。だから、許す事は出来なかった。出来ない」

がくり、と顔を落としたジョンの方をルナは見つめた。その気持ちを分かる事は出来ない。彼女を神聖化していたあまりにその喪失があまりに大きかった。

「それで貴方は、・・・マルガリータを「殺す」為に他人を「殺した」?・・・」

ルナが問いかけ直すと、ジョンは少しずつその思いを言葉にして吐露していった。

「・・・彼女が魔女の家系ではある事は結婚して分かった。だからあえて魔女を殺していた異端審問官の末裔を最初に選んだ。魔女を狙っている事を真っ先に知られてはいけないと」

「でも・・・なぜ息子まで殺したの」

「・・・・・自殺だ。あの子は、私が行った時にはもう、死んでいたのだよ」

その時の事を思い出したのか、ジョンはまた苦しそうな声を上げた。










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