教えられた書斎の扉の前に立つと、扉についている小さなランプが光り、自然と扉が開く。あら、親切設計。思っていると、奥の方から低い声がお入り、とこちらに告げた。
すう、と軽く息を掃いて吸って、それからゆっくりと室内に足を進めた。

室内に入ると、マンションの一室とは思えない程天井が高く、見上げれば上は吹き抜けになっていた。天井から温かい光が差し込んでいる。本は紫外線に弱いから、おそらくは専用の人口光だろう。壁一面にはたくさんの本が詰め込まれ、時代の空気を漂わせていた。
その奥手―大きな本棚にはそぐわぬ小さなデスクに革のソファに腰掛けた一人の男性が、ゆっくりとこちらに瞳を持ち上げた。


「すまないね、こちらから向かえば良かったのだが」


「いいえ。お邪魔いたしますミスタ=ジョン・ブラント。捜査官のルナ=コンジョウです。隣は相方です。お忙しい所をお邪魔したのはこちらですから。このような形になってしまって何と言っていいのか・・」


「うん・・それはそうだね。私の唯一の息子だった。」


苦笑いをしてはいるがその表情はやはり酷く哀しげだ。本来はそうだ、本来、家族を失ったものならば、哀しげな反応をする。泣き叫ぶ。崩れ落ちる。
だがこの人はそれをこらえて立っている。


「息子さんの捜索届を出したのはミスタ=ブラント、貴方でしたね」


「ああ。妻は息子とは極力関わり合いを避けていたからね。少し固定観念が強い。息子は妻と結婚する前に付き合っていた女性の子なんだ。それを彼女はどうしても許せなかったらしい。息子を見るたびに、見知らぬ女の影が浮かぶと責められた。何より息子につらい思いをさせた。」


変わらず哀しげな表情のまま立ちあがり、彼は本棚に沿って歩き出す。床はカーキ色の毛の長い柔らかなカーペット張りになっていたので、足音は吸収されて聞こえない。ルナはじっと彼の姿を追った。


「息子さんと最後にあったのはいつですか」


「三日前かな、確か。今は一緒に住んでいないから、夕飯を一緒に食べて会話したくらいだ。10:30過ぎていたか・・・そこのところは定かではない。忘れてしまった」


「その時息子さんに変わった所はありませんでしたか?」


ブラントは顎に右手を当て、考える様な仕草をした後にうん、と少し唸ってから口を開く。


「・・・特に思い当たる事はないね。いつも通り、あいかわらず不況で仕事が見つからないと言っていた。でもバイトで食いつないでいるから、安心してくれと」


「そうですか・・失礼ですが、奥様とは最近仲はよろしい?」


「・・本当に失礼だな。関係を持っているかという意味かい?」


「そのように捉えていただいて結構です、ミスタ=ブラント。」


ふう、と呆れたようにため息をついて、彼は本棚に右手を置き、こちらを見つめ返した。


「・・・ここ2.3年そう言う事はない。年もあるし、私には仕事もある。彼女は・・1年程前から少し様子が変わってしまった。君たちも見たろう、まるで現実にいないようなあの雰囲気。何かに取りつかれたように独り言を繰り返す事が増えた。」

すると、今まで隣で黙って座っていたカインが腕を組んだ状態のまま、ゆっくりと口を開いた。


「先程奥方は相方の名前に過剰反応を示した。これはどういうことだろうか、ミスタ=ブラント。『罪の証が浄化されたら、女神が来た』と。」


ブラントは目を丸くした後、哀しげに瞳を伏せ、唇を閉じた。ゆったりとした動作で本棚にそってもう少し歩き、彼はある場所でピタリ、と立ち止まった。
そこにあったのは一つの絵画だ。白黒の絵で、中には大きな火を囲んで人間と奇妙な生き物が踊り狂っている描写がある。


「・・・・・魔女集会か」


「そう。魔女が赤子の粉末、蛇の尾、薬草などを練り合わせた軟膏を秘部や柄のある箒に塗り、真夜中に空を飛んで山などに集まってお祭り騒ぎをする。そこで悪魔の臀部に接吻をし、己の神を捨て、悪魔に忠誠を誓う。そして悪魔と交わる・・・・一般的にはそう言われているね」


絵の額に手を添えて、彼が隣にあったもう一つの絵画を指し示す。

そこにあるのは古い牢獄の図だ。あいかわらずの白黒の絵画で、定規で図った様な人一人がようやく歩き回れる檻の中、一人の女性がベッドに腰をおちつけ、高さのある格子状の小さな窓から差し込む太陽の光をじっと仰ぎ見ている。


「・・・・私は婿養子にすぎないのだが、これは妻の父から譲り受けたものだ。彼はこの女性は我が一族の祖先なのだ。≠ニ言った。どう見ても囚人の女性の図だ。でも妙に目が離せなくて、飾っている。」


カタン、と額ごと絵を外し、こちらへ手渡してくれる。落とさないように丁寧に受け取って、ルナはそっと絵をひっくり返した。



時よとまれ 
                      お前は美しい



「・・・・・・・・・・ファウストの」


後ろからのぞき込んでいたカインが思い出したように呟いた。
それを聞きとったジョンがああ、と納得した様な声を上げる。


「それくらいは分かったのだが、それ以降がなんとも。この女性を永遠にこの絵の中で美しくいさせたかった、その思いかもしれないとも思った。それはファウストが最期に言った言葉だから。私から提供できる事はこれくらいだ。」


「ご協力感謝いたします。ミスタ=ブラント。また何かあればご一報ください。」


それでは、とカインと二人、合わせて立ち上がり部屋を後にする。カインとかわしたテレパシーの中で、共通して確信した事があった。



―彼は何かを隠している。














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