その事実に一番驚いたのは問いを投げたルナ自身だ。
「何ですって!じゃああの記憶は何なの!」
「魔術で作った。それくらいは私にも出来る。その頃の君はよもや魔術が絡もうなんて思ってもみなかったろう」
そう言って感情のない瞳でこちらを見上げた。その言葉にぐうの音も出ない。そのとおりだったから、確かに魔術の気配すら探っていなかった。
「・・・だから最初にした。火あぶりにしたのは、せめてもの浄化のつもりだ。この世の穢れ、悲しみ、全てを過度なまでに背負ってしまったあの子を浄化する為」
「・・・ふざけるなよ。何が浄化だ。肉体より精神の方が尊い宗派か」
ぎり・・・と歯を噛みしめたカインが呻くように囁いた。ルナはジョンの瞳をじっと見る。迷いのない瞳だった。穢れないその眼差しは、それが正義だと信じている。
「言うがいい。もう私はこの世で彼女に会えない。彼女も、私には会えない。なら・・・」
ぼぅ!!
その途端朱の炎がジョンの身体中を包んだ。しまった!思わず心の中でそう叫んで駆け寄ろうとしたが、しかしもう炎の熱で彼に近付くことすらできない。直ぐにその場から離れ、距離を取った。
炎に包まれながらも彼はその顔を歪める事なく微笑んでいる。
じくじくと肉の焦げる匂いがする。その臭気にくらくらと眩暈がしてくる。何故、何故。たまった思いが叫びとなって口から飛び出す。
「どうして・・・!どうしてなのよ!!」
炎の煙が目に染みて生理的に涙がボロボロと零れ出す。頬を伝う涙の感触を感じながら、ルナは叫ぶ事を止められなかった。ジョンがバチバチと音を立てる炎に顔を少ししかめた。
「・・・・鎮まれ、・・・呪われた狼・・・お前は自分の・・怒りで自分を内から焼きつくすがいい・・・お嬢さん・・・最後に良い事をおしえ・・・てあげよ・・う・・・・・先程の・・・香水の話だが・・・ね・・・・七つの大罪を模した香水、なのだ・・」
「七つの・・・大罪・・・?」
そう言えば何処かで聞いた。あれはどこでだっけ。彷徨う思考を追いかけていると、後ろに居たヴィオが世にも恐ろしい物を見たというような顔で叫んだ。
「あの七つの大罪の香水・・・!じゃあアンタは・・・所有者だってのか!」
それを聞くと炎の中でジョンが満足そうに笑う。
「私は・・・七つの大罪・・・・「ira(イラ)」・・・神に対して怒る、「憤怒」だ・・・その役目を果たせぬなら・・・こうして死ぬしかない・・・」
「ジョン!!」
とうとう痛みに耐えかねたその身体が崩れ落ちた。炎が静かにその肌を舐めつくし、熱き腕で包み込んでいく。
「・・・どっちにしても・・・死ぬしか・・・ない・・・、嗚呼、女神が・・・君が忘れたと言うのでないならば、僕の魂を、どうか少しでも良い、その・・・歌で、慰めてくれ・・・僕の魂・・・は僕の・・・肉体と・・ともに・・・ここ・・へき・・・た。・・・それだけに・・・疲れ・・・が・・いっそ・・・こた・・・える・・」
その囁きが、彼の最期の言葉だった。
・
思念の行き交う波の中で、目を覚ました。その世界はひそひそ、ひそひそと囁き合う人々の噂話の声の様に似ている。最初はわずわらしかったものの、今はそれもとうに慣れた。
―iraが死んだぞ。
―この世で己の運命も果たせぬまま、死んでいったらしい。
―愚かね。とても愚か。
そう言って送れば、ある声は嘲る様に笑った。
―否?ある意味半分は達成していたのではないかい?iraは憤怒で殺し続けた。なら、本命も直に殺すよ。
その物言いに含む所があるのを読み取って、その疑問をぶつける。
―彼はもう死んだわ?
その途端、他方からクスクス、クスクスと小さく笑う声が響き渡ったので思わず眉根を寄せ―現実の動作を思わず意識の中でもそう形容してしまうのだ―ギロリと周りを見渡した。
―何が可笑しい?
すると、その内の一つの声が笑いを堪えながら言葉を送ってきた。
―だって、ねえ。『ira』は魔術師だぜ。
―如何にも。『憤怒』を纏った魔術師だ。
―ならば、その最期もきっと、『憤怒』で飾る。だろう?
そう言われて、はたと我に返って考える。そう言う事か。
―それじゃあ、華麗に飾って貰おうじゃない。大罪に認められたiraの憤怒、最期まで見届けてやりましょうよ。
そう言って笑えば、それぞれが是非もない、と言って笑い合っていた。
―無論。我ら七つの大罪は、死する時までその大罪を具現化する。
―iraの憤怒、見せて貰おうではないか。嗚呼、楽しみだなぁ。
―神に対して怒ったその憤怒、焼きつける事ぞ我らの役目よ。各々方、ゆめゆめ逃す事なりませぬぞ。
―御意に。
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