オフィスに帰ると、ヴィオが主人の帰りを待ちわびていた忠犬の様なキラキラとした眼差しでおかえり!とこちらを見上げた。よほど待ったのか、それとも寝ていたのか、頬に机の痕がついた状態で。
ああ、なんだか尻尾が見えるような気がするのは気のせいだろうか・・・
右手を額に当てて、天井を見る。なんか一瞬だけ立ちくらみがした。まあ、いいや。気を取り直して資料を取り出してデスクに放りだし、PCを立ち上げてホワイトボードを引き寄せる。
PCには事件のレポートが映り、次の瞬間パパッ、と合わせた画像も空中にプロジェクターに映しだされた画の様に浮かび上がる。そのままイスにトスン、と腰を降ろして、ルナは無意識に足を組んだ。
「・・・・カイン。あの人・・・」
ポツリ、呟きに似たタイミングで切り出せば、近くに立っているカインがああ、と頷く。
「何か、隠してはいるようだった。読めればいいんだが・・それは法律で規制されているからな。まったくややこしい世の中だ・・・。」
「そうね。でもそうじゃないと能力者なんて皆犯罪者なのよ。プライパシー侵害で」
クスリ、苦笑いして更に事件の概要を洗いなおす。発見は夜散歩中のカップルだという。まあ、人気のない工場でもあれだけの量が燃え盛っていればその近辺に住んでいた住人がいずれ気がつくはずだっただろう。自分たちが連絡を受けて到着した1時間後ですらあの匂いだ。近隣の人間は今頃匂い取りに必死に違いない。
とりあえず見る物を見た所でルナはふと、カインにそういえば、と顔を上げた。
「さっき、ミスタ=ブラントから見せられた絵について貴方、何か呟いていたわよね。何か思い当たる事でもあったの?」
ああ、と思い出したような顔をして、カインが自分の方に近づき、データの画像の中から先ほどの絵を引っ張り出してくる。なるほど、絵を取らせてもらっていたのか。
その画像を見にヴィオまでもルナの隣に近づいてくる。じっと、灰青色の瞳が宙に浮かんだ画像を見つめた。
「魔女集会・・・」
さすがに彼には見ただけでそれが分かった様だ。ぼんやりと呟くその言葉には確信のような芯の強さがあった。そして次のあの女性の絵を見た時、ヴィオは思わず眉をひそめる。腕を組んだまま右手首をひねって絵を指差し、訝しげに問いかけてくる。
「コレ、一緒に見せてもらったの?」
「え?ええ」
タッチパネルで動かすと、次に裏に書いてあったあの文字が浮かび上がった。
そういえば、とカインの方へ向き直り、気になっていた事を思い出して問いかける。
「この文章、貴方はファウストって言っていたわよね。ファウストってあのゲーテの戯曲よね」
「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが発表した戯曲。第一部が1808年、第二部が彼の死の翌年1833年に発表された。第一部が主に有名だな。ファウストが悪魔メフィストと出会い、あの世での魂の隷属を約束するかわり、この世で最高の快楽と悲しみを与えると約束した。そして素朴ながらも美しい娘グレートヒェンと出会い恋をし、子供を身籠らせる。二人が会うのに邪魔な彼女の母親を殺し、兄も決闘の末に殺してしまう。だがファウストはそんなグレートヒェンに飽いて、彼女と別れる。
そしてワルプルギスの夜を過ごして帰ってくると彼女は赤子殺しの咎で審問にかけられ、最後には処刑された・・」
「・・・・実際の時代には魔女の嬰児殺しと、本当の嬰児殺しは区別して考えられていたけどね」
ヴィオが画面の絵の左端を黙って指し示す。二人の女性が相対して火を囲んでいるその姿は白黒の絵のせいもあるのが少々おぞましい。
「火の中央にあぶられているのが嬰児だよ。これを中央の羊頭の悪魔に捧げるのさ。あるいは―その脂をすり潰して飛行薬、軟膏の材料の一つにもなった。」
グロテスクなのは前々から承知をしていたが、それを改めて聞いて見ると想像出来てしまって吐き気に似た気持ち悪さが込み上げてくる。そんなにヤワな自分でもない筈だったけれど。
カインがイスに腰掛けた状態で指を動かし、すい、とあの絵画の後ろに描かれていた文字の画像を持ちだしてくる。
「そして―話を戻すが、この絵画の裏の文字は、第二部―ファウストが絶命の最期に言ったとされる言葉だ。ミスタ・ブラントはこの文字が書かれた絵画の女性を永久に美しい形のままでいさせたい、絵の作者の願望か、とも言われていたが・・それだけではない気がするな」
チェアに腰掛けたままの姿勢で画像を仰ぎ見るカインは腕を組んで考え込む。一緒に見ていたルナはふと何気なく思った疑問を口にした。
「私・・魔女って聞くとどうしても森の中にひっそりと暮らしている背の曲がったよぼよぼのお婆さんってイメージがあったんだけれど。・・」
それを聞いたヴィオがこちらを見てクスリと笑みをこぼす。
「ルナは童話の好きな女の子だったのかな?じゃあそもそもなんでその醜悪な老婆のイメージがあるんだと思う?」
「え?」
思わぬ質問にルナはきょとん、とヴィオを見つめ返した。彼は何もない空中に文字を書くように左手の人さし指をくるりと滑らせ、灰青色の瞳を躍らせた。
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