『石榴館』は、近づいたら娘の霊に取り付かれて死んでしまう。 その噂は昔からその大学に伝わっていた。でも誰も確かめた事はないらしい。 まあ当たり前だけども。 誰も好き好んで殺人事件の現場になんか近寄らない。 ため息をついて、高橋櫻子は窓を見上げた。相変わらず今日はいい天気だ。梅雨に入ったか否かと言うのに夏めいた陽気がポカポカと教室内に入り込んできて、部屋自体はどこかじっとりと熱い。汗ばんでいた首筋をタオルハンカチでそっと撫でる。乾いた感触が線をたどっていた水分を気持ちばかり吸い込んでくれた。黒い癖のあるロングヘアは今はただ首筋の熱をため込むだけなので、今は一括りにしている。 「ああ、あっついなぁ・・」 ぼんやりとそんな事を呟くと、隣の席に座っていた筒井翠はまるでそんな事も感じていないと言う風に、まるで春に咲く野花のような繊細な笑顔をこちらに向けた。 「帰りにどこかカフェでも寄って行こうか」 「ん。そだね、冷たいものが良いな―。」 ガサガサと散らばっていた教材を適当にまとめ、バッグに入れる。翠はふふふ、と笑ってバッグを抱えると、行こうか、と言って立ちあがった。 「何にしよっかね、アイスカフェラテかな、あそこの店のヤツ美味しいんだ。」 「私はアイスキャラメルマキアート。」 「翠、好きだもんね、キャラメルマキアート。」 教室を出て、二人日差しの入る廊下をトコトコと歩く。講義の終わった後の空気はどこかのんびりしてきてなんだか好きだ。隣の翠はセミロングの栗色の髪をふわふわと浮かせながら歩いている。彼女の持つ独特の空気も相まっているのかもしれない。自然にふ、と笑みが零れ落ち、彼女をほほえましく見つめた。 しばらくトコトコと歩くと、ふと翠が思い出したように口を開いた。 「そういえば、櫻子は知ってる?この大学の伝説の事」 「え?ああ、石榴館の事?知っているも何も入学してすぐに聞いた怪談だもの。いきなりどうしたの?」 先程ふと思い浮かべていた事を持ちだされて思わずドキッとしたが、そのまま翠にニッコリと笑いかけると、翠は至極真面目な顔であのね、と切りだしてきた。 「その、石榴館を見たって言う人がいるんだって。それでその石榴館の幽霊に殺されかけたらしいよ。」 「最近の話じゃないんでしょ、そんな昔話、よくある話だもの」 「ううん!違うの、2年前先輩に実際にいたらしいのよ。でも命からがら逃げて来たって話。私たまたま休み時間に他の子から聞いたの。」 「ええーまたそんな」 真剣な眼差しを向けている彼女には悪いが何か話がその、胡散臭い。2年前とすれば新しい話だけれど、命からがら逃げられた、というそれが胡散臭い。 「じゃあなにか石榴館の外観とか化け物の姿とか見てきたんじゃあないの」 「それがさ」 自分の顔の前で人差し指を立て、翠が眉をきゅ、と潜める。 「その人は教室の片隅で発見されたんだけれど、学校に来た事すら覚えていなかったって。ただその人が『ざくろ・・・』と呟いたから、きっと館に行ったんだって話。目が覚めてからその人はそんな事言った記憶もないって。」 「ほおら、胡散臭い」 そういうのが大好きな翠はすっかり信じ込んでしまっている。まったく、根も葉もない。まあこういう根も葉もない事が伝説になっていくのだから、何とも言えないけれども。 それにしても彼女から幾度こんな眉つば物の話を聞かされてきたか。一体どこからそんな友人を集わせるんだ。こちらのそんな思いも露知らず、翠はこちらの言葉にしゅん、とうなだれていた。 「そんな事ないよ。だってその子が発見された先輩の友達から聞いたって言ってたもの」 「はいはい、早くカフェいこ。」 「もう、櫻子はホントこういう話興味ないよね!」 私に手を引かれながらぷんすかと怒りを吐き散らす彼女はそれでもかわいい。だからちょっとたまに苛めちゃうんだよなあ。聞いてるの!という彼女の声を聞きながら、櫻子は窓の外の晴天を仰いだ。この天気を今は無駄にしてはいけないと今は思っていたから、私は翠の手を引き、教材を入れた重たいバックを再度握りなおして歩を進めるのだった。
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